お待たせ大王


うちの家は父(大工)と母(元スーパーの女)と弟(元相撲部)が夜間休日を利用して建てた。我が家の建築工事をしているときの話だ。

その日も家族3人が現場に行っていた。私が夕方5時に家を出て、5時半に工事現場に迎えに行く約束になっていた。車のある父だけ残って引き続き働き、母と弟は早めに帰ってご飯の支度をしようという算段だ。

3時ごろに大島の親戚から電話があった。
「今、徳山にいる。岩国駅に着いたら電話するのでミカンを取りに来てほしい。」
当時の私の家は岩国駅の2ブロック先、東口まで歩いて5分。駅に取りに行く位なら持って来てくれればいいのに。と思った。そして前にこんな事があったのを思い出した。


実はこの親戚、ミカンをくれるのはいいけど、くれ方の中途ハンパさが非常に迷惑なのだ。前にもミカンを15キロ位くれた事があった。受け渡しは岩国駅表口。(図を見てほしい。)表口というのが曲者。車で来るのなら東口でくれるか、家まで持って来てくれるのが親切というものだ。
東口側から表口側に行く方法は4つある。

1.駅から約500メートル先の三笠橋を渡るコース。
2.駅から約1キロ戻って昭和橋を渡るコース。
3.入場券を買って駅構内歩いて通る。
4.地下道を通る。

私と母は考えたあげく、4の地下道経由にきめた。地下道は入り口の階段に簡易スロープがついていて自転車が通れる。(しかし楽々ではない。自転車を持ち上げる程度の力がないと無理。坂が階段と同じ勾配で急なのだ。)

1.まず、自転車(一台)を表口まで運ぶ。
2.駅表口から地下道入り口までミカンを荷台にくくり移動、
3.入り口でくくりひもを解いて自転車とミカンを別々に地下道の階段をおろし、
4.階段の下でミカンを荷台にくくって、自転車を押して地下を約150メートル移動。
5.地下道出口でくくりひもを解いて自転車とミカンをそれぞれ階段の上にあげ、
6.階段の上でミカンを荷台にくくって家まで押して帰ったのだ。

図を見ると、「車なら家まで持って来てくれるのが親切というもの」というのが貰う側のワガママではない事がわかっていただけるだろう。


私が「駅で電話くれたら道順を教える」と言うのに、親戚は道が分からないとかなんとか言ってどうしても東口に来たがらない。私は今回は自分の車があるからいいか、と思って承知した。(自転車で運んだのは免許を取る前の話だった。)3時に徳山なら、5時に工事現場に向け家を出るのは可能だ。私は電話を待つことにした。

4時になり、そろそろ電話があるだろう、と思っていたが電話は黙ったまま。そして5時が近づいて来ても一向に電話は鳴らない。
「5時には家を出んにゃ、現場に5時半に着けん。」
私は段々あせってきた。5時を5分過ぎても10分過ぎても連絡はない。
「あーもう絶対遅刻。待っているだろうなー。」
5時15分を過ぎ、どうやっても母たちとの約束の時間に着くことは不可能になってきた。それで電話で連絡しようとした。当時は携帯電話はなく、うちの家が団地の一番最初の工事だったのでまわりに家はない。しかたがないので待ち合わせ場所に最も近い家を地図で探し、名前を調べて電話した。
「・・・こんな感じの親子が大荷物持って、お宅の前の橋の所に立っていないか、見てもらえませんか。」
見に行ってもらったが、誰もいないとのこと。そうこうするうちに5時半を過ぎた。
「もう約束の5時半だ。来ないので怒っているだろうな。」
私はイライラしながら親戚からの電話を待っていた。そしてとうとう6時になった。
「6時なら、ミカンの約束を無視して、現場に迎えに行っても帰ってこれたなあ。」
イライラしすぎで胃が痛くなってきた。しばらくして、母と弟が自力で帰ってきた。弁当箱などの荷物は父の車に置いて、サイフだけ持って汚いカッコのまま電車に乗ったという。私が途中で事故でもしたのではないかと心配したというのだ。

私は4時ごろにあるはずの親戚からの電話をずーっと待っていたと話した。私は話しながらかなり怒っていた。そのとき電話がかかってきた。
「今、岩国駅に着いた。表口まで取りに来てほしい。」
電話を取った私の血相が変わっていたのを察知した母は、
「あんたは取りに行かんでいい。私と恒洋(弟)で行く。ゆかちゃんは行かんでええ。」
母と弟はかつて私と母がしたように、自転車でミカンを取りに行った。母は私が行くと絶対ケンカになるぞ、と思ったのだろうか。

ミカンを取りに行った母の話によると、親戚は高速で降り損ねて先に広島へ行ったとのこと。それなら次のサービスエリアなり、広島なりで電話しろよ!。これは私が最も怒っている話のひとつだ。「お待たせ大王」の話は10年位前の話だが、今でも書いていると腹が立ってくる。

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