そんな夏の日


8月7日、友人が亡くなった。8日の昼休みに電話があって知った。故人はネットの友人で、実際に会ったこともなく、写真を見たことも、電話で話したこともなかった。掲示板に書き込んだり、メールをやりとりしたり、パソコンで打ち込んだ文字しか知らなかった。忙しい人で、掲示板にも1年に数度しか顔をださず、うちに来るメールも年に1〜2通だが、個性的な人でミョーに存在感のある人だった。彼には私の劇団のミュージカルのビデオを貸していたのだが、5月に返してくれた。その中に、彼のお気に入りのCDをコピーしたの物が一緒に入っていた。CDケースの柄は自分で探して作ってくれたもの。そのCD、曲はかっこいいんだけど、すごくマニアックで、彼らしいな、と思った。まさか、そのCDが形見になってしまうとは。

お葬儀はうちからかなり遠い所であったので、連絡をくれた友人にお香典を建て替えてもらって行かなかった。しかし、後になって「行かなくてよかったのかな?」と思った。連絡をもらってすぐ休みをとって、新幹線と電車をのりつげば、葬儀までには行けたはず。葬儀を逃したらもう会えないのに。ギリギリなんとかなるかもしれないタイミングで連絡が入るということは、彼は来てほしかったんじゃないかな、と。

同じようなことが前にもあった。お香典をことづけてお葬儀に行くまいと思っていた。しかし、香典袋を書き損じたり、渡しそびれたり、なんだかんだ重なって結局行くことになった。これは行くことになった、ではなくて呼ばれたのだ。絶対来いと。

仕事から帰って亡くなった彼にメールを打ってみた。返事があるわけはなく、誰も見ないだろうメール。以前、共同経営のホームページに死亡広告を出した人がいて、私は相方が死亡広告を出したのだと思ってメールを出してみた。「天国の○○さんへ、…(中略)…まさか、返事が帰ってくることはないよね。」。そうしたら、返事が来た「天国より河村さんへ」。そいつの死亡広告は悪い冗談だったが、今回もなんか返事が来そうで、いや、来て欲しくて。

その夜、ミュージカルの稽古に行った。故人は今年の作品も楽しみにいている、と言っていた。楽しかったとか、おもしろかったとかそういう感想の多い中、彼は仕事がら厳しく作品を吟味してくれたし、嫌な事も言ってくれる貴重な存在だった。「そうだ、あのCDを稽古に持って行ってみよう。」私はCDをバッグに入れて出かけた。「まだ未完成だけど、こんなもんだよ。」

葬儀の日、仕事をいていたら、11時すぎにナガサキ原爆忌のサイレンが鳴った。「ああ、もう少しで出棺だなあ。」と思った。仕事の手を止めた。私は今ここにいる。昨日の昼から休んでいれば、今行われている葬儀の場にいることもできたはず…。これでよかったのか、これでよかったのか…。

私は彼について何も知らなかった。後から話を聞いてみると、結構苦労の多い人生だったようだ。私と同い年の早すぎる死。亡くなる2日前には今年初めて掲示板に来て話してくれた。彼が発言の最後につけた「そんな夏の日です」という言葉がちょっと流行って、みんなが最後に「そんな夏の日です」をつけたっけ。今となってみれば、彼が楽しみにしてくれていた今年のミュージカルを力一杯演じるしか、私にできることはない。しかし辛口の批判は、今年からはもう聞けない。さようなら、カモちゃん。享年36才。安らかに眠ってください。

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(パソコン故障のため、ガラクタ展は2002年9月〜12月は休載です)