富田城


  近世で出雲の英雄を一人挙げよと言われれば、戦争体験者は必ずこの人を挙げるであろう。山中鹿之介幸盛。彼の悲願は尼子氏の再興であった。その目標としたのが尼子の本拠地であった月山富田城である。
 富田城は、富田川の東岸、月山の山上にある。1717年(享保2)の地誌「雲陽誌」によると、保元平治の頃、平家の大将悪七兵衛平景清が築いたとされている。鎌倉時代には山名氏、室町時代には京極氏と、歴代守護の居城であった。富田城を最も有名にしたのは戦国大名尼子氏で、尼子氏は京極氏の守護代だったが、尼子経久のときの1484(文明16)年、守護京極政経に反抗したかどで富田城から追放された。経久は雌伏2年の後、計略をもって劇的な奪回に成功、戦国大名として独立した。以後毛利氏の軍門に下るまでの80年間、尼子氏はここを本拠とした。
 月山は標高183mの小山だが、独立丘のうえに非常に険しく、天然の要害である。関が原の戦い以後堀尾吉晴が入城してから松江城を築いて移ると、富田城は廃城となってその歴史を閉じた。


関連リンク

広瀬町のホームページ
: 広瀬町のことならここにおまかせ。広瀬町役場が開設しているサイト。城下町広瀬の史跡を紹介したページあり。珍しいところでは「山中鹿之介」の紙芝居もあり。

尼子氏伝説
:尼子氏の盛衰記のページ。このサイトはinternet旅館・安来苑が制作している。尼子史跡マップが素晴らしい。


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