猪目洞窟遺跡の闇の奥!!


島根半島の海岸、平田市猪目町にある猪目洞窟遺跡は「出雲国風土記」に既にとりあげられており歴史は深い。

「出雲国風土記」には「夢にこの磯の窟の辺に至れば、必ず死ぬ。故、俗人古より今に至るまで、黄泉の坂、黄泉の穴と名づくるなり」と書いてある。

崖沿いの道路の横にその洞窟に降りていく細道が作られており、伝わって降りて行くと、その洞窟の正面に至る。
現在は漁船の船あげ場となっており、古びた船が何艘か並べられている。この洞窟は岩と岩が寄りかかったようになっており、その奥の自然の洞窟は約50m続いているという。
洞窟の入り口には子供の背丈ほどの祠が祭られており、厳粛な雰囲気を漂わせている。その洞窟の奥は子供がしゃがみこんでやっとの高さで続いており、進んでいくのはなかなか困難である。


この洞窟からは古墳時代、弥生時代の遺物がかなり出土している。仰臥屈葬のような状態で、その右腕にゴホウラ貝の腕輪をした男性骨、弥生後期の甕形土器片、丹塗りの高つき、丸木船の残片などが発見されている。ゴホウラ貝は鹿児島や沖縄でとれる貝であり、このことから広範囲において交易があったことが伺える。

さて、我々は日常闇というものを意識することがあるのであろうか。星明かりの下の闇ではない。漆黒の闇、闇そのものである。この洞窟の奥はまさしくその闇を内包している。この洞窟を黄泉の入り口とした古代人の気持ちが伝わってくる。彼らにとって、死とはこのような、暗い厳粛なものだったのだろうか。

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