須佐神社




  立久恵峡(国天然・国名勝)を越えると、佐田町にある須佐神社が見えてくる。
 「出雲国風土記」によると、須佐之男命が「この国は、小さき国なれども国処なり。故、我が御名は、木石に著けじ」といわれ、「やがて己命の御魂を静め置き給ひき。然して、やがて大須佐田、小須佐田を定め給ひき。故、須佐という。即ち正倉あり」と述べているのが、この佐田町の辺りである。
 須佐神社には、鎌倉時代の兵庫鎖太刀(国重文)などの文化財があるが、いずれも非公開である。ここで注目されるのは8月15日午後3時頃から催される念仏踊(県無民)である。神社では切明神事というが、多分に仏教的な芸能である。太鼓3人、鉦3人の計6人が、花笠をかぶり、はだしで輪をつくって踊る。炎天下、物憂いようなリズム、意味のはっきりしない唱えごとの繰り返し、そして単調な踊りの動き、そのなかに古い時代の人達の素朴な倦むことのない信仰が息づいているようである。踊りの起源はまったく不明だが、県下に残る唯一の念仏踊りである。本殿(県文化)は大社造で、1861年(文久元)の建築である。

関連リンク

須佐神社 節分祭
: 須佐神社の紹介及び節分祭の紹介。


戻る