35度


うちの祖母がまだ大島にいた頃の話。私たちは家が近い事もあって、墓まいりに行っては寄り、泳ぎに行っては寄り、ミカンを取りに行っては寄り、釣りに行っては寄り、としょっちゅう祖母の家に行っていた。他の親戚が大阪や福岡で、お盆とお正月にしか帰ってこないので、近くにいる私たちは特別かわいがってもらったように思う。

夏休みなどは、お盆の1週間前からいて、1週間後までいた。祖母は黙っていたが、ハッキリ言って迷惑だったと思う。私たちはイタズラが大好きで、じっとしていない。65才をすぎてワンパク3兄弟を一人で任せられるのは結構キツかったはずだ。当の私たちは、母といると叱られるが祖母は叱らないし、遊ぶ所がたくさんあってのびのびできる祖母の家の方がよかった。祖母の家は広かったし、大きな柱時計や障子、かび臭いタンス、久賀農協の温度計、井戸、ゴエモン風呂など、うちにはないおもしろい物がたくさんあった。

夏、私たち兄弟は海に泳ぎに行きたくてたまらなかった。祖母の家の前の小川は水深が10センチぐらいしかないので、赤ちゃんの水遊び程度。少し離れた大川は水はたっぷりだが、流れが早いので、街中育ちの私たちだけで遊びに行くのはちょっと恐かった。(母は小さい頃から遊んでいたようだが)

街に買い物に行くと、通りを1つ隔てて海。私たちは海に行きたくて行きたくて、買い物に行く度に
「ばあちゃん、海行こうやぁ。」
「ばあちゃん、海連れてってー。」

を連発していた。私たちがあんまりしつこいので、祖母は一計を案じた。

「温度計が35度になったら、海に行こう。」

私たちは温度計の前に座って35度になるのを待った。家の外は煮える暑さなのだが、わらぶき屋根の家の中はヒンヤリして、なかなか35度にならない。私たちは悪知恵を絞って、温度計を外に出し、アスファルトの上に置いた。案の定あっと言う間に35度を突破。でも温度が上がり過ぎて不自然なので、すこし冷まして、ちょうど35度になったころ、
「ばあちゃん、35度になった。海行こうやぁ。」

まさか気温が35度にはなるまい、と思っていた祖母はがっかりである。約束なので、しかたなく海に連れて行ってくれた。

帰って母にこの話をしたら「もうばあちゃんに海へ連れてけ言うちゃいけんよ」と言われた。よく考えてみると、末娘の子供を3人預かるだけでも大変なのに、海に連れていって溺れさせては大変だ。また事故がなくても自分が泳ぐわけでもなく、日陰のない浜でじっと待っていなければならない。祖母にとって、海への引率は心配と暑いばっかりで何もおもしろくないのだ。本当に祖母には悪い事をしたと思う。

あの日無理やり35度にされた久賀農協の温度計は、今、私の家にかかっている。

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