神在祭の起源

各青銅器の特徴

まず@を決定するためには二等辺三角形、つまり両山から同角度を導き出せる道具を使用しなければならない。私はここで銅鐸に着目したい。


銅鐸の特徴として、大きさは大小まちまちであるのに、形態において均一性が見られることが挙げられる。さらに銅鐸にはほぼ同じ位置に型持ち孔が存在し、同じ鋳型で作ったと思われる銅鐸も存在する。このような特徴から、2個の銅鐸を使用し、任意の2点から(この場合、大黒山と高瀬山)、下図のように型持ち孔をお互いの銅鐸に合わせて2等辺三角形を作り出すことができる。
次に銅矛である。銅矛の特徴として研ぎ分け処理が挙げられる。研ぎ分けとは刃部の最終段階の研磨の際に、意識的に砥ぐ方向を変える磨き方法のことである。荒神谷の16本の銅矛も、そのうち7本に研ぎ分け処理がなされているのが確認されている。研ぎ分けは光の反射を計算されたものである。これは点滅信号にも似て、遠距離でも判別をつけやすくするのに都合がよい。よって下図のように2個の銅鐸からの視線が交差するポイントを決定するのに銅矛の特徴が利用できる。
これらの銅鐸と銅矛を使用し、二等辺三角形のポイントを定めるとき、銅鐸の鐘を鳴らす構造が活きてくる。仮説であるが、A地点から(銅鐸の視界にある時は連続で鳴らし、視界から外れると2拍おきに鳴らすといった具合に)音の間隔を使い分けて銅鐸を鳴らしつつ、銅矛を移動させながら、ポイントを定めていく。そして、B地点からの銅鐸孔の視覚にその銅矛が入ればB地点からも銅鐸を鳴らす。これでポイントは決定されることになる。

しかしまだ銅鐸と銅矛だけでは荒神谷遺跡の位置を決定出来ない。二等辺三角形の角度が限定されてしまうからである。@を決定するためには、角度を自由に調節して様々な二等辺三角形を作り出すことができねばならない。角度を調節するためには孔から覗いた視界の外に分度器のような目盛を必要とする。そこで最後に残った銅剣をその目盛に活用することを考えてみよう。
銅剣は初め武器として使用されていたが、後には祭器として使用されるようになったと言われている。しかし仮に荒神谷の銅剣が祭器用であるとすれば同時期の銅鐸のように何らかの装飾が施されてもいいはずである。それなのに銅剣は、無機的なほどに装飾が施されず、358本もの銅剣の形態には均一性が見られる。このことから銅剣はただ単に武器が祭器になったものではなく、何らかの実用性をまだ残している可能性が考えられる。実は銅剣が目盛の役割を果たしていると考えると、その特徴は理解しやすい。剣の形をとっているのは地表に突き刺すためだと考えられないだろうか。凹凸のある地表も銅鐸と銅剣を用いて刳方部分で調節すれば水平な目盛線を描くことができる(下図)。これまで銅剣の柄が無いことも問題となっていたが、上記のように使用されたとすれば銅剣の柄は必要ないか、取り外しのきくものでなければならないことになる。

実は、これらの青銅器を使用して荒神谷遺跡を決定するのに理想的な数量を示しているように思える青銅器群が既に荒神谷の付近(およそ20km)で発見されている。鹿島町佐陀本郷の志谷奥遺跡出土青銅器の銅剣6本と銅鐸2個である。銅鐸1個につき銅剣3本で目盛2個分を作り出すことができるので、銅剣を計りたい方向に1本ずつ抜き差しすれば、目盛を等間隔に移動させることができる。よって銅剣3本で十分目盛の役割は果たせるように思える。

しかし次に問題となるのは銅鐸の中心から銅剣を並べる地点までの距離,、つまり円の半径の決定である。いくら目盛が決まっても円の半径を決定しなければ青銅器は測量器の意味をなさない。加えて荒神谷銅剣の異様な多さが問題として残っている。つまりこの荒神谷遺跡の銅剣数にはまだ何か他の意味が隠されている可能性がある。

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