乗り物酔い生活


遠足バスでゲロ事件

私は乗り物酔いがひどい。仕事で出張しても乗り物酔いで初日は役に立たないこともある。昔、萩まで公用車で何人かで行った時、当時中国自動車道はないので山奥ばっかり通って行った。山道を飛ばす飛ばす。私は頭はグルグル。たまたま私は着いた初日は夕方まで用がなかったので、ゆっくり休憩して(と言ってもホテルのロビーでノビてただけ)体調を持ち直し、次の日仕事に復帰した。他には島根に出張したとき、岡山から伯備線かなにか、ものすごくカーブが多い揺れる電車で吐きまくり。車中をほとんどトイレとトイレの待合で過ごした。当然着いてもすぐには役にたたなかった。まだまだある。山梨に旅行に行ったとき、名古屋から中央線に乗ったのだが、これがまた揺れる揺れる。夜まで頭がグルグルしていて、せっかくのコース料理を堪能できなかった。仕事の帰りにバスに乗ってもバスのにおいに酔ってしまい、気分が悪くなって途中下車。そこから歩いて帰る事も。

そういうわけで、私は自分で運転しない車の中では爆睡することにしている。そんな私だが、子供の頃は車酔いしないのが自慢だった。私が乗り物に酔いはじめたのは、遠足がきっかけだった。

小学3年の時の社会見学で「岩国1周」があった。普通の社会見学は、広島のキリンビールやマツダを見に行ったりという、遠くの1社を見に行くのだが、今回は岩国市の施設見学をして回るというもの。一文字下水処理場と第二工場(し尿処理場)に行ったのは覚えているが、他にどこに行ったのか覚えていない。

学校では、遠足に出る前にはいろいろ注意事項がある。「酔いどめを飲んで来るように。」、「ミカンとチョコレートは酔いやすいので、酔うひとはおやつに持って来ないように。」、「酔うひとは、ビニール袋と新聞紙を忘れないように。」新聞紙をジョウゴの形に折ってビニール袋にさし、通称「ゲロ袋」を作るのだ。

今回は、ちょこっと走って見学、ちょこっと走って見学なので、車中で寝る間がない。今から考えるとこれが敗因だったに違いない。一日中「市中引回し」にあった私は酔いまくり。バスの中で吐いた吐いた。ガイドさんにビニール袋をもらうまで、たまたま持って来ていたタオルで受けるしかなかった。ミカン食べるわチョコレート食べるわ、酔いどめ飲んでないわ、ゲロ袋持ってないわで、先生に随分叱られた。「どうしてビニール袋を準備して来ないのよ!」

そんな事言われても、今まで酔ったことないのに、持ってくるはずないじゃないかー。言い訳は受理されるわけもなく、この日の社会見学では酔った事しか覚えていない。いまだに何を学習したのかサッパリわからない。

この日から、私の乗り物酔い生活が始まったのだ。


酔う間もないほど恐い

私は船にも酔う。大島大橋ができて航路は廃止になったが、子供の頃は通津から久賀までフェリーが出ていた。大島に行く時もフェリー客室のにおいが嫌で、冬でも外のベンチに座った。「遠足バスでゲロ事件」以来、乗り物に乗るときはちゃんと酔いどめを飲んでおくのだが、家にある小さな漁船はどこに乗っても外と同じ。乗り物酔いの私でも唯一酔いどめを飲まないで乗れる乗り物だった。

前島(大島郡久賀町前島)に父方の墓とおばあちゃんの家があって、そこに行った時の帰り、海がシケはじめた。船が揺れて、私と妹が海に飛ばされてはいけないので、父は船の先っちょの物入れに入っているように言った。私たちは嫌だった。そこは魚釣りの道具なんかが入っていて、クサイ。蓋を閉められると真っ暗だし、釣り針が落ちていたり恐いので、私たちは蓋から顔だけ出していた。

船は揺れに揺れた。横揺れだけではない。見たわけではないが、船は飛んでいた。船が波の尾根に乗り上げ、ダーンと船首から波の谷に落ちる。父は船の中でも重いエンジン室にいるのでそんなに揺れを感じなかったかもしれないが、私たちは軽くて最も揺れの大きい所にいる。生きた心地がしなくて、顔だけだした物入れに入り口をしっかりつかんでいるしかなかった。

私は久賀(前島から約6km)に船をつけるものだと思っていた。やっと着いたのは通津(前島から約8km)の港。父が通津に船をつけたのは、通津に車を置いていたからだったのだが、私たちは久賀に船をつけなかった事に怒った。陸に上がってからも地面が揺れたし、膝が笑った。港にいた人が、「よくこれで帰って来れましたね」と言った。見ると海は一面の白波。あらためて怖くなった。距離にしたらたいした事ないのだが、私たちには何時間もかかったように思えた。酔う間もないほど恐かった。


(後日談)
後から聞いた話だが、帰ってから父は母に叱られていたようだ。一番近い港は神代(前島から約5km)なのに、何で子供だけでも神代で降ろして電車で帰さなかったのか。船を置く所がなければ、久賀に帰ってバスと電車で一緒に帰ってもよかったじゃないか。そんなことは夢にも思いつかず、真っ直ぐ帰る事だけしか考えないのが父である。

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