後鳥羽上皇火葬塚



  鎌倉時代、承久の変で隠岐国に流された後鳥羽上皇の火葬塚である。
  1221年(承久3)5月、後鳥羽上皇は時の鎌倉幕府執権北条義時を追討する院宣を下した。しかし、上皇方の軍勢は完敗し、上皇は隠岐国に流刑された。美保関から船で海士町南端の崎港に到着した。ここの三保神社で一泊した後、8月5日源福寺に着き、ここが隠岐での行在所となった。

関連リンク

海士町公式サイト
: 海士町公式サイト。海士のみどころ紹介コーナーに隠岐神社の紹介あり。


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