神在祭の起源

まとめ−神々とは何かということについて−

まとめ−神々とは何かということについて−
ずっと心に引っかかっていたことがある。日本の神々とは何かということについてである。
日本の神々は「八百万の神」ともいわれ、山や河に神々は宿るとされてきた。しかしこれまで調べてきたことで、私は「日本の神々はそのような存在ではない」ということに気付いた。少なくとも「記紀」にでてくる神々は山や河に宿ったりはしない。

日本の神々は人である。
日本という周りが海に面する独特の地形は非常に面白い文化を作りだした。大陸のようなゆったりとした文明の成熟は日本では起こり得なかった(鎖国のような奇妙な状況下でのみ、微かにその成熟はあったといえるかもしれないが・・・)。海を伝わって文明の輝きは早急に、来た。まだこちら側で文明を受け入れる用意ができていないとしてもである。そのため純粋な意味での文明の衝撃と憧れが生まれた。その中から神々は生まれたと言わざるをえない。
熱は熱いところから低いところへと伝わっていく。日本の神々の成り立ちもそれに似ている。日本の神々の成り立ちは「文明の急激な温度差」が作り出したといえまいか。それが人が神となり得た理由である。今回、出雲を3年調べることにより、その感はより強まった。青銅器文化という突出した技術が当時の人々にもたらした衝撃は凄まじいものだったであろう。ひょっとするとその衝撃が神を作り出したのではないかと私は思うまでに至った。そしてようやく茫洋とした霧の中から日本の神々の形が少し顔を見せたのではないかと思う。大袈裟に言うと、そこに日本の原点がある。それが世界に誇れるものであるかは今は何ともいえない。日本は特別な国ではない、ただ特別ではないが少し説明を要するユニークな国ではある、と述べたのは司馬遼太郎である。その面白さはこんなところにあると私は言いたくて、ずっと出雲を調べてきたのかもしれない。
そして誰にきかせることを前提にこの調査を続けたのかを述べておこうと思う。
日本を世界に紹介した作家の一人、小泉八雲にである。
彼は出雲に来て「日本は神々の国なり」と感じ入ったという。彼は確かに日本の文化を見事に紹介した。しかしそれは多分に幻想を含んでいると言わざるをえない。彼が感じた出雲と私が調べた出雲とではあまりにも違う。私は見解を異にする彼の小説、エッセイが嫌であり、幻想のまま語られることの多い出雲にも幻滅していた。ただ出雲に対する興味に関しては少なからず彼と同じなのかもしれないと今では思う。言わば、この調査は八雲に対する私からの風変わりな回答である。そう、これは私からの「100年後の八雲へのメッセージ」であるとも言える。

あとがきにかえて
荒神谷遺跡が発見されて15年の歳月が流れた。
生まれた子供が高校生になるような年月。短いようで長い年月である。しかし、2000年もの間ずっと地下で眠り続けてきた荒神谷遺跡、加茂岩倉遺跡の青銅器群からすれば、本当にあっという間の出来事であろう。
神々の国であり、水の都とも呼ばれる出雲。幻想の国のような響きに魅せられた小泉八雲。全ては幻想的な雰囲気の中に包まれ、誰もがそれを出雲の文化であると信じた。
しかし、いつまでも続く靄のような雰囲気の中から突如青銅器群が出現した。この圧倒的な物量を前にして、これからも幻想に包まれたまま出雲は21世紀を迎えようとしているのだろうか。それでは青銅器群があまりにも哀れであろう。
これまでの考察により、両遺跡を通して2つの国家事業「暦の修正」、「国土把握」の可能性が導き出せ、そしてこのことから出雲王国の存在も合わせて証明出来ることになる。しかしまだまだ分からないことが実に多い。2000年の時を越えて今に目覚めた青銅器群が我々に訴えかけるメッセージは予想以上に重い。青銅の文化は確かに滅びてしまった。しかし我々がそのメッセージを真摯に受け止め、それを活かしていくのなら、新たなる時代の暦を刻むことができると私は信じている。出雲を幻想に包もうとせず、諦めずにその現実を直視していくのならば、いつかきっと何らかの答えを掴むことができるはずである。真実の出雲が語られるのは本当にこれからなのである。

これで出雲文化の調査は終わりである。長い間付き合ってくれた皆さん、ありがとう。
これからは未来を語ることになる。残りの2年間で、出雲にではなく、世界に向けてメッセージを送り続けようと思う。それがこれから試みることになる「21世紀の神在祭」である。まるで大海に流れ出す小さな小さな小瓶のようではあるけれども・・・・・

おわり

戻る