隠岐国分寺



  国分寺は、741年(天平13)聖武天皇の詔により建てられた官寺で、国ごとに僧寺と尼寺が建てられた。隠岐国分寺(真言宗)で今に面影を伝えるのは、僧寺のほうである。隠岐は1869年(明治2)の廃仏毀釈により、島内の寺院の堂宇はみな消滅してしまった。この寺も被害にあい、現在の本堂は昭和の再建である。
 本堂の後方に柵囲いをした礎石群があるが、これは廃物以前の本堂跡で、礎石の配置を見ると間口5間(約9m)・奥行4間(約7.2m)の建物があったことを示してる。ここの部分の隠岐国分寺境内(国史跡)は、元弘の変で隠岐に配流になった後醍醐天皇の行在所跡である。これは「増鏡」の「国分寺という寺をよろしきさまにとりしひておはしまし所にさたむ」や、平田市鰐淵寺の僧頼源の文章が根拠となっている。
庭の舞台で毎年4月21日に催される隠岐国分寺蓮華会舞(国無民)は、眠り仏・太平楽・山神貴徳・竜王などの曲が演じられ、舞楽系の流れをひく隠岐独特の芸能である。近くの島後原田神楽(県無民)は島後神楽の一つで古い面(県有民)が残されている。

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