6.出雲と青銅器

荒神谷遺跡、加茂岩倉遺跡の発見によって、出雲は一躍日本一の青銅器数を誇る地域となった。このことは少なくとも当時出雲でしっかりとした祭祀、さらに想像するなら信仰圏があったという証明にもなる。そしてこれほどの青銅器を保有するためには相当の国力を持っていなければならない。これらの発見で神話の国と呼ばれていた出雲に王国が存在していたのではという論議を呼び、さらに実はあまりよく知られていない弥生時代を解明する鍵を握っているのではと注目を浴びるようになった。

それまでは出雲王国の存在など皇国史観のせいで歯牙にもかけられなかった。それが今年は古代出雲文化展も開かれ、ますます出雲の特異性が周知の事実となって多くの人々に感銘を与えた。この文化展で最も人々の気を引いたのは青銅器の数であろう。これほど多数の青銅器が一度に同じ場所で発見された例は他にない。この青銅器数が出雲が何を立国の条件としていたかを物語っている。つまり出雲は弥生時代にそうとうの航海船団を抱えた海洋民族国家であったということである。それではそれを示唆する例を以下に挙げる。

出雲の位置
弥生文化の全てが交わう位置に恵まれた出雲の地理条件

出雲の潟湖
航海船団を訓練、収容するのに適した出雲の潟湖

出雲神話
神話に見られる出雲と海の関わり

出雲の民俗行事
今に残る出雲の民俗行事から航海船団の面影を探る

荒神谷遺跡の場所はその銅剣の数から八千矛神とも呼ばれていた大国主命を連想させ、加茂岩倉遺跡の場所は大国主命の宝が積み置かれた場所ともいわれている。どちらも大国主命と関係しているとも言える。そこで私は、大国主命は航海大船団を束ねる長であったのでなかろうかと考えるのである。これほどの数の銅剣、銅鐸である。よほど強大な航海集団を抱えていたのではなかろうか。


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