隠岐(島前・島後)



 隠岐は「古事記」「日本書紀」に「隠伎之三子島」「億岐三子洲」と記され、四つの主な島からなる。知夫里島、西ノ島、中ノ島の3島を島前、最も大きい島を島後とよんでいる。1郡3町4村からなり、人口はあわせて2万7500人ほどである。島からは石器の材料となる黒曜石がとれ、原始時代に重要な役目を果たした。そのため島内には当時の遺跡・古墳が多い。
 奈良時代になると御流の地となり、後鳥羽上皇や後醍醐天皇が流罪となって留まったことでも有名である。
 江戸時代には日本海に西回り航路が開かれ、西郷・浦郷などの港は帆船の風待ち港として栄えた。
 1876年(明治9)に島根県となる。1963年(昭和38)には大山隠岐国立公園に編入され、さらに離島振興法により島の整備が進み、訪れる人が増えた。


戻る