観念した日


私が実家を夜11時頃に出て帰る途中の事だ。私の車(サイノス)は塗装に出していて、その日は修理屋の代車を借りていた。実家を出て5分位走って、少しエンジンの噴けが悪いかな〜と思った。しかし後ろに他の車はいないし、迷惑かかるふうでもないのでゆっくり走っていた。走る途中、サイノスを買ってすぐの夜もトラブルがあった事を思い出した。


新車を買って2日目、実家に行った帰りにそれは起こった。エンジンに負荷がかかっていないとなぜかエンストするのだ。私の車はマニュアル車なのだが、クラッチを底まで踏むと、普通はアイドリング回転数のへんで回転計の針がフワリと止まるのだが、なぜか一気に0まで落ちる。走行中のエンストは危険だ。ブレーキの効きは悪くなるし、ハンドルは重くなる。私は惰性で走りながら、時々止まるエンジンをかけながら走った。「なんとか家まで持ってくれ」と思いながら。実家から最初の10キロ位は国道とはいえ信号はほとんどなく、ギアを変える事もないので、不調ながら楽に帰れた。しかし残り5キロが問題だった。曲がり角と信号だらけなのだ。信号待ちでエンスト、ギアを変えるとエンスト。この「ギアチェンジの度にエンスト」はけっこう面倒だ。1−2−3とギアを上げるうちに2回エンストする。私は普通に運転する事をあきらめた。「信号で止まった場合はエンジンをかけて出ればいい。信号以外でギアチェンジをしなくて済むよう、ずっと2ndで走ろう。」かくして、深夜の町を延々2ndギアで走る、という騒々しい方法で家に帰ったのだった。

代車はますます噴けが悪くなってきた。気がつくと40キロ位しか出てないのに、アクセルを底まで踏んでいた。「いくら軽でもこれはないだろう」と思ったが、実家に引き返すには遠過ぎるので、「なんとか家まで持ってくれ」と思いながら前へ進んだ。

赤信号なので止まった。そして信号は青に変わったが、エンジンが全くかからない。中途半端な状態で止まっている訳にもいかない。私はまわりに車がいないのをいいことに、セルで転がして少しずつ車を前へ進めた。この交差点の信号を渡り切った所はコンビニの駐車場なのだ。ここに入れれば、とりあえず邪魔にはならない。

信号が変わり終わる前に何とかコンビニの駐車場に入れることができた。夜11時15分。私は「こんな夜中に、こんな所に止まってしまってどうしよう」と思った。何度やってもエンジンはかからない。仕方がないので実家に電話して応援を頼む事にした。たまたまここには公衆電話がある。父が来るまでとても寒かった。真冬にスーツ1枚でヒーターなしはキツかった。電話があってすぐ家を出れば10分程度で来られるのだが、寝ている父を起こして、着替えて、工具持ってなので、30分くらい後に応援が来た。父が来てすぐエンジンはかかったのだが、家に帰る途中、また止まってはいけないので、父は私の家までついてきてくれた。とてもありがたかった。無事家についたのを見届けて、父は実家に帰っていった。

たまたま今回はコンビニの前で故障したので電話が側にあったが、ここより他にはかなり離れた所にしか公衆電話はない。時間が時間なので、近所の家で電話を借りるわけにもいかない。もう少し後か前に故障していたら、真冬の真夜中、歩いて電話を探しに行かなければならなかった。このことは私に携帯電話を持つ決心をさせた。生まれながらの鉄砲玉(家を出て行ったきり、音沙汰ない人)もついに観念したのだ。

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