神在祭の起源
着目すべき2つの事実
なぜ、出雲に神々が集う神在祭が行われるようになったのか?そもそも神々とは何なのか?この問に少しでも答えるために当時の最先端の技術を駆使した青銅器を振り返ってみよう。
@荒神谷遺跡が高瀬山と大黒山から等距離にあるという事実 A荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡が夏至の日の出と冬至の日の入りを結ぶ直線上にあるという事実 はたしてこれらの事実はどのようにして導き出されたものなのか? まず@について考えてみよう。2つの山から等距離にある遺跡、これはつまり2山と遺跡が二等辺三角形の関係にあることを示している。現在でも地図の作成には二等辺三角形の法則が用いられる(いわゆる三角測量法である)。青銅器を埋納した人々はこの二等辺三角形の法則をよく知っており、それを用いて荒神谷の青銅器群を配置したことがこの事実から分る。 次にAである。両遺跡が夏至の日の出と冬至の日の入りを結ぶ直線上に配置されているのは偶然ではあるまい。明らかに意図的なものであると考えられる。この事実は青銅器を使用した人々が冬至と夏至の太陽の動きを知っていたということを示している。つまり最も太陽が南に傾く日と天空の最も高い位置に昇る日を知り得たことを意味する。これは一年を通じて太陽の動きを観察しなければ知り得ないことである。 結論から先に述べよう。 この2つの事実は、各青銅器の特徴から考えて、「一連の青銅器、銅剣、銅鐸、銅矛を用いて測量した結果、導き出されたもの」である可能性が高い。そこでこれらの青銅器群を用いて両遺跡のポイントを決定できることを証明し、さらにこのことから面白い事実が浮き彫りになることを順を追って説明していこう。
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