長編連作小説#2 聖人同盟(第1回〜第3回)

1 聖人#1 享野楽太郎

 その男は,辞表とともに1通の封書を取り出した。
 彼はその中身を取りだし,課長の前で読み始めた。
 そこには,このように書かれていた。
 この会社は社員を人間と思っていない。
 深夜までの残業ないしは徹夜,休日出勤は当然とし,それが出来ないものは容赦なく切り捨てる。
 以前わが社から過労で心身の均衡を失って自殺した者がいたが,社は謝罪・賠償をするどころか「自殺したのは本人の責任」として知らんふりをする。現在本件は,当然の如くこの仕打ちに怒った遺族と当然の責任さえ負おうとしない会社側との間で訴訟になっているが,会社側は半ば脅迫的に「和解」,訴えの取下げを要求し,遺族にまで精神的・肉体的苦痛を与えている始末である。
 こういう時に労組は断固として闘うべきであったのだが,やはり首が惜しいらしく,この御用組合は何らの対応も取ってこなかった。
 私はそのような状況を憂い,我が身一つで「残業拒否闘争」を繰り広げたが,社の上層部の者どもはこのことを知るや否や私を社からつまみだすためにあらゆる人権の侵害を私に加えた。
 課長を始めとする課の者を使った陰湿な職場いじめ,えー,注釈を加えると,課長は私を追い出すためにバイトの子を使って,ゴキブリの死体の入ったお茶を私に飲ませようとした。私の机の上に「穀潰し死ね・さっさと会社辞めろ」というメモを置いた。何度も解雇・依願退職を強要するような文言を私に浴びせた。えー,その他もろもろあるわけだがここで挙げるのも面倒なのでやめておきます。恐らく身に覚えのある事でしょうからね。えへんえへん。当然労働基準法他労働3法により,我々労働者の権利は保障されており,会社は私を簡単には首に出来ない。そういう訳で会社は何とか私のほうから辞表を出させるようにこのような遠回しの汚い手段を取ってきたのである。
 私がこのことを知っていて敢えてこの手に引っかかってやるのは,何も会社に白旗を上げた訳ではない。むしろ私のほうから社に愛想を尽かして出ていってやることにしたものである。社員をあたかも機械の歯車のように人間扱いせずただ利益をあげることだけを要求して死ぬまで働かせるしか能のない会社はきっと現在の企業競争の中で無残なる敗北を喫するに相違ない,そうなった際に私まで共倒れを食らうのは私は真っ平御免である。ざまを見ろ。かんらからから。以上。

「やっと邪魔なのが出て行ってくれましたね」
「全くだ。あいつがいると他の社員の士気にも影響する」
「あいつの仕事が他の奴に回って他の奴も迷惑していたしな」
「結局あいつは自分のやりたいようにやって,他人の迷惑など全く考えてはいなかったのですよ。残業拒否にしたって,過労自殺事件にかこつけて自分が仕事したくないだけだったに違いないのですからね」
「何が労働者の権利だよ。義務を果たしてからそういうことは言ってもらいたいものだね。何たってあいつは,勤務時間中に酒を飲んで女を口説くわ,ズル休みして街に繰り出し,うちの会社の名前を使ってナンパするわ,やりたい放題だったからな。あれじゃどこに行っても長くは続くまい。かんらからからはこっちだぜ,全く」

 男はその足でハローワーク(公共職業安定所)に行った。
 彼はまだ若かった。仕事を選びさえしなければいくらでも新しい仕事は見つかるはずだった。
「食品会社か…あかん,給料が安いわ。せめて手取り20万はくれな。おまけに肉体作業込みやないか。体もたんっちゅうに。建設会社か…あかん,男ばっかりやないか,この会社。男女雇用機会均等法っちゅうのを知らんのか。出版社か…何や,週休2日になってないやないか。このご時世に。こんなとこ誰が行くちゅうねん。アパレルか…ええな,女の子多そうで。…あかん,工場での出荷作業って書いてある。体きついし女おれへんやろ」
 ぶつぶつ独り言を言いながら求人票に目を通す彼を,50前の初老の男が怒ったように睨みながら通り過ぎて行った。
「ベンチャーか,ええな。自分で好き勝手出来るみたいや。何なに,今やインターネットなどを用いたベンチャーによる企業が今花盛り。月収50万以上稼ぐ社長も珍しくない時代となった。また,会社に出勤することなく在宅で勤務するSOHO形式の勤務形態もパソコンの普及により可能となった,これもええな,いちいち会社に行って上におべんちゃら使うて気ぃ使うていうのもないしな。こういう仕事がどっかに落ちてへんかなあ」
 ぶつぶつ独り言を言いながら経済誌に目を通す彼を,40過ぎの本屋のおばちゃんが心底迷惑そうに後ろで彼を睨んでいた。
「あのねえ,さっきから3時間も立ち読みされて迷惑なんですけど。お買いにならないのなら帰っていただきたいんですけど」

 その日彼は,彼にしては珍しい根気で机のパソコンに向かっていた。
 彼は一流大学の理工学部のコンピュータ関連学科を卒業していた。コンピュータやインターネットの仕組みその他は熟知していた。
 彼はホームページを作成していた。
 一つ目は,当座の金儲けを目的にしたエロサイトの作成だった。彼が今までデジカメで撮影した,ナンパした女たちとの性行為の映像が主だった。(無論彼の顔は,画像処理ソフトを使った合成技術により,他の男の顔に摩り替えられている)そしてさあこれから,というところで「ここから先は有料会員の方しか見ることは出来ません」として,ユーザーから金を巻き上げる,という仕組み。
 これは当たった。開設初日に一万を超えるアクセスがあり,彼は一夜にして「エロネット長者」にのし上がった。
「何や,こんなに儲かるんやったら毎日コツコツやりたくもない仕事をすることなかったわ」
 彼はそう言って高笑いした。そしてログ跡を何気なくチェックしていると,見慣れた「場所」に突き当たった。
「何やこれ,会社のアホ部長やんか。あ,専務,常務,うわ,社長もいる。みんなどスケベェやな。何を考えとるんや。人には働け働け言うといて,てめえは勤務時間中にエロサイト見てはる」
 二つ目のホームページは,その会社の内情を告発するサイトだった。内容は先に彼が出した声明文とほぼ同じ。さらに今回発見した「お偉いさんがエロサイトを勤務時間中にこっそり見ていた事件」を殊更詳細に綴っている。名目上は会社名と人名の実名は伏せてあるが,会社の所在地は明記していたし,人名は全てイニシャルにしていたので分かる人がみたらどこの会社か簡単に特定できるものであった。
 これも当たった。先に述べたエロサイトをさらに超える勢いでアクセスがあり,同時に会社は非難の矢面に立たされることになった。イメージが一気にダウンしてしまったため取引などにも深刻な支障が出て株価も下がり,瀕死の状況まで追い込まれた。
「ざまを見ろ」
 彼は自分のページによって傾きかけた古巣について書かれた週刊誌の記事を読みながら心底愉快そうにそう呟いた。

 彼は退屈していた。
 金は黙っていても入ってくる。
 ナンパやそれに伴う一連の行為もやり尽くした。
 先だってなど,ナンパに成功してホテルに連れこんだ女が,1ヶ月前にナンパしてセックスをした女と同一人物だった,という笑えないことがあった。しかも彼はその事実を,彼女の裸体に触れるまで気付かなかったのだ。
「何か抱き覚えのある身体やなあ,思うたら前ヤッた女やんか。あほらし」
 彼はその日からぱったりナンパをやめてしまった。
 しばらくは一人部屋で酒を飲みながらボーっとテレビを見るという頽廃的な生活に満足していた。
 しかし,人間というのは現金なもので,いつも自分の快楽を追い求めて,満たされないと不満になるくせに,その快楽がいざ満たされてしまうと却って退屈になってしまうものだ。そしてそれに不平不満を言ったりする―
「退屈やなあ」
 彼は恐らく,生まれて初めてそう言った。
 金はあるから仕事をするのもバカくさい。
 しかし遊ぶことにも飽きてしまっている。
 最近は胃腸もいかれてきて,酒を飲むことも身体が欲しなくなってきている。
「何かおもろいことないかなあ」
 人間というものはいつも「何かおもろいこと」を求めている。しかし,それを見つけることは逆に難しいのかもしれない。そこらじゅうに「おもろいこと」の種は落ちているのに,それを蒔いて肥料をやって育てることをしない。いや,育てる術を知らず,育てるための道具を持ち合わせていないだけかもしれない。
 しかし,運命というのは面白く出来ていて,そういう時には「おもろいこと」に必然的に巻き込まれたりもするのである。この男も…

 

2 聖人#2 毛利 明人

 ビルの屋上で今日も彼はため息をついていた。
 靴を脱いで揃えて,書き置きを置いて,それから鉄柵に凭れ掛かって,何かを深刻に考えている様子だ。
 この姿は一般の人から見れば,自殺を企図する人間のそれであった。それはきょうび,小学生でも判断可能なことであった。
 また,彼のこの様子を誰も見ていないわけではなかった。実は極端な話,屋上ではそのオフィスビルに勤めている者と思しき男が二人,勤務を脱け出してちょっとしたサボりがてら談笑しながら煙草を吸っていた。
 しかし,彼らはこの「自殺志願者」に全く気を止めるでもなく,げらげら笑いながらまた煙草に火をつけるのであった。
 決してこの二人が特別に薄情だったわけではない。この二人でなくても,どんなに慈悲深い人間だとしても,このビルで仕事をしている者なら決してこの男に特別な気遣いをすることはなかったのだ。

 彼は実は,この1ヶ月ほど前から毎日,同じ時間にこのビルの屋上を訪れ,同じことをして,結局しばらくしてから脱いだ靴を履いて書き置きをゴミ箱に放り込んで帰ってしまうのであった。
 勿論,最初にこの男が来てそれをやったときは大変だった。見つけた職員の一人が大慌てで警察に通報し,このビルで働く者全員が仕事を放り出して屋上に駆けつけ,彼と彼を説得する警察官を手に汗を握りながら見ていた。勿論万が一のことを考えてビルの下には救命のためのマットが広げられていた。
 数刻後,彼は後ろを振り返って説得していた警察官のところに行ってこう言った。
「お騒がせしてすいません。今日はまだやりませんから」
 言うと,靴を履いて書き置きを引っつかんで非常階段を降りていってしまった。
 見ていた警察官,職員達はあっけにとられて見送るしかなかった。
 今日はまだやりませんから。
 その言葉を実証するように,彼は翌日同じ時間にまた来て同じことをした。このときもやはり警官が出動し,彼を説得した。そしてまた同じように彼は警官に一言話すと非常階段に消えていった。
 翌日は同じ時間にビルを訪れ入ろうとした彼を,警察官が待ち伏せしていた。
 彼は「人騒がせ男」として警察に連れていかれ,きつくお灸を据えられた。
 一体どういう訳であんなことをするんだ。話してはくれないだろうか。
 ひとしきり説教をした後で,50くらいの,巡査部長と思しき警察官は彼に尋ねてみた。
 彼は言葉を選びながらぽつりぽつり喋り始めた。
 私は,人間としていかに死ぬべきかを考えているのです。
 多くの人は幾十年と命を永らえた挙げ句,病気だの何だので死ぬでしょう。
 しかし,私はそのような,他力による,しかも何ら生み出さない死を甘んじて受けたくないのです。
 自分の命の終焉の時と場所は自分自身の意思で選びたいのです。
 そこで今は,自分で自分の命を絶つ方法,即ち自殺について考えました。
 しかし,自殺すれば自らの意思で死の時と場所を選ぶことはできるでしょうが,やはり何ら生み出すことはありません。私の醜い死骸を片付けなければならない分人に迷惑を懸けるだけです。
 そう言いながら彼は自らの手首を警察官に見せた。無数の躊躇い傷がついていた。
 私は何度か自殺を試みましたが,死ねませんでした。死が怖かったわけではありません。
 ただ,今ここで私が死んだからといっても何も残らないのが悔しかったからです。
 彼は懐から1通の封書を取り出した。
 書き置き,と書かれたその封を開け,中身を取り出す。
 その便箋は白紙,何も書かれてはいなかった。
 私は,何かこの世にメッセージを残して自らの命を絶つことを考えました。そうすれば,こんな取るに足りない命でも,その終わりにあたって何か意味を持たせることが出来るのではないかと思ったからです。
 しかし,今の所それも出来ていません。何故なら,自分でも何をこの世にメッセージすべきなのか判っていないからです。死ぬ時は何かに殉じて死ななければ意味がない。けれど今の私にはその「何か」が分からないのです。今のまま自殺したら無駄死にです。私の命を賭けるに相応しい何かが見つかるまでは,私は死ねないのです。
 聞いていた警察官が苦笑した。
 お前なあ,人間ってのは何かを成すために死ぬんじゃなくて,何かを成すために生きるんじゃないのかよ。何でそんなに命を粗末にしたがるのか分からんよ。俺だって警察官だがいつか悪い奴に撃たれて死ぬかもしれない。それは怖いよ。死を隣り合わせにして生きているからこそ生の有難さが分かるんだよ。そうだ,そんなに何かに殉じて死にたいんだったら,傭兵にでもなったらどうだ。ちっとは自分の考えてることがいかに馬鹿げていることか分かろうというものだ。
 警察官は彼の帰り際に,一冊の古ぼけた本を手渡した。
 それは,太平洋戦争の際,特攻隊員として国のために若い命を散らせていった男たちの,死を前にした心境を克明に綴った手記だった。
 彼は丁寧に礼を言って,その本を大事そうに抱えて警察署を出た。

 しかし,彼はまた翌日から同様にそのオフィスビルの屋上で靴を脱いで書き置きを置いて,鉄柵に凭れ掛かって何かぶつぶつ言いながらうつろな目で遠くを眺めていた。
 しまいには警察もビルの職員も匙を投げてしまって,どうせこの男は放っておいても死ぬ気遣いはないから放っておこう,という結論で彼に構うことはなくなってしまった。
 そして彼は今日も同じように,今にも自殺をしそうな格好で下界を眺めながら,自分が自分の命をいかに始末するべきかを思い続けているのである。

 彼はそれほど気の長い性分ではなかった。
 これだけ毎日通いつめて思いをめぐらせた所で,自分の探しているもの,即ち自分がその命を捨てるに相応しい命題,大義名分というのは見つからなかった。
 いっそ,本当に傭兵になってみようか。
 しかし,傭兵になれば,世界のどこかで行われている紛争に駆り出され,その紛争が正しいのか,自分の付いた側が本当に正しいのかを考える暇も無く殺されてしまうだろう。それは駄目だ。あくまで,自分で考えて,絶対的に正しくて共鳴できる,そういった者たちのためにこの命を使わなくては意味がないのだ。傭兵とは,報酬のために自分の正邪の観念を置き去りにして戦うものだ。そもそも戦争に正邪の区別などあるのだろうか。国家や民族が,自らの主張をぶつけ合い,それがどこまでいっても噛み合わない時に戦争が起こるのではないだろうか。そこでは,少なくとも当事者にとっては,自分の主張することが絶対的に善であり,相手の主張することは絶対的に悪なのだ。俯瞰して考えてみると,どっちかが絶対的に正しいなんてことは決して有り得ないはずなのに。即ち,自分が当事者の立場にならない限り,自分の納得する形で命を捨てることは出来ないのだ。
 自分が当事者たりうるのは,自分に関わりのある何かが争いを始めた時だけである。
 彼は前警察官からもらった本を開いてみた。
 例えば自分の住んでいる国,日本はどうだろうか。
 もし「日本の勝利のため」ということならば,自分が命を捨てる動機としては十分に価値あるものと言えるのだろうか。しかし,今の日本が今日明日のうちに当事者として紛争に直接関わることはまずないだろう。第二次世界大戦での敗退以来,日本は平和国家として再出発し,決して戦争を繰り返さないことを誓った。勿論世界のパワーゲームの中で,「もし相手から撃ってきたら撃ち返す」ということを表明するための戦力は持っているが,それだけに過ぎない,いや,そうでなければならないことになっている。それを知っているからこそ日本政府はこれまで,たとえ国家としての誇りを捨てたのかと非難されても,あらゆる国と何とか丸く収めてやっていけるように立ち回ってきたのだろう。

 例えば自分の愛する者のために死ぬとしたらどうだろう。親とか兄弟とか恋人とか。
 しかし,それもナンセンスだと思った。
 彼には恋人がいなかったが,恋人が仮にいたとして,自分が彼女のために死んだとして,それで彼女は喜ぶだろうか。彼女は幸福なのだろうか。
 彼女が真剣に自分を愛してくれていたのならば,彼女は「愛する人を失った」悲しみと,「自分のために愛する人を死なせた」という罪悪感に生涯苛まれることになる。
 逆に自分が死んだことによって彼女が幸福になって喜ぶとしたら,それは彼女が自分のことを真剣に愛していなかった証拠になってしまうではないか。しかも自分は死んでしまっているからそのことを確認する術すらない。こんな曖昧な動機では自分の命を捨てるのは勿体無い。
 大体,小説や劇画のように「自分の愛する者のために命を賭ける」というシチュエーションがそんなに簡単に起こるとも限らない。それはあくまで妄想の世界にあるに過ぎないのだ。
 馬鹿馬鹿しい。
 彼は本を放り出してカーペットの上に寝っ転がった。
 自分が命を捨てるに足りる「何か」を見つけられないままに。

 

3 聖人#3 殿井 浩二

 彼は原稿を仕上げた後,ワープロソフトを閉じてインターネットを始めた。
 そして,小説サイトが集まるリンク集に飛び,面白そうな作品はないかと物色し始めた。
 彼の職業は小説家だった。
 デビュー前,よくインターネットのホームページやメールマガジンで自分の作品を発表していた。そしてその作品がそこそこの人気と評価を得たことに手応えを掴み,彼は文学新人賞に作品を投稿した。それが運良く賞を取ったことからプロの作家としてのスタートを切ったのである。
 そんな経緯があったから,彼は今でもインターネットの小説のページを熱心に見ていた。
 彼が関心があったのは,既に名を成したプロ作家のそれではなく,今現在インディーズの世界で牙を研いでいる,隠れた作家の卵たちの作品だった。それは彼にとって大きな刺激となり,ひいては創作意欲を高めるものとなっていたからだった。
 リンク集に並んだ作品を眺めながら,しかし彼は眉を顰めていた。
 面白そうな作品が減ったからとかそういう理由ではなかった。
 作品の質とか何とかいうこととは全く関係なく,彼の個人的な思いから「好きになれない」類のものがあったからだ。
 それは,いわゆる「ボーイズラブ」とか「やおい」とか言われる類のものであった。
 彼はいわゆる「ヘテロ」であり,男と女が結びついて子孫を残すのが当たり前じゃあないかという,少々頑なな考えを持っていた。だから,男同士が愛し合う話―しかも精神的な愛情の描写だけならまだ我慢もしようが,しばしば肉体的な交わりの描写の入った話はどうしても受け入れ難かったし,そういうものを想像するだけでも吐き気を催すほどであった。
 そもそも彼は男と女というものについて,人よりかなり古い考えを持っていたようだった。
 男は男らしく,女は女らしく。
 過度にそれを押しつけるのは顰蹙ものだということは彼は重々承知してはいたが,少なくとも自然の摂理としてある限りのジェンダー・シェマ(性的な役割分担)についてだけは人間がこれを破るべきではないと思っていたのだ。身もふたもない言い方になってしまうが,男と女が愛し合ってセックスをする。男の精子と女の卵子が結びついて受精し,女が子供を産む。そして母親が母乳を与えて子供を育てる。それは逆の性を持つものには決して出来ない働きであり,人類が子孫を残すという務めを果たす上で不可欠な働きであるというのは否定できないだろう。
 男には男にしか出来ない役割があり,女には女にしか出来ない役割がある。
 男は男としての役割に誇りを持ち,女は女としての役割に誇りを持つべきではないのか。
 しかし現在では性に対する考えは多様化しており,彼のような頑固者の考え方は古臭いものとして淘汰される傾向にある。
 勿論,自らが持って生まれた性に違和感を持っていたり,生まれながらにして同性しか愛することが出来ない人もいる訳で,そういった深刻な事情を抱えている人達に対してまで自分の考えを押しつけることなど出来ないということも彼には重々分かっていることではあったが…
 しかし,少なくとも自分だけは,「男らしさ」を追求して生きていきたいと願っているし,自分が「男である」ことに誇りを持ち,「男としての本分」を踏み外さないように生きていきたい。「男としての役割」を果たしたい…
 しかし残念ながら彼はまだ独身であり,「男の役割として」子孫を残すことにはまだ無縁の身の上であった。
 よって今の彼に出来ることといえば,せめて男としての自分に誇りを持ち,男らしく生きていこうという信念を持ち続けることと,そういう自分の信念に反する風潮にささやかなる抵抗を試みることだけであった。
 しかし抵抗を試みると言っても,実際彼がそういう思想を文壇に持ち込むことは不可能なことであった。それは確信犯的な「差別」ととられるか,単なる感情論の「好き嫌い」ととられるかどっちかになるに決まっていたからだ。前者なら彼の人間性そのものが批判されて然るべきことになるし,後者なら単なる子供の駄々こねとして無視されて然るべきことになってしまう。
 よって彼に出来る事は,彼自身が「男として」その信念を見失わないことと,せいぜいこうして信念に反するものを見つけた時に眉を顰めて舌打ちをすることに限られてしまうのであった。
 彼はふっと溜め息をつき,純文学作品のサイトを物色し始めた。
 彼はもう30代も半ばを過ぎようとしていた。
 晩婚化が進む昨今,30を過ぎて独身などというのは決して珍しくはないのだが,彼は妙な焦燥感を覚えていた。
 彼はこれまで,恋人と言える女性がいたことがなかった。
 高校までは進学一辺倒で恋愛なんて考えもしなかったし,大学ではせっかく女性の多い文学部にいたのに小説を書くことに夢中になりすぎてやっぱり恋愛ができなかった。卒業してめでたく作家になったら外界との付き合いが殆どなくなってしまって,やっぱり恋愛が出来なかった。
 彼は小説家としてのみならず,人間としてこの事実を恥じていた。男として生まれながら女の一人も惚れさせることが出来ず,一人悶々としている自分が哀しかった。男として女と愛し合うことが出来ないというのは,男として人間として何らかの欠点があるからであるかのように思われたのである。
 孤高に生き,女なんて関係ない,というスタンスの男が硬派であり,男らしいというのは世間でよく言われることだが,彼はそうは思っていなかった。逆に,女性というものを強く意識することによって「男らしさ」,男としてのアイデンティティが生まれてくるのであり,それがなくて「男らしさ」を演じることは単なる自己満足ではないのか,という思いを彼は持っていたのである。
 しかし,そう思うばかりで現実の彼はいつも一人で気張るしかなかった。対象の女性がそもそも存在しないのであるから手の打ちようがなかったのである。仮に存在したとしても彼の手腕では自分の信念を満足できるような結果をもたらすことが出来るのかどうかはもとより甚だ疑問ではあるのだが。
 最近毎夜悩まされる夢があった。
 高校時代に実際にあった,悪夢とも言える出来事だった。
 彼の高校は男子校だった。
 高校二年の時のバレンタインデー。
 彼は勿論何の意識もなくその日登校した。
 持ってきた教科書とノートと弁当をしまうために何気なく机の中に手を伸ばすと,覚えのない感触に当たった。
 何だ。
 彼はその小さくて固い物体を取り出した。
 それはハート型のチョコレートだった。
 彼が怪訝そうな顔でそれを眺めていると,坊主頭に紅でも塗ったような赤い頬をした男が寄って来て囁いた。
 それ,ぼくが入れたんだ。
 そして周りに悪ガキ達が群がって来て,口々に冷やかし,囃し立てた。
 入れた男はまんざらでもなさそうな顔で彼を上目遣いに見ていた。
 彼はどうすることもできないまま,ただ凍りついたように立ちすくんでいた―
 それは今にして思えば性質の悪い悪戯だったかもしれない。彼がどちらかというとからかわれやすいタイプで,なおかついつもからかっていた奴らとそのチョコレートを入れた男が友人同士だったからその可能性はかなり高い。
 ただ,この出来事が彼に,「同性愛」というものに対する過剰なまでの嫌悪感を植え付けたことは間違いのないことだった。そして同時に彼は「女性と結びつくべき男としての自分」を頑ななまでに意識するようになったのだろう。
 しかし,彼は女性と結びつくための方法論に関して,悲しいほど無知だった。
 現実ではどうにもならないもやもやをせめて発散できるのは,小説という虚構の世界だった。彼は虚構の世界に虚構の恋愛,理想の恋愛を形作ることによって辛うじて己の心身の均衡を保っていたのだ。
 そして今も…
 彼はその日,小説サイトに飽きた後,あちこちのサイトに飛んで適当に時間をつぶしていた。
 そこでぶち当たったのは,あるアダルトサイトだった。
 彼はアダルトサイトを今まで見たことがなかった。
 興味はあったが,何となくそこまでして自分の性的欲求を慰めるのは惨めな気がしていたから。
 しかし,その日は例の悪夢を見てしまったこともあり,女性に触れたい欲求がいつもよりも肥大していた。手段を選ぶ余裕が,その日に限ってはなくなっていた。
 そのサイトのあまりにリアリティ溢れる性表現に,彼はただ惹き付けられた。
 彼はその有料サイトの会員となり,日夜耽るようになった…

 

続きへ

バックナンバーへ