銅鐸の色

みなさんは青銅器がどのような色をしているかご存知だろうか?
青銅器は本来金色をしている。当時の人々もこの輝きに驚いたことであろう。しかし[記・紀」や「出雲風土記」など,当時の文献にはこの青銅器文化のことはまったく記述されていない。皆さんは不思議に思わないのだろうか。これほど日本中で数多く発見されている青銅器の祭祀について触れていないのはどのような事情なのか。ただ私は「古事記」においてその匂いを嗅ぐことができると思うのである。それは以下の文である。

「−御諸の山の神(大物主神)−
そこで大国主命が心憂く思って仰せられたことは、「私は一人ではどのようにしてこの国を作り得ましょう。どの神様と一緒に私はこの国を作りましょうか」と仰せられました。この時に海上を照らして寄ってくる神様があります。その神の仰せられることには、「私に対してよくお祭りしたら、私が一緒になって国を作りましょう。そうしなければ国はできにくいでしょう」と仰せられました。そこで大国主命が申されたことには、「それならどのようにしてお祭りを致しましょう」と申されましたら、「私を大和の国の青青と取り囲んでいる東の山の上にお祭りなさいと仰せられました。これは御諸の山においでになる神様です。(古事記/現代語訳)」

御諸山(奈良県:三輪山)

この「海上を照らして寄ってくる」というのは金色をした青銅器を航海技術に用いていたのではないかということを想像させる。それを授けたのが上述の御諸の山の神、すなわち大物主神だったのではなかろうか。そしてこの青銅器の航海技術を用いて大国主命は出雲王国を確固たるものに仕上げたのではないかと思われる。そしてそれを祭り及び信仰にまで高めたのが出雲にのみ存在する神在月の祭りである。

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