5.銅と鉄の違い

ここで少し銅鐸そのものから一歩引いて銅の性質について考えてみよう。
ちょうどその後の主要な道具となる鉄との比較で考えるとより一層わかりやすい。銅は鉄と比べて酸化しにくく、鉄よりは低温で加工できるという面がある。しかし鉄よりは強度の面で劣り、さらに質量が重く農耕機具としては鉄器よりもはるかに劣る。さらに武器としても重く鋭利な刃物としても鉄よりは劣っている。そこで日本に銅が先に伝わり、次に鉄が伝わって青銅器が減少していくことになったとするのが一般の見解である。確かにその通りであろう。ただ全てがそうであったわけではないという気もする。そこには知的な選択が働いたのではという気がするのである。

どういうことかというと、古代人は銅と鉄を目の前にして銅を選び取ったのではないかということである。中国ではかなり以前から鉄器、青銅器共に広く使用されていた。その当時日本はまだ石器も用いていた。この事から日本は当時未開の国であったと中国人に言われても反論できない。ただ弥生時代から知識としては鉄器、青銅器の情報は入ってきていたのではと想像できる。遠洋航海が行われていたとすれば様々な国の情報が入ってくるはずである。そこで鉄器、青銅器の情報も当然入ってきたであろうが、まだ社会がそれを必要としなかったのではあるまいか。つまり日本は水稲栽培が広がるにつれて鉄器を必要としていったという社会条件が存在していた。つまり農耕器具としての道具である。社会生活が移動型から定住型に移行するまでは青銅器でなければならなかったのである。青銅器を必要としていた人々はまだ限られていたと考えられる。おそらく遠洋航海をする人々が微かに必要としていたのであろう。海を交通手段としていた人々にとって航海道具としての鉄器は海水を浴び、すぐ錆びて使い物にならなくなるのに対し、青銅器はそれより持ちが良い。島国で周りに海を抱えている日本で は必然的に塩分に対して抵抗性の強い青銅器を選ばれたのではなかろうか。これは結局青銅器が祭祀のための道具に留まることとなった遠因であるように思われる。

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