荒神谷遺跡



  国道九号線を進むと案内板があり、そこから南へ2.5qほどで荒神谷遺跡に到着する。この地に立つと南西に一際目立つ「出雲国風土記」にのる神名火山とされる仏教山(標高366m)が見える。
 荒神谷遺跡は、出土したそのままに青銅器の複製品がおかれ、周囲も発掘時の状態で復元されている。屋外に発掘場面をそのまま再現したのは全国的にみても珍しい。
1984年(昭和59)7月に銅剣358本が、次いで翌年にも銅鐸6個・銅矛16本(いずれも国重文)が同時に発見されたことは、考古学界に大発見として衝撃を与えた。特に銅剣の出土数が一箇所で全国のそれまでの出土数を上回ったことが大きい。この遺跡の発見によって、古代出雲王国が神話だけのお伽の国ではなく、考古学的にも認められるようになったといっても過言ではない。加茂岩倉遺跡と同様、出雲のシンボルに相応しい。
 現在は史跡公園として整備されており、観光はもちろん、親子連れの行楽客も目につくようになった。21世紀には出土品を展示する資料館が出雲に建設される予定である。


出雲てくてく紀行

荒神谷遺跡に大国主命の誇りを見た!!

富神社の重要性について


関連リンク

斐川町役場
: 斐川町のことを知りたければここからはじめよう。斐川町の公式サイト。「荒神谷遺跡の謎を解く」と称して何年にもわたり懸賞論文を募ったことでも、その労は報いられてもよいであろう。一部優秀論文の掲載あり。


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