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1.風葬と神名火山
風葬の解説
2.風葬と稲吉角田遺跡出土土器
風葬と「モガリ」の関係
3.風葬と神殿
風葬と神殿の関係.「姓」の由来.「鳥居」の由来
4.風葬と青銅器(1)
風葬と青銅器の関係
5.風葬と青銅器(2)
青銅器の使用法その一

6.風葬と青銅器(3)
青銅器の使用法その二

7.青銅器と森林分布
青銅器と森林分布の意外な関係

8.青銅器と亀甲紋
青銅器と家紋の関係

9.航海文化の成熟
航海文化の結晶とは?邪馬台国の位置に関する考察

1.風葬と神名火山

出雲には神名火(樋)山が四つある。
仏教山、朝日山、大船山、茶臼山である。

仏教山(神名火山) 大船山(神名樋山)
朝日山(神名火山) 茶臼山(神名樋野)

一つの地域に神と名のつく山が四つもあるのは珍しい。
民俗学の分野では神名火(樋)山は風葬の地として一部に知られている。風葬とは一般に自然葬法の一つと言われ、土葬や火葬にせず、ミイラにもしないで、自然の中に放置する埋葬法である。この風葬については以下の著述を参考にしていただきたい。

「先祖供養と墓」 五来 重 角川選書228

「サンカ研究」 田中 勝也 新泉社

「死の民俗学―日本人の死生観と葬送儀礼―」山折 哲雄 岩波書店

「脳と墓T」 養老 孟司、斎藤 磐根 弘文堂

「葬制の起源」 大林 太良 角川選書92

「定本柳田国男集15巻−葬制の改革について−」柳田 国男 築摩 書房


「定本柳田国男集10巻−先祖の話−」 柳田 国男 築摩書房


今では奇妙な風俗にしか見えないこのような葬儀方法をいったい誰が行っていたのだろうか?


神と名のつく山(神山)が潟湖付近に多いというのはよく知られている。以下の著述を参考にしていただきたい。

「日本の古代3 海をこえての交流-潟と港を発掘する-」森 浩一 中公文庫

神山は弥生以前から存在すると言われている。
そこで弥生時代に航海民族の時代があったと主張する私は、神山は当時の航海民の葬地として用いられていたのではないかという仮説を立てたい。

航海民は交易のため遠くまで足を運んでいた。
そのような遠距離航海では親、親族、友人等の死に際して、どうしても時間的に誤差を生じ、彼らの死に目に間に合えないことが多かったと考えられる。それは相続問題や人間関係、特に孝の問題を複雑にしかねない。そこでその時間差を埋めるために葬儀に時間のかかる風葬が発明されたと考えられはしまいか。

風葬儀式は当然誰でもいいというわけでなく、神となる資格を有するもの、すなわち航海民の首長のみ行えたと考えられる。とすると四つの神名火(樋)山から出雲には相当大きな航海民勢力が住んでいたと考えることができる。日本海側で当時最も巨大な潟湖である入り海を抱えていた出雲ならばこの事は至極当然なことであった。このあたりに出雲が当時王国を築いたと言われる根拠があるのではなかろうか。

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