大森町並保存地区


 大森町並保存地区は江戸時代の町並みのような錯覚を覚える伝統的建造物保存地区である。1987年(昭和62)に国の伝統的建造物保存地区に選定され、引き続き整備が進められている。
 大森代官所跡バス停で降りると、江戸幕府の銀山支配の中心だった石見銀山代官所表門と門長屋がある。代官所敷地内には石見銀山資料館があり、展示品と解説で銀山の概略をつかむことができる。様々な史跡が並んでいるので歩いていて見飽きることがない。
 この地区で、特に私が気に入っているのは、井戸神社である。
 石見銀山歴代奉行・代官のうち、石見の人々にもっとも慕われた、第19代井戸平左衛門正明を祀った神社である。
 井戸平左衛門正明は、1731年(享保16)、大森代官に登用されて赴任した。その当時、石見は凶作に喘いでおり、享保の大飢饉の時期とも重なっている。正明は思い切った年貢の減免、甘藷(サツマイモ)の導入により、飢饉から人々を救った。後に、正明は備中笠岡の陣屋で没したが、石見の人々は彼の遺徳を忘れず、甘藷の収穫の済んだ11月26日を中心に芋法事、芋供養を営み、芋殿さん、芋代官として正明に感謝しつづけた。
 石見路を行くと、村々の道端や山陰に「奉雲院義岳良忠居士」という改名を刻んだり、「井戸明府」と掘られた頌徳碑に出会う。石見一円でその数200余りといわれ、さらに出雲から隠岐・伯耆国の弓ヶ浜半島にまで及んでいる。一人の代官の頌徳碑がこんなにも分布しているのは、他に例がない。

関連リンク

石見銀山ホームページ
: 石見銀山の公式サイト。銀山の歴史・観光名所の全てが分る。親切なマップ付。


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