心臓が止まるほど


よくオバケが見えるという友人がいる。彼女と私たちは広島の地下道で女の子の刺殺事件があった後、知らずに偶然現場を通りかかった。彼女は突然「うわ〜〜〜〜、そこそこ〜〜。」と言いながら地下道走りだした。一緒にいた私たちは訳がわからないまま、「何?何?〜〜」と言いながら走って追いかけると、地下道の枝道に花束が供えてあるのが見えた。そこで初めて私たちはそこが先日の事件現場であったことを知るのだ。もちろん走り始めた所からは花束は見えない…。

また、私たちがミュージカルの練習で使っている建物は、よくオバケが出るともっぱらの噂。見える人には見えるもので、私たちの稽古をガラスの扉ごしによく覗いていたりするそうだ。場所も場所で建物は戦時中は爆弾の穴だらけになっていた現場だ(そこら一面蓮のように爆弾の穴だらけだったので、100m200m離れても事態は変わらないが…)。岩国は終戦間際の8月14日、大空襲にあっている。地面に穴があいてない所がない位の絨毯爆撃で、一説には、終戦が決まって米軍が爆弾を捨てていったとの話もある。そのため岩国は小都市の割には爆死者が多い。そういうわけで、オバケは出るべくして出た、とも言える。

私は子供のころは霊感が強かったそうだ。数えで7歳の頃、真夜中に鍵を開けて家を抜け出し、よく外で遊んでいたらしい。私の不思議な行動に気づいた母は、私に何で外に行くのか尋ねると「お友達が遊びに来る」と言ったそうだ。霊感が強く、ピンと来た母は私をすぐ拝みにつれていってくれた。そこで、団子とトウフを年の数ほど切って1つ食べ、船に乗せて乗せて川に流すように言われ、そうした。(ここまでは私は親に聞いた話なので覚えていない。私が覚えているのは大嫌いなトウフの大きかったこと。「お母ちゃん、もうちょっと小さく切ってくれよ〜。」と思って食べたことだけである。)それからは、特に何もない。たま〜に金縛りにあう程度で、大人になってからは霊感はサッパリであった。稽古に使っている建物で、霊感の強い人が見た見たと言っても、私には見える事はなかった。でも、今回は見えてしまった。首までしか見えなかったので男か女かわからないけど、白いピッタリした服を着た、痩せて小さい人が台所の前に立っていた。

その夜は雨で、霊感の強い友人と一緒に帰った。帰りの車の中で「今日は見えた」だの「ここの学校はすごく出る」だの、怖い話をさんざんしながら信号待ちで止まったいたら、運転席の窓を
「ガンガンガンガンガンガンガンガンッ」
と叩く音。

私は心臓が止まるかと思うほどビックリした。

窓を開けると、私たちの後ろを走っていた友人。伝言があって私を呼び止めたのだ。あまりのタイミングのよさに震え上がった。後からおかしくてたまらなかった。

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