台風襲来


9月23日の夜、台風に備えて植木をかげにいれ、物干し竿を家の中にいれ、自転車を家と隣の家の倉庫の間に入れ…と準備万端。私は「よしっ、これで大丈夫。」と思っていた。台風が来ても大丈夫なのではない。私が厳重に準備すればするほど、台風はなぜかヨソを向いて行ってしまうのだ。

23日はテレビが終夜放送で台風情報を流していた。24日の早朝3時ごろから風が吹き始めると言っていたが、2時ごろはまだピューとも吹かなかった。これが本当の「嵐の前の静けさ」。ほんとに台風来るんかいな?と思えるくらい晴れた夜だった。

24日はちょうど台風が通勤時間帯に来そうだったので、いつもより早く家をでる支度をしていた。朝7時頃電話がかかってきて「台風がおさまるまで出勤を控えるように」とのことだった。私はおべんとうまで作っていたのだが、出勤をとりやめた。さーて何をしようかな。朝からワイドショー見てもしかたがないので、台風情報を見ながらアイロンがけをする事にした。

一番風がひどかったのは9時ごろ。おまけに風が強いと言われる進行方向の東側だ。窓から下葉を刈ったナンテンが鏡獅子の獅子頭のように葉をグルングルン回しているのが見えた。ナンテンの木が物干し台に当たるので、ちょっとヤバいなーと思い、外に物干し台を倒しに出た。今までの台風ではビクともしなかった台だが、今回はちょっと危機感を感じた。玄関を開けるとドアをもぎとられそうな風が吹いて恐かった。私は、物が飛んで来て窓ガラスが割れない事と、向かいのアパートの屋根瓦が私の車の上に落ちない事を願って、台風が過ぎ去るのを待った。

そういえば、8年前にも大きな台風が来たっけ…。


8年前の台風の話。

この日は次の日の劇団(前いた劇団)の小公演を控え、終業後、職場のワープロでチラシを作っていた。何回も停電するので、5字打っては保存、5字打っては保存、という気の遠くなる作業をしてチラシを作った。前に作ったチラシの日付を変える程度の簡単な変更だったと思うが、かなり時間がかかったと思う。そして何とかプリントアウトしたところで完全に停電。

暗い職場の窓から外を見ると、岩国基地の明かりが見えた。「基地はまだ電気が来ているんだ…」と思った。窓の側に立つと、かなり厚い職場の窓ガラスが風でゆがんでいるのを感じた。停電してしまったし、職場にこれ以上いてもらちがあかないので帰った。エレベーターは当然動かない。階段を降りようにも階段灯が消えたままなので、5階から1階まで降りるのも一苦労。職場の大きな懐中電灯を肩に掛け降りた。この時の台風はピークが夜7時か8時ごろで、私は一番風雨がひどい時間に帰った。木の枝や看板が道路を転がり、信号は停電で消えている、という危険な状況のなか車を運転して帰ってきて、自分が飛ばされそうになりながら外の物干し竿を降ろして回った。家に着いても相変わらずの停電だが、幸い電話は通じたので、ロウソクの明かりのなかあちこち電話しまくったのを覚えている。

それからラジオを聞いた。ラジオの天気予報はすごくわかりづらい。日頃テレビで絵と音で見ている天気予報が音だけになるとこんなにわかりにくいのか…あらためてテレビの有り難みを感じた。ラジオを集中して聞くのも結構大変だったので、寝る事にした。翌朝おきたら電気がついていた。停電してスイッチを切らないまま寝てしまったようだ。電気が来ないと炊飯器が使えない。パンの買い置きがなかったので、朝停電したままだと困るなと思って寝たのだが、早く電気が来てよかったと思った。(他地区は次の日も停電したままの所があった)


昼ごろまでうなっていた台風だが、「台風一過」とはよく言ったもの。24日も夕方には夕焼けまで出て、何事もなかったかのように静かな夜になっていった。9月24日は中秋の名月。この日に合わせてススキを取りに行こうと思い、穂が開いてないススキの生えている場所までチェックしていたのだが、台風騒ぎですっかり忘れていた。(24日の夕方なら十分取りに行けたのに、ススキの事を思い出したのは、27日の夜だった。)

今回は準備してなかったらどんな事になっていただろうか。幸い我が家は植木鉢が一つ割れ、ナンテンの木が1本折れた程度ですんだが、ご近所の地植えの花はグジャグジャになっていた。ミニヒマワリは寝そべり、昼でも咲く高級な青いアサガオは潮風で葉がクシュクシュになり、家の方がかたづけておられたが、うちのまわりを見る限り、8年前の19号台風ほどひどくはないと思われた。

だが他のひとの話を聞いて驚いた。劇団の女の子の家の横の川は氾濫しそうになっていたし、岩国市役所の2階渡り廊下の屋根が吹っ飛んで隣の眼科の屋根に上がる。最近引っ越したマンションの窓から雨水が入るので、雑巾で押さえていたのだが、14階の風当たりはすごく、サッシが曲がるのが感じられて恐かった。ルース台風やキジヤ台風(注…1950年(昭和25年)錦帯橋がキジヤ台風で流された)かと思う位錦帯橋周辺の水位が上がっていた。などなど…。

今回特に目についたのが大木の被害。25日に自転車で走っていたら、米軍の野球場に植えてある直径30センチはあろうかというモミの木が根こそぎ倒されていた。海から吹きつける強烈な風をまともに受けて、工場のフェンス際に植えてあったキョウチクトウがどれも工場敷地側に傾いて、何本か折れていた。今までキョウチクトウで隠されて敷地内に何があるのか見えなかったのだが、台風で折れたりスカスカになってしまった工場の生け垣を透かして、ゴミの仮置き場が見えた。

倒れた大木を見て、我が家の窓から見た表情とは違う、台風の本性を見た気がした。恐るべき台風のエネルギー。岩国は比較的台風が来ないのだが、沖縄や鹿児島など毎度通る所はいったいどうやって台風をしのいでいるのだろう。家の被害もあろうが、植木の養生だけでも大変そうだ。

 

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