能義の里



 出雲の東端、かっての能義郡は現在1市2町となっている。もと意宇郡の一部であったが、平安初期に分立したと思われる。「のき」の名は「出雲国風土記」に「野城大神が坐すのでこの地を野城と言う」と記されている。野城大神は熊野大神(八束郡八雲村)・佐太大神(八束郡鹿島町)とともに古代出雲の大神として厚く信仰されており、この「野城」がのちに郡名として採用されたと考えられる。
 中世の出雲の中心は富田である。応仁の乱後、ここを奪って戦国大名となった尼子氏の出現により、富田の名は天下に知れ渡った。山中鹿之介の物語でも有名な地である。
 近世は港を利用した米・鉄の集散地として名を馳せた。近代には港の機能は衰えたが、奥出雲産の砂鉄を原料とする特殊鋼の生産が開始され、現在は優秀な鋼を産する町として知られている。


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