ギリギリガールズ 舞子さんになる


5月の連休に京都に行った。目的は舞子さんになること。メンバーは毎度おなじみギリギリガールズ。ヨリちゃん、笑ちゃん、私。計画段階でなかなか企画会議が開けなくて、どこに行きたいか、舞子さん以外に何がしたいか、宿は値段とランクがどの程度まで許せるのか、とか細かいことが決まらず、時間だけが過ぎて行った。計画がほぼ完璧に固まったのは出発の2週間前。最終決定が遅かったので、帰りの新幹線の指定席がとれなかった。買いに行った時は京都からの空席は2枚しかなかった。「2枚じゃケンカになるなあ」と断念。しかし帰ってよく考えてみると、とりあえず京都から2枚押さえておいて、新大阪からもう1枚ないか聞くべきだったかも。次はそうしよう。GW中は車は動かないと聞いていたので、今回は電車を中心に移動。そのため時刻表とか下調べにかなり時間をとられた。沖縄のように車で移動なら、けっこういい加減というか行き当たりばったりでもいいのだが、乗換の時刻とかがあるので、そうもいかなかった。日程は次のとおり。

1日目
6時30分 河村家発
7時49分 新幹線に乗る
10時4分 京都着→奈良線に乗換、東福寺へ。東福寺で京阪に乗換、四条へ。
11時ごろ 変身舞子屋さん着、メイクと着付け、スタジオ撮影(所用2時間)、舞子さん姿で散策(1時間)
15時ごろ 歩いて清水寺へ向かう
18時ごろ 歩いて舞子屋さんに帰ってくる。
19時ごろ 四条→三条→三条京阪→二条城前、と乗り継いで宿へ。
20時ごろ 烏丸四条の店まで歩いて夕食
22時ごろ 烏丸通を歩いて宿まで帰ってくる

舞子屋さんに着いたら支度部屋に通された。肌襦袢を着たところ、肩がはだけまくりである。「こんなにはだけていいのか?」という疑問をもちつつ、メイク室へ。舞子さんのメイクはおもしろかった。白塗りがヒンヤリした。担当のメイクさんによって、説明をいっぱいしながらの人と、雑談をしながらの人があり、私の担当のメイクさんはいっぱい説明をしてくれた。アイラインを書く時に目を開けて印だけつけて目を閉じて塗る、というテクニックは参考になった。今まで私は目を閉じて塗れば塗りが足りず、目を開けて塗ればヨレたりはみだしたりしてなかなかうまく書けなかったのだ。メガネをはずしていたので他の人の事はよくわからないが、全かつらの私が一番早く支度が終わった。次は着物選びと着付けだ。私は左身頃が赤、右身頃が黒の着物を選んだ。なんだか右と左で違う写真が撮れそうで、お得な感じがしたのだ。そうこうしているうちに笑ちゃんやヨリちゃんも支度ができ、笑ちゃんは薄紫色、ヨリちゃんは黄色の着物を選んだ。

次はスタジオ撮影。ポーズの見本帳を渡され、どの写真を撮るか4ポーズ程決めてほしいという。私は番傘、扇、やや後ろ向き、おじぎ、の4ポーズを選んだ。カメラさんは毎日同じ写真を撮っているので手慣れたもので、番号とポーズを覚えているようだ。ささっと着物とモデルを直して1ポーズ2枚程度撮る。あとで出来上がった写真を見るまで気づかなかったのだが、スタジオの背景幕が黄色で、部屋写真はレトロ調になるように照明も黄色っぽい感じだった。それで黄色い着物のヨリちゃんは背景映えしない。スタジオの背景幕の色まで考えて着物の色を選ぶべきだった。これは次回の参考ということで。

スタジオ撮影を終え、外へ。すそをたくってくれたのだが、笑ちゃんのたくりようがミョーに多い。笑ちゃんのほうが身長が10p位高いのに、たくった上の長さがヨリちゃんと同じだ。店の外は普通の通り。人がいっぱいでじゃまなので1本裏道に入る。風情のある角や店先などでたくさん写真をとった。写真を撮りながら神社の境内のあたりに行くと観光客に「一緒に写真を撮らせてください」と言われた。一人撮らせてあげると、私も私もと、一緒に撮影希望の人がみるみる増えていき、ちょっとしたスター気分。外人さんともたくさん写真を撮った。どこか知らない国で、私たちの写真が「日本の舞子」として見られているんだろうなあ、と思うとおかしい。ガイドさんのついていた外人さんの一行とも撮ったが、ガイドさんは「これはニセ物の舞子さんです」と言っていた。バレている。ま、本物は昼間、カメラ提げてウロウロしてないっちゅーの。あとで舞子屋さんのスタッフに聞いたのだが、祇園には舞子屋さんがたくさんあるので、写真の撮影希望が一組の舞子さんに集中することはあまりないそうだ。私たちが舞子屋さんに行った時間は昼食時を挟んだ時間帯だったので人気がないのか、舞子姿で歩いている間、他の舞子さんは1人しか見かけなかった。ま、自分たちの時間は減ったけど、スター気分が味わえたのでよしとしよう

清水寺の境内にある地主神社に歩いて行く。地主神社は縁結びの神様でヨリちゃんの希望の場所。二年坂も三年坂も、清水寺から帰るお客が圧倒的に多く、私たちは流れに逆行するのでなかなか進めない。途中のイノダコーヒで休憩。私たちは昼御飯を食べてないのでメチャクチャおなかがすいている。しかしここでガッツリ食べると夕御飯が食べられないので、ケーキセットにしておく。私はナポレオンというケーキを注文したが、他のケーキもおいしそうだった。その日の一番の売れ筋はチーズケーキだった。地主神社の参拝時刻が17時までなのでささっと食べて急いで行く。

清水寺でおみくじをひいた。私は大吉だった。実は前の日、私は職場の戸のカギを壊してしまい、ちょっと気分がどんより重かったのだ。大吉のおみくじにちょっと救われた。地主神社には「恋占いの石」というのがあって、目をつぶって2つの石の間を行き来できれば思いが叶う、というのだが、狭い境内はとにかく人・人・人である。とてもじゃないけど、人にぶつからずに歩くのも至難の技なので、恋占いの石と一緒に写真だけ撮ってその場を離れた。清水寺の境内を順路どおりに歩いていると大きな石垣があり、そこで石垣によじ登る写真を撮った。舞子さん姿の時にあまりバカな写真が撮れなかったので、「この時こそは」と思ったのだが…。ギャラリーが多すぎてちょっとはずかしかった。

宿に着いて、夕食の串焼き屋さん(串くら)まで歩いて行ったのだが、行く途中の裏通りの普通の京都の家並みもおもしろかった。串焼き屋さんはすごく混んでいて番頭さんに「予約は?」と言われた。「ヒェー、予約がいるんかい」と思ったが、入り口で少し待って奥の部屋に通された。適当にバンバン注文して満腹になった割には値段は程々だった。中庭がきれいな店だった。帰る時には、何も言わなくても番頭さんが私たちの履物を出してくれた。テーブル番号のついた下駄箱でもあるのか?。これってちょっとすごいかも。店を出て、店の前でも記念撮影。宿まで歩いて帰ったが、地下鉄一駅分あるのにあっと言う間だった。途中コンビニに寄って、次の日の朝御飯を買った。明日は早いので、ホテルの朝食を食べていたのでは間に合わないのだ。その日は帰ってシャワーを浴びて、とっとと寝た。

2日目
8時12分 二条駅から亀岡に向かう
9時ごろ 保津川下り開始
11時ごろ 保津川下り終了、野宮神社まで亀山公園を歩く。
13時ごろ 祇王寺まで歩いて行く間に昼食。
時刻不明 祇王寺から嵐電嵐山駅まで行く途中にちりめん館に寄る
時刻不明 嵐山駅から太秦駅まで電車に乗って映画村へ。
19時ごろ 1日目の宿で荷物をもらい、2日目の宿まで歩いて行く。
20時ごろ 温泉にささっと浸かり、豪華夕食。
23時ごろ また温泉に入る。

朝6時半頃に起きて、各自で勝手にコンビニの朝食をとる。荷物をホテルに預けて地下鉄に向かった。(ホテルの人曰く、二条城前から二条まで歩くのは無謀だとのこと。)二条から亀岡に向かう途中、川を保津川下りのような船が下って行った。私たちは9時の朝一の便をめざしている。「あれはチャーター船かなあ」と話しながら見ていた。保津川下りは一応9時からだが、お客が多い時は9時前でも満員になり次第船を出すと聞いていたので、待たされると後の予定に差し支えるなあと思った。亀岡から船乗り場までの間に麦畑が広がっていた。時間があればここで写真をとりたいところだが、先を急いだ。船乗り場に着いて驚いた。ものすごい人なのだ。申し込みをしておいて、乗る順番になると放送がかかる。これだけの人がいていつまで待つんだろう、と思っていたが、案外早く順番がまわってきて、予定の9時頃には乗れた。船は3人の船頭さんが交代で漕ぐ。前に2人押し係と漕ぎ係、後ろに一人である。(後ろの人は見えないので、何をしているのかよくわからなかった。)この日は140人の船頭さんが全員出勤らしい。さすがはGWである。しかし川の水量が少なく、迫力はイマイチ。ずーっと流れがゆるやかであった。私は酔いどめを飲み、カメラが水しぶきで濡れるだろうと思って、防水ズボンにカッパ持参。余裕こいて写真を撮りまくっていられるのも最初のうちかなーと思いながら、余裕あるまま着いてしまった。カッパも防水ズボンも出る幕はなかった。

船を降りて亀山公園を歩いて抜けて野宮神社へ。このあたりの写真から「飛び」が出てくる。どこでもかしこでも飛びまくっている。最初はなかなかタイミングがつかめなくて、シャッターが切れる度にギュッと着地したマヌケな写真がとれた。亀山公園から野宮神社の間は竹林が美しく、大きなタケノコがたくさん出ていた。野宮神社も縁結びの神様でヨリちゃんのリクエストの場所。小さい神社だがすごい参拝者数だった。野宮神社をあとに祇王寺まで歩く。祇王寺はN社のコーヒーのCMに使われたらしく、インスタントコーヒーの試供品をくれた。寺の中にも、CMに使われた説明があった。木漏れ日が美しい苔の庭。私たちはそこでも飛んだ。どこまでもバカである。

祇王寺から嵐電嵐山駅に行く途中にオルゴール美術館があり、ストリートオルガンを外で鳴らしながらピエロが客引きをしていた。人通りもすごいが、一日中この音では近所の人は辛いだろうと思った。ちりめん細工館でお土産を少し買い、映画村へ。

映画村では、私のデジカメが電池切れになってしまったので、ヨリちゃんと笑ちゃんのカメラだけで撮る。最初入ったところで花魁道中をやっていて、花魁と写真を撮った。ここでもバカな写真を撮る。飛ぶのはもちろんのこと、お風呂に入ったり、厠にしゃがんだり、米泥棒をしたり、かなり歩きまわって休もうとのれんをくぐると、お侍が休んでいた。なぜかおかしかった。この中でも究極のバカは、お侍を捕まえて「一緒に写真を撮ってください。切られたいんですけど。」私は首を切られる写真を撮った。ヨリちゃんが「後ろから切ってくれ」と言ったら、お侍が「それじゃ私が悪い人みたいじゃないですか。白刃取りにしましょう。」と言って真剣白刃取りの写真を撮った。私たちのリアクションぶりにまわりのお客がかなり喜んでいた。私たちは女優である。人を楽しませてナンボである。映画村は着物で来ると入場料が半額になるらしい。今度はホテルからずーっと忍者姿で来るか?とバカな事を言いながら映画村を後にした。

ホテルで荷物を受け取り、次の宿まで歩いていく。今度の宿は滝が見える温泉が自慢の宿だ。今日は歩き疲れたので温泉はありがたい。宿に着くなりまず温泉。他のお客は食事の時間だったので、私たちの貸し切り状態。自慢の滝も流れていてなんかちょっと得した感じである。(私たちはインターネットで温泉の滝を見てこの宿に決めた。)温泉から上がって豪華な夕食。部屋食で、刺身、あんかけ豆腐、ステーキ、串揚げ、茶碗蒸し、お吸い物、若竹煮、小さい重箱にちまきなど、久しぶりの和食フルコースである。私たちはガンガン食べた。宿の仲居さんがなかなかステーキの火を着けにこないので、私は食べ終わった海老の尻尾でガスの火を取り、勝手に火をつけた。焦げた海老を見て、仲居さんは「ははん、これで火をつけたな。」と思うことだろう。食べながらも私たちはバカな写真を撮る事には余念がない。笑ちゃんはあまり飲んでいないのに、結構真っ赤になって、ヨッパライのオッサンである。食事のあと、またゆっくり温泉。昨日はユニットバスでシャワーを浴びただけなので、今日は温泉でしっかり疲れをいやす。昨日も今日も歩きづめ。で、明日も歩くのだ。

3日目
9時ごろ 六角堂で京都のへそと写真を撮る。
9時30分 烏丸御池→三条京阪→三条→出町柳と乗り換えてコンペイトウ屋(緑寿庵清水)へ。
10時ごろ 銀閣寺へ
14時ごろ 烏丸御池の近くの老舗そば屋(尾張屋)で昼食。
15時ごろ 藤森神社の駆け馬を見る。
17時ごろ 駅ビルで買い物。荷物を預けたコインロッカーがわからなくなり、慌てる。
19時ごろ 新幹線に乗る。自由席でイス取り合戦。
22時ごろ 河村家着

今日はコンペイトウ屋さんの10時開店に間に合うように行けばいいので、朝ゆっくりできた。宿を出て、近くにある六角堂で、京都の中心の「へそ石」を探すのだが、なかなか見つからない。売店で聞いてみるとそこは何度も通った場所。地面に埋まっていたのでわからなかったのだ。何枚か写真を撮って出町柳のコンペイトウ屋さんへ。店に着いてまず驚いた。朝一のはずなのに、もう店の外に行列である。店が狭いので入店制限をしているのだ。私たちのあとにもどんどん人が来て、コンペイトウ屋さん、大繁盛である。結構有名らしいこの店のコンペイトウは、砂糖だけでコンペイトウの形になるまで17日、それから味をつけるので完成まで20日ぐらいかかるそうだ。小袋20種類入りが1万円位の値段で出ていたが、20種類全部揃うのに1年ぐらいかかるらしい。コンペイトウは結構大変な菓子のようだ。

コンペイトウ屋さんを出て、私たちは予定になかった銀閣寺へ向かう。行く方向だけわかっているので、それらしいバスに乗る。このあたりかなりいい加減。銀閣寺は行って正解だった。新緑と砂の庭が美しい。紅葉が多かったので、ここは秋に来たらすごいだろうな、と思った。銀閣寺をバックに3人の写真を他の観光客に撮ってもらった。しかし撮ってくれた人のは写真のセンスがない。私たちの写真なのに、写真の主役は銀閣である。しかしここでも私たちは「飛ぶ」事を忘れはしない。あらゆる所で飛んでいる写真を撮った。

銀閣寺でゆっくりしすぎたのか、昼食のそば屋でゆっくりしすぎたのか、時刻が怪しくなってきた。京都駅のコインロッカーに大急ぎで荷物を預け、奈良線へ。8、9、10番線だということは分かっていたが、私たちが最初に行ったホームは、次の次の電車が来るホームだった。すんでの所で気がつき、正しい方のホームへ。電車に乗ったのは14時50分ごろ。10分ぐらいで藤森駅に着くので、15時から駆け馬が始まるのにはちょっとヤバい感じ。藤森駅に着いて、坂を走る走る。藤森神社の境内にはすでに人垣ができていた。私たちは屋台の横をすりぬけて真ん中のあたりに陣取った。13時の駆け馬で馬が故障して、15時の開催が遅れているらしい。遅れ気味に来た私たちにとっては好都合だった。駆け馬がなかなか始まらないので、横のじいさんが大声で文句を言っていた。しかし私たちの敵は前列にいるオバハンたちだった。オバハンたちはかなり身を乗り出して見ている。乗り出したら乗り出したまんまの姿勢で見てくれればいいものを、馬がくると体を起こす。私はカメラをオバハンの頭の上で構え、モニターが見えるか見えないかの状況でシャッターを切っていて、オバハンが動くとカメラも動いてしまう。ヨリちゃんは体を起こしたオバハンの後ろ頭で顔を打ちそうになるし、隣の男はデカいしで、何が起こっているのか結局よく見えなかった。

京都駅に着いた。駅ビルで菓子系の土産を買い、夕御飯の前に荷物をコインロッカーから出しておいたほうが確実だろうという話になった。しかし慌てて入れたので、誰も正確な場所を覚えていない。地下鉄の出口を出たところからやりなおして、やっとみつけた。夕食はガッツリ食べる気にもならず、途中で見た抹茶フロートが最後まで気になって、喫茶店でカキ氷を食べる事に。しかし出てきたのは抹茶ではなく「ミルクフラッペ」。時間もないので、これでよしとする。ギリギリガールズ、今回唯一の失敗である。

帰りののぞみ自由席は椅子取り合戦である。そのため早く並んだ。笑ちゃんとヨリちゃんは先に座ったが、私は中段に3つ並んで空いている席を見つけ、途中空いている席を飛ばしてそこに行くと、一番奥にお兄さんが突っ伏して寝ていた。私が真ん中に座ると、おばさんが「ここ空いてますか?」。2連続の席もなくなってしまった。私の所はまだよかったのだが、ヨリちゃんの席は大変だったらしい。隣の人が特殊な臭いの人で、ヨリちゃんは頭がグラグラだったようだ。新大阪から広島まで立ちっぱなし(私たちが立つまで座れなかった)人もいたので、私たちは座れただけまだよかったのかも。広島で新幹線を乗り換えて、やっとうちに着いた。あー、歩きどおしで疲れた旅だった。ガンガン食べたけど、これだけ歩いたら体重増えてないだろうな。


だれやねん?
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