大根の話


生大根の話

先日実家に帰ったら畑に大根が育っていた。畑と言ってもうちは農家ではなく、広めの庭の家庭菜園で作っている程度なので10本〜15本位だろうか。よく葉が繁っていたので私は母に声をかけた。
「まあ、奥さん、上手に大根を植えてとるじゃ。」
母は笑っていた。何で親子で「まあ、奥さん」なのか。その理由とは…。

私が中学生の頃、もっと街なかの家に住んでいた。その家にも小さな庭があって、発泡スチロールの箱のプランターでネギとかニラとか、春菊やパセリ等を作っていた。母はチャレンジャーで花以外にいろんな物を作って楽しんでいた。

ある日、母が深さ10センチ位の発泡スチロールの箱のプランターから、30センチ位の長さの大根を抜いた。それをたまたま見ていた近所の奥さんが
「まあ、奥さん、上手に大根を植えとってじゃねえ。」
と言った。10センチの深さの土に大根を斜めに植えて、30センチの大根を収穫するとはすごいと思ったのだろう。

母は吹き出しそうになるのを必死でこらえていた。母は大根を「植えた」のではなく「埋めた」のだ。いただき物の大根がダブった日があって、「ゴボウを土に埋めると長持ちするように、大根でもイケるかも。」と思って、大根を斜めに土に埋めたのだ。近所の奥さんが通りすぎてから、母は爆笑していた。以来、母が大根を植えていると、「まあ、奥さん、上手に植えて。」と私たち兄弟誰かが必ず言うようになった。


干し大根の話

私が小学生の頃、小さなアパートの1階に住んでいた。庭はなかったが、アパートの通路を端から端までうちの植木が占領していた。アサガオとかヒョウタンとかヘチマとか大きな物も植えたりして、結構ここでも園芸を楽しんでいた。家の前に大きな物干しを作り、(置くではなく作るのだ)その下には夕涼み用の長椅子があった。椅子の後ろには植木がたくさん置いてあった。物干しは今時の平行棒のように竿をかけるタイプではなく、上下2段に竿をかけるタイプだったが、上の段も夕涼み椅子に上がると子供の私でも簡単に取り込めた。

家の前の物干し竿にザルが吊るしてあって、そこに細切りの大根が乗っていた。切り干しを作るためだ。当時、「洗濯物をとりこんでたたむ」と「夕御飯の洗い物をする」は妹と1カ月交代で当番になっていた。私はその月は洗濯物の当番で、洗濯物を取り入れる時、大根のザルに気をつけていた。その時靴下を片方、植木の中に落としてしまった。取り込んだ洗濯物を一旦家に置いて、靴下を取ろうとした。しかし鉢と鉢の間に落ちて、なかなか取れなかった。長椅子と鉢をのければいいのだが、横着して長椅子越しに鉢の上からのぞきこんで取った。

取ったまではよかった。体を起こす時、頭が大根のザルに当たった。切り干しが半分位こぼれてしまった。私はあわてて拾ってザルに戻した。最後の一つかみを持って「さあ、これで終わりだ。」と思って体を起こした時、背中がザルに当たった。今度は切り干しが全部こぼれてしまった。これを見ていた母が、「あんた、何をしよるんね。」と言って、大根を拾うのを手伝ってくれた。

今度は物干しの下の長椅子と鉢植えをどけて、本格的に2人で拾った。今度は母が体を起こした時ザルに当たってしまい、拾った大根がこぼれた。私と母は大笑いしながら大根を拾った。あんまり笑いすぎて、体がよろけ、またザルに当たって大根がこぼれた。これを2〜3回繰り返しただろうか。なんとか大根はザルに戻った。何度も落としたので大根は泥だらけ。一旦干した大根だが、または洗って干してのやり直しだ。私たちは笑いすぎて疲れてしまった。二人で言った。
「私らは一体何をしよったんじゃろうね。」

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