松江周辺




 松江の中心部は、宍道湖と中海を結ぶ大橋川によって、末次(北)と白瀉(南)に分かれている。末次は比較的早くから開け、平安時代末には九条家の荘園になっていたが、白瀉は沼沢地だった。松江が開発されるのは、近世初頭、堀尾吉晴がこの地に築城してからである。
 松江市南郊大庭の里は、意宇川の下流にできた平野である。この地に栄えた文化は、いわば古代出雲文化の終着点である。豪族出雲臣を中心として、特異な前方後円墳をつくり、勾玉をつくった。
 堀尾吉晴によって開府された松江は、京極氏を経て松平氏を城主に迎える。直政から定安まで10代の松平氏がこの城に君臨した。そのなかでも7代治郷(不昧)が茶人として天下に名を馳せた。
 県庁所在地でもあり、観光にも力を入れている古都といった趣である。

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