玉造温泉

 松江市の南西部忌部町から隣接する玉湯町東部にかけての地域は奈良時代には忌部神戸とよばれ、出雲国造が奉斎する熊野大社・出雲大社の神領であった。出雲国造が新任の際には必ず朝廷に参上して神賀詞を奏上するのを例としたが、その場合には、あらかじめ忌部神戸において禊祓をして、心身の穢れを清めたという。その潔斎沐浴の場所が出湯のある玉造であったという。
 玉造温泉駅の西側を宍道湖に注いでいる玉湯川を1qほどさかのぼると、川を挟んで旅館が軒を連ねる温泉街が玉造温泉で、出雲の代表的温泉としてにぎわっている。
 「出雲国風土記」に「川の辺に湯を出す。出湯のあるところは、海陸を兼ねたり。よりて男も女も、老いたるも少きも、あるいは道路をゆきかひ、あるいは海中を州に沿い、日に集いて市をなし、うちむれて宴遊ぶ」と述べられ、大いににぎわっていたことが伺われる。

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玉湯町公式サイト
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