出雲と青銅器 |
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謎の多い青銅器として知られている銅鐸は弥生時代の文化を知る上で非常に重要な文化財である。これまで農耕の祭祀用に用いられていたというのが定説であった。しかし最近では農耕の祭祀に使われていたわけではないという説もでてきている。平成8年には島根県加茂町で39個もの銅鐸が一度に見つかり、畿内=銅鐸文化圏、九州=銅剣文化圏という二元構造も完全に崩れ、新たに出雲王国の存在も加味して銅鐸の謎は深まるばかりとなった。そこで今回は銅鐸とは何かという問題に言及し、さらに出雲という新視点から銅鐸を考え、弥生文化について考察してみようと思う。 1.弥生時代と銅鐸 弥生時代とはどんな時代だったのか? 2.鐘としての銅鐸 何のために銅鐸を鳴らしたのか? 3.銅鐸の絵画 銅鐸の絵画は何を意味しているのか? 4.銅鐸の埋納場所 銅鐸はどのようにして埋納されたのか? 5.銅と鉄の違い どうして青銅器が用いられるようになったのか? 6.出雲と青銅器 なぜこれほどの銅剣、銅鐸が出雲で発見されたのか? 荒神谷遺跡の銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本と加茂岩倉遺跡の銅鐸39個の発見による出雲と青銅器の関係を探る 7.銅鐸の色 銅鐸の色が示すものとは? |
さらに銅鐸を知るためのリンク集
・加茂岩倉遺跡
39個の銅鐸を再現。生で見たのと同じ感動が!!
・東京大学総合研究博物館
銅鐸の鐘の音を再現。心に響く!!
野洲町の紹介。銅鐸のページあり!
・島根県立飯南高等学校
銅鐸速報あり!