「サンカ研究」 田中 勝也 新泉社

サンカ共同体では、明治7年頃まで風葬が多かったという。これを、シナドオ クリと呼ぶ。シナドは、先のタタラのところにあらわれた風の神シナトベ、ツナ ヒコと同じで、風を意味する。オクリは、もちろん葬送である。

かっては、死者を網籠に入れて、人目につかない川上の樹木に吊して風化させ たという。明治以後この風習は廃れて、土葬が多くなったが、サンカは葬式の一 般名称をシナドオクリと呼ぶという。

この風葬が、沖縄諸島に最近まで残っていたことは、伊波普猶氏の「をなり神 の島」に詳しい。伊波氏によれば、風化された人骨は水で洗って(洗骨)から、改 めて埋葬されるとしており、そうしてみると、いわゆる風葬段階は、「記紀」な どの天皇の葬礼のうち、モガリにあたる部分である。ちなみに、伊波氏は、これ に関連して、「日本書紀」(神代巻)にのるアメワカヒコの葬礼との類似点を指摘 している。

「日本書紀」に載る歴代の天皇を見ると、死亡した時から埋葬に至る期間が、8 ヶ月とか一年とか極めて長期である。「記紀」をはじめ諸史料に、風葬習慣の 明示はないが、このモガリの期間が、風葬である可能性は否定できない。

他の民族や種族に見られる風葬習俗から考えても、サンカのシナドオクリが、 古代習俗を伝えていた可能性は強い。


P108-109
(風葬)

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