富神社の重要性について

これまで出雲王国の存在について考察を試みてきたが、最も面白い(こう言っては失礼であるが)情報は出雲の語部についての記述であった。

徳間書店出版の「謎の出雲帝国」(吉田大洋著)に、出雲神族の末裔といわれる語部の富家の伝承が掲載されていた。一読したときは正直言ってそれがどこまで信頼のおけるものなのか、私には解らなかった。なにせ、この本では「出雲神族は古代シュメール人の末裔である」と述べている。百歩譲って古代シュメールの影響が出雲にあると解釈することはできても、そのシュメール人が出雲に辿り着いたと考えることは難しい。ただし、私の関心はそこにはない。著者は出雲シュメール説を唱えたが、富家の伝承はそのようなことを伝えているわけではないからである。
富家の伝承で私が参考にしたのは、古代出雲では風葬を行っていたという言い伝えである。以下にその記述を記す。

「出雲人は高貴な人が他界すると、藤と竹で編んだ籠に死体を収め、高い山の常緑樹(主として桧、杉)に吊るした。いわゆる“風葬”である。3年間が過ぎるとこれを降ろして洗骨し、山に埋めた。そして子供や妊産婦は石棺の中に入れ、再生を願って、宍道湖に沈めた。」

他にも興味深い言い伝えが多いがここでは割愛させていただく。
詳しく知りたい方はその本を読んでいただきたい(今でも出版しているかは定かでないが・・・)。私はこの言い伝えから出雲王国の存在を証明する手がかりを得た。そういう意味では誠に感謝の念に堪えない。

そこで私は富家の社である富神社を訪れた。
国道9号線を細道にそれて、JRの線路のすぐ隣。その神社は今でもある。ひっそりとしたたたずまい。仏教山を正面に抱くその神社は夕日に輝いていた。

富家の家紋はちょっと風変わりである。
亀甲紋に大根が交差した家紋。
かっては大根が矛であったという。

私は今年、「神在祭の起源」にて青銅器の使用方法について考察した。富家の家紋を見て欲しい。

偶然なのか、それとも必然なのか。
それに対する答えは歴史にまかせたい。
ただ、ちょっと誇らしかった。
ちゃんと続いてんだよ、出雲は・・・・