元相撲部の弟


弟が私の家に遊びに来た時の話。バイクで一旦自分の家に帰ったが、途中で私の家に戻ってきた。
「気分が悪いけえ、少し休ませてくれ。」
私の家から500メートル位離れたところで、ひどいめまいがしてバイクの運転どころじゃなくなり、戻って来たという。

弟はしばらく居間で横になっていたが、吐き気がひどくなってきた。最初はトイレで時々吐く程度だったが、しまいには便器をかかえて吐くようになった。

病院に連れて行こうにも、家に連れて帰ろうにも、弟は重くて、私一人では抱えて車に乗せられない。それもそのはず、弟は元相撲部。いくら私が丈夫でも、体重が二倍近くあり、ぐったりした「元相撲部員」はびくともしない。救急車を呼ぶ程の病状ではなさそうだったが、私一人ではどうしようもなかったので救急車を呼ぶことにした。

救急車が来た。私はあとから自分の車で救急車を追いかけるつもりだった。しかし家族の方も一緒に乗って下さい、と言われたので、私はあわてて寝間着をトレーナーに着替えて財布だけ持って救急車に乗った。救急車は近くの国立病院に着いた。支払いを済ませ、
「私の車を国病まで持ってきてほしい。」
と妹に電話した。当時まだ新免に近い妹に一人で運転させるには不安があったが、この際しかたがなかった。財布は持ってきたものの、タクシーで帰れる程は入っていなかったのだ。

妹に電話して、一件落着してほっとしたら、何か首まわりが窮屈な気がした。
「げっ、トレーナーが後ろ前だ。」

後ろ前に加えて、寝間着を着替えたつもりで私が着ていたのは、
洗い替えの寝間着のトレーナー。

待合室には他のお客さんもまだいる。私を見て
「この人寝間着だ」
と思わなかっただろうか。先生や救急士の人は
「こいつ、反対着とるわ。」
と思わなかったかなあ、と気になって仕方がなかった。今から考えてみると、気づいた時点でトイレで後ろ前だけでも着替えればいいものを、気が動転していたのだろう。妹が車で迎えにくるまで、後ろ前のまま着ていた。はずかしいなあ、もう。慌てると、ろくな事がない。


先日、弟がきた。時間はなんと夜中の3時すぎ。

四国の新居浜を昼過ぎに出たものの、30分も走らないうちに高速で車が故障。インター出口の1キロ手前で止まってしまった。自分が呼んだレッカー車を待っている間に公団の車に見つかってしまい、「公団指定のレッカーじゃなきゃだめです」としかられるはめに。そこで1時間位足止めを食らい、修理屋で2時間位待たされた。出掛けに言われた、
「河村君、今晩車で泊まるようになるかもしれんで。」
その言葉が本当になりそうで、いやな気がした。

スタートが3時間遅れた影響は大きい。それだけでもケチがついていたのに、夕方になって雪がひどくなってきた。おまけに乗って帰る会社の車は夏タイヤのままだ。

修理が終わって、高速に乗った。チェーン規制は出ていたが、知らん顔して走っていた。
「こんな所で下ろされたら、本当に車で寝るはめになる。」
しかし警察に見つかって、あえなく高速を下ろされてしまった。一般道は夜の雪で大渋滞。会社の車はラジオが壊れていて、交通情報はなし。そんな状況でコツコツ走ってきたものの、電話で家のまわりにはすでに雪が何センチか積もっていて帰れないことがわかった。
「ゆかりのところに泊めてもらえ。」
母にそういわれてうちに向かったという。母から弟が泊まるから頼む、と電話があったのが夜2時。来たのが3時過ぎ。にぎやかなヤツである。

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