長編連載小説#1 六脳(第1回〜第3回)

第1話 出会い(1)

 京阪大学法学部は,関西でトップレベルの名門である。
 そこに今年も多くの精鋭達が集まって来た。
 桜の花びらの舞い落ちる中,今日は入学式だ。

 会場は大学の講堂で行われた。
 広い広い講堂の一角に,彼らはいた。
 その時は互いに見も知らぬ間柄だった彼らが。

 しつこいようだが,京阪大学法学部は,関西でトップレベルの名門である。
 その実績―それは,司法試験の合格実績に現れている。
 昨年度の京阪大学出身者の司法試験合格者数は,東の名門,東都大学に僅差の全国第2位だった。
 もちろん,司法試験にどれだけ通すかだけがその学校の知性を現す物ではない事は間違いない。
 しかし,天下無敵の法曹三職―裁判官,検事,弁護士への道筋をつける日本一の超難関試験である司法試験に多くの合格者を出すことは,少なくともその学校のレベルを表す大きなファクターの一つであることは間違いなかろう。
 そして,この名門京阪大学法学部には,今年もその司法試験への合格を目指して多くの新入生が入ってきた。
 彼らも,そんな奴らだった。

 新入生諸君,入学おめでとう。
 学長の挨拶が始まった。
 ふん,何が目出度いものか。
 ここが人生の終着点みたいなことを言いやがって。
 この大学は俺の人生の踏み台に過ぎない。
 ここを思う存分利用して,人生の大目標―司法試験に合格して,サクセスロードを歩み,最後には天下を取ってやるんだ。
 栗山一路(くりやま いちろう)はそう考えながら,目だけをキョロキョロ動かして周りを盗み見た。
 ふん,大した奴はいなさそうだな。
 隣の奴らなんて,話も聞かずに無駄話していやがる。
 こんな奴がよく大学に入れたもんだぜ。

 その隣の奴ら―小林陽一(こばやし よういち)と南幸太郎(みなみ こうたろう)もまた,司法試験を目指してやって来た新入生だった。
 いや…その表現は適切ではないかもしれない。
 小林陽一は確かに京阪大学の新入生だったが,南幸太郎は違っていた。
 南は小林の友人で,去年までは確かに京阪大学を目指す学徒だったが,遂に京阪大の門を叩くことは出来なかった。そして,私立では関西でナンバーワンの立志社大学への進学を選んだ。
 俺も連れてってくれよ。
 憧れやった大学の雰囲気だけでも味わってみたいんや。
 混雑に紛れて入ればばれやせえへんやろ。
 南はそう言って,無理を頼んで小林に連れてきてもらったのだ。
 すげえなあ。
 やっぱちゃうよなあ。
 みんな凄そうな奴ばかりやで。
 自分,大丈夫なんか,こんな奴らの中に入って。
 南はそう言いながら,しきりに小林をつついた。
 自分,ちいたあ静かにせえや。
 小林は苦笑いをしながら,南をつつき返した。
 笑い合う二人を,鋭くにらむ目があった。
 やかましわ。
 明らかにそう言っている目に気がついた二人は,恐縮して下を向いた。
 栗山とは反対側の隣にいた彼は,加藤宏(かとう ひろし)。
 同じく法学部で,司法試験を目指すことになる。

 何度も言うが,京阪大学法学部は,関西でトップレベルの名門である。
 そういう訳で,関西のみならず,各地から生徒が集まる。
 しかし,やはり関西の学校から来た人間は多いし,例えばいわゆる名門と言われる高校から数多くの生徒が入学してくることはありうる。
 甲東女学院高校は,女子高としては関西有数の進学校である。
 今年は実に15人の生徒をこの名門京阪大学に送り出した。
 うち,現役で法学部に進学したのは3人。
 その3人は,実は高校ではクラスメートだった。
 そしてその3人は,栗山,小林らが陣取っている席の真後ろで,静かに学長の話を聞いていた。
 清新な表情で,その場の雰囲気を楽しむかのように,大きな瞳を輝かせていたのが久我山京子(くがやま きょうこ)。
 久我山に時折何事か囁きながら,緊張気味に下を向いていたのが木下晴海(きのした はるみ)。
 終始宙に視線を漂わせて,なにやら心ここにあらず,という感じだったのが小松唯(こまつ ゆい)。
 自分たちが広い講堂の中の,この狭い一角に集まっている意味を,まだ彼らは知る由もなかった。 

 

第2回 出会い(2)

 初めての授業は入学式の3日後だった。
 語学の英語の授業だった。
 語学の授業は,高校までの授業と同様,クラスに分かれて行われる。
 語学クラスのクラス分けは学籍番号の順番に,40人ごとに8つのクラスに分けられる。
 そして,学籍番号の順番は名前のあいうえお順に並んでいる。
 要するに,名前の頭文字があいうえお順で近い人間が同じクラスになる可能性が高い。
 読者の皆さんは覚えているだろうか。
 あの入学式の日に講堂の一角に並んでいた6人(他大生の一人を除く)の名前を。
 加藤,木下,久我山,栗山,小林,小松(あいうえお順)。
 同じ「カ行」の苗字を持つ6人は,初めての語学の授業の日,クラスメートとして顔を合わせることになった。
 もちろん,初め彼らに特別な意識はなかった。
 せいぜい,「あ,入学式の時に見たような覚えのある顔やな」という程度で。

 40人もいれば,必ず誰か一人ぐらいは,変に気張ってクラスをまとめよう,交流しよう,結束を深めよう,という奴がいるものだ。
 まあ,もちろん純粋なボランティア精神からそういう事を考える奴はまれで,そこには必ず個人的な動機がある。
 単に友達を作るというまっとうな目的とか,異性を引っ掛けて恋人にしたろうというちょっぴり不純な目的とか。
 ただ,そういう目的ならマシな方で,中にはサークルを装った怪しげな政治・宗教系の団体ともうこの時期にできていて,そういうものにクラスの奴を引っ張り込もうという目的でこういう事を考える奴もいる。
 まあ,動機はともかく,そういった奴が幹事になって「クラスコンパ」なるものが入学してすぐくらいに企画されることが多い。
 このクラスも例外ではなく,どこからともなくそういう話が持ち上がった。
 京阪大学のあるK市は学生の街だ。
 比較的安く,比較的雰囲気の明るい,比較的座席数に恵まれた,学生がコンパで飲むのに都合のいい居酒屋が大学近辺に散在している。
 京阪大学法学部語学第2クラスのクラスコンパは,そんな居酒屋で行われた。
 40人中22人が参加した。
 そして,前出の6人も。

 幹事男に次いで,比較的早くにやって来たのは木下,久我山,小松の3人組だった。
 最初尻込みしていた二人を,久我山が「せっかくの機会だから」と半ば強引に連れてきたのだ。
 店の入り口で一人で待っていた幹事男は,三人の姿を見て思わず顔をほころばせた。
 それは,幹事としての責任感だけの理由ではなかったはずだ。
 何せ,この3人は,3人が3人とも平均以上のレベルのルックスをしていた。
 久我山はアイドル顔負けの美形で,その快活さも相俟って早くもクラスの男たちの注目を集める存在だったし,木下はおとなしいが大人っぽい上品な雰囲気があった。小松はクラスでは全く言葉を発しないような変わり者の女で,どちらかと言えばもてるタイプではなかったが,メガネをかけたその表情は知的な何かを感じさせたし,メガネを取った時の素顔には,男たちをはっと思わせる意外性を持っていた。
 基本的にこういう,男性と女性が席を同じうするコンパにおいては,男同士,女同士で固まることはご法度である。
 必ず,出来るだけ男と女が交互に座るのがルールなのだ。
 たとえ「男性が女性に席を隣にさせたりお酌をしたりすることを強要したらセクハラです!!」と言われる現在にあっても,そのルールには変わりはないらしい。
 まあ男の場合は男同士で座るよりも女性と隣になるほうがいいと思う傾向が強いから好都合なのだが,女性は心細さがあるのか,近くに同性の友達がいたほうがいいと思うようだ。
 そういう訳で女性3人組は最初隅っこに固まって座っていたが,幹事男に急き立てられて仕方なく一つ置きの座布団に腰を下ろした。
 その後しばらくして,小林がやって来た。
 小林は店に入るなり,真っ先に久我山の姿を見止めた。
 そして少し遠慮気味な態度を見せながら,内心はいそいそと,彼女の隣に腰を下ろした。
 こんにちは,と小さな声で挨拶を交わすと,小林は早くも久我山にいろいろと話し掛け始めた。
 その後,一人,また一人とクラスメートがやって来て,めいめい腰を下ろす。
 小林は久我山に一方的に話しかける。
 奥の隅っこにいた小松はこの雰囲気になじみがたいように,視線を宙に漂わせている。
 そんな訳で,久我山の反対隣と小松の隣が最後に2つ空いた。
 最後にやって来たのは,栗山と加藤だった。
 同時に店に入ったが,お互い言葉を交わすこともなく,山は久我山の反対隣に,加藤は小松の隣に座栗った。
 そういう訳で,結果的にまたしてもこの6人,お互い近く同士に座って飲むことになってしまった。
「えー。皆さん,本日はお日柄もよく…」
 ヘタクソな幹事の挨拶で,宴の幕は開いた。

 

第3回 出会い(3)

 京阪大学法学部語学第二クラスのクラスコンパが始まった。
 とりあえず,今一度登場人物の席順を説明しておこう。
 文章で説明するとややこしいし分かりにくいので,こういう場合図で表せるというのは作者としては何と便利なのだろうと思う今日この頃。(原稿の枚数も稼げるし。)
 閑話休題。
 6人は座敷の隅っこで,以下のような席順で座っていた。

 栗山   久我山   小林

  ○    ○    ○

                 

  ○    ○    ○

 小松   加藤    木下

 乾杯の後,当初は話すきっかけすら掴めないままに,ただ静かに時間だけが過ぎて行った。高校時代からコンパ慣れしていて何とか盛り上げようといろいろと周りに話を振る奴もいたが,そういった奴は勿論ごく少数派だったし,彼のその努力も無駄な,空しい努力に終わってしまっていた。
 このコンパの席上で少しずつ話が盛り上がって行くのには,少々の時間と酒が必要だった。
 酒が飲める男がまず出来あがって大声で話し始めた。そしてそういう連中が集まって意気投合した。
 本来男と女が仲良くなることを目的にして企画した(少なくとも幹事男の頭にはそういった動機が隠されていたはずだ)コンパだったはずだが,いつの間にやら入り口付近の座敷は男の社交場と化していた。
 それに触発されたわけでもないだろうが,最初酒を飲むのを遠慮していた女性のほうでもちびりちびりと飲み出し,少しずつテンションが上がってきたのか,近くに座っている女性に話しかけたり,何人かの男女のグループで話し出したりするようになっていた。
 さて,前出の6人の様子であるが…
 栗山はかなり酒が飲める口であるらしく,もう随分饒舌になっていた。
 とはいえ,彼独特の静かな物言いには何の変化もなかった。それはあくまで紳士的で,隣に座っていた女性―久我山京子を安心させ,なおかつ好感を持たせるものだった。
 栗山は久我山に,自らの野望―いや,ここでは「夢」とでも言った方が適切だろうか―について語った。俺は司法試験を目指す。そして,合格して社会に貢献する仕事をして,最終的には天下を取りたい。自分の可能な限り,出来るだけ高い所まで。限りない高みを目指して生きていきたいんだ…
 久我山はそれを静かに聞いていた。それは途方もない夢なのかもしれない。しかし,それを夢で終わらせない雰囲気―そんな何かを,彼女は栗山に感じ始めていたのである。
 さて,本来久我山と話したかったにも関わらず,彼女を栗山に取られてしまった小林は,そんな二人を横目で見ながら,向かいの木下と,受験の時の苦労話だの何だの,他愛のない話をして過ごしていた。
 6人は座席の隅っこで,あくまで静かに語っていた。
 その静寂は,突如怒声によって破られた。
「お前なあ,喋る気がないんなら帰れや!!」
 声の主は加藤だった。
 加藤は小松とツーショットになっていたが,小松は相も変わらず何となくボーっとしたままで,人の話を聞いているのか聞いていないのか分からないような態度を続けていた。
 そんな小松に,加藤が遂に怒りを爆発させたのだ。
 その場は静まり返ってしまった。
 小松は何が起こったのかさえ分からない様子で,不思議そうな目で加藤を見ている。
 加藤は,振り上げた拳の下ろし場所を知らず,ただ小松をにらむ以外には術を持たない。
 小松はその加藤の目を見て,少しずつ状況を掴んできたのか,加藤を避けるように後ずさりをする。
 誰もどうしたらいいか分からないまま,困惑と静寂の空間が流れていく。
「おい,お前,そんな言い方はないやろう」
 静かな,しかしドスの聞いた低音でこの空気を崩したのは,小林だった。
 お目当ての久我山を栗山に独占されて機嫌が悪かった,ということもあったのだろうが,そんなヤボな事情は置いといても,この雰囲気は彼にとって耐えがたい,静観しかねるものであったに違いない。彼は今にも殴りかからんばかりの迫力を帯びた視線で,上目使いに加藤をにらみつけた。
 加藤は黙ってその場に座った。
「来るか?」
 小林は,さっきとは打って変った,いつもの人懐っこい笑顔に戻って,小松を呼び寄せた。
 小松は逃げるようにその場を離れ,小林の隣に座った。
 そして小林と木下と小松の3人で話をすることになった。
 友人の小松が来たことで話しやすくなったのか,木下が主導権を握って話は弾んだ。
 小林は彼女の話をひたすら聞いていた。
 小松は相変わらず,相手の話を聞いているのかいないのか良く分からないような態度をとっていたが,さっきよりはリラックスした様子で,時には話に参加するようなことさえあった。
 3人になってから,彼らは明らかに楽しげに話をしていた。
 加藤はと言えば,その3人を横目で見ながら,今更どうすることも出来ず,ただ隅っこで一人,タバコをふかしていた。
「おおい,そこの隅っこでタバコふかしてるそこの君ぃ,こっち来て一緒に飲もうやあ」
 男ばかりの集団で大酒を食らってへべれけになっていた幹事男が,仲間を一人でも巻き込もうとして勧誘を掛けたが,加藤はなおもそれを無視して,一人で煙草を吸っていた。
 そうこうしているうち,終了時間が来た。
 加藤は幹事男に金を払うが早いか,真っ先に出て行き,振り向きもせずに消えていった。
「二次会に来る人は残ってて!」
 幹事男はみんなを引き留めようとした。
 しかし残ったのは,幹事男を含む,いわゆる「男の社交場」にいたグループだけだった。
 女性達はみんな,門限があるとか何とか言って帰ってしまったのである。
 小林は二次会に未練があったが,小松が行きたくないと言い,木下も小松と一緒に帰ると言ったので断念して,3人で近くの駅まで話をしながら帰った。
 栗山と久我山は,二次会には全く興味がなかったものの,何となく離れがたい雰囲気を感じていて,途中まで二人で歩いて,最後にお互いのアドレスを交換して別れた。
 こうして,京阪大学法学部語学第二クラスのクラスコンパは,大きな(?)成果を残してここに幕を閉じたのであった。

 

続きへ

バックナンバーへ