仏様の受け取り拒否


私の家族は朝、仏壇に線香を1本あげてから家を出ることにしている。子供の頃からずっとそうだったので違和感はない。しかし、うちではまだ誰も死んでいないので、ご立派な仏壇や位牌はない。「仏壇スペース」と決めた所にあるのは御札や過去帳。独立して実家を出る時、過去帳は書き写してもって出た。実家を出たとたん、今まで子供のころからずっとやっていた「線香1本」の習慣を捨てるのが気持ち悪かったのだ。

実家でも過去帳しか置いてない仏壇に水や花、ご飯を供えていた。私もそうしている。この仏壇、不思議な力を持っている。実家では、母がご飯をあげるのを忘れたら弟が藤棚に登って落ちてケガをし、別件では私がカバンを落した。こじつけのような話なのだが、弟が落ちた時は、ご飯をあげなきゃなあ、と思って何日も忘れ続けていたのである。昨日もご飯をあげていないのがわかっていながら、なぜか今日もあげられないのだ。幸い弟は藤棚の下のコンクリートベンチ2基の間の土に落ち、骨折程度ですんだ。しかしベンチとベンチの隙間は1メートル程度。ちょっとズレていたら弟の命はなかった。母はご飯をあげられなかった事を思い出し、「このままでは弟の命が取られる。」と思ったという。

私がカバンを落した件(先月この話をちょっとしたが)では、スーパーで買い物したあと駐車場で屋根にカバンを乗せたまま発進したのだが、その前に私はカバンを落としそうだと思った。いつも私は車の鍵を開ける時、地面に買い物もカバンも置く。しかしその時だけは買い物を地面にカバンを屋根に置いた。そして「前にも屋根に乗せてポスターを落したことがあったな。」と思った。それでもカバンを屋根に置いた。私の力ではどうにもできない力が働いて、何がなんでも私がカバンを落さなければならない運命にハマっているようだった。私はピンときたので、母に何か変わったことはないか、と夜11時半ごろだったろうか電話したら案の定であった。

今まで不思議なことが起こるのは実家の仏壇ばかりだったのだが、うちの仏壇でもおかしな現象がおきた。温め直しのごはんはいらない、というのだ。うちは2日に1回しかごはんを炊かない。ケチな話であるが、1日1合では釜やしゃもじについて捨てられるご飯の量もばかにできない割合になる。2日で2合にすれば、しゃもじにつく量だけでも1回分になる。そういうわけで、仏壇のごはんも2日に1回温めごはんになる。それである日、温めごはんをあげたら、置いた直後に入れ物が倒れて中のご飯が出た。「今日のごはんは固いなあ」と思って、弁当に入れるのは炒り卵ごはんにしようと思っていた。仏様は「固いごはんはいらない。自分も卵ご飯がいい。」と言っているようだ。卵ご飯にしたらちゃんと受け取ってくれた。他にはあげる時に仏壇の柱に入れ物をぶつけて柱にご飯がべっとりついたことがあったし、時々ご飯の受け取り拒否をする。

そういうわけで、うちの仏壇にはご飯以外の物がよくあがっている。新しく作った物をあげるのだ。それはおかずだったり、ラーメンだったり、お好み焼きだったり、何もない時はお菓子だったり。友人が見て「仏壇に変わった物があがっている」と言う。やっぱりヘンなのだろうか。でも大切なのは「あげようとする気持ち」なので、私はあげるものは何だっていいと思う。

何かここまでの話では、わが家は特別信心深い家族のように見えるが、実際はそうでもない。実家だって、父はお大師様信仰、母の実家は浄土真宗で母は一時立正佼成会にハマる、という支離滅裂な状態。うちも仏壇に置いてあるの立正佼成会で買った教典(南無妙法蓮華経)なのに、日頃口にするお題目は「南無阿弥陀仏」なのだ。それでもいいと思う。私は「仏は我が心に住む」と思っている。どのように手厚く供養しようと、それは自己満足にすぎない。それで仏様が本当に喜んでいるかどうかなんて誰にもわからない。供養する方法、あげるお経の種類は宗派によって違うが、大切なのは「供養しようとする気持ち」で「方法」ではないと思う。仏様を拝む事は、仏様が喜ぶのではなく、拝んだ自分が満足するのではないか。自分の考え方や行動が、満足することにより拝む前と後とでは微妙に違っていて、後の結果が違ってくるのではないか、そう思うのだ。

出張や泊まり掛けで遊びに行って、朝、仏壇にご飯も線香もあげられないとき、「あー、仏様お腹すかせているだろうな。」と思うことがある。そういう時は帰ったらすぐ線香をあげ、水をかえる。時々、キライなご飯にイヤイヤをする仏様であるが、私は私なりの方法で守っていこうと思う。

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