1 : Sad song


 パパが死んじゃった。
 その事実は私に大した感慨や感銘を与えなかった。
 昨日までピンピンしていた人間が突然コロッと息を引き取ってしまうというのは、哀しみよりもあっけなさを前面に立たせるらしい。
 あ、逝っちゃった。
 そんな感じだった。私は父親と疎遠だったとか嫌っていたとか、そんなんではなかった。ただ、ここのところ顔をつきあわせて話をするという機会がめっきり減ってしまっていたから、その辺は残念だと思うし、後悔もしている。いなくなってから嘆いては遅いというけど、まさか「明日死ぬから思い残すことがないように話し合おう」なんて言われても馬鹿げているだけだとしか思えないだろう。
 その分、私はパパの墓石の前で何度も素直になれなかった自分を謝り、だけどどうしても譲れなかった部分を何日もかけて話しかけた。私は帰ってくるはずのない言葉を期待するほど子供じゃなかったから、ある程度までで踏ん切りをつけると一つの決心をした。
 私とパパがしばらく疎遠になっていた理由。どうしても譲れなかった部分。子供じみた理由だけど、私はどうしても互いに相容れることの無かった人。その女性にある決心を簡潔に伝えた。言葉を飾る必要がないのだ。
「どうしても行くって言うのね?」
 返ってきたそれは質問ではなく、確認を求める声だった。私も無感動に、そして素っ気なく頷いた。パパがいなくなったこの家にいる必要も理由もないことは、私だけじゃなく彼女も分かっていた。いや、それをお互いに欲していたのかもしれない。
「私、日本に行くわ」
 もう一度だけ先ほどの言葉を繰り返した。
「そう……」
 それだけですべては終わってしまった。あとはバタバタとした日が続いた。パパが死んだ後の数日がここでも再現されただけで、私は何も考えられないほどの忙しさに追い立てられ、関わりのあった人たちと別れをすませたり、向こうでの住居先を決めたりと、何やかんやで出発前まで忙殺された日々が続いた。私の義理の母は残れとも行くなとも言わず、ただ黙って私がやることを見ていただけだった。手助けも何もなく、私との縁はそれまでだと無言で語りかけ、私も完璧に彼女の期待に応えた。パパがいない以上、彼女と関わって生きていく義務は存在しないのだから。
 私はそうして機上の人となった。今、アナウンスで予定とは十分遅れで着陸すると放送されたばかり。窓際の席が取れたのは幸運だったというべきなのだろう。こうして私はフライトの間、雲間から海を見ていた。今はそれ以上の割合で広がる緑色の土地が見える。さらに目を凝らせば、遙か彼方に私が今日から生きていく街があった。
 まるでおもちゃね、と思った。本当に小さくて、ミニチュアみたいだった。でも、あそこでは百万以上の人が住むことになるまだ新しい街、第三新東京市。それがあの街の名前だ。
 私はどうなるのだろう。
 それはまだ分からない。不安がないと言えば嘘になる。かといって、希望で胸を膨らませているような、グリーン・ゲイブルズに向かうアン・シャーリーとは違ってるな、と思う。同じ赤毛の孤児でも、境遇と心理はまるで違う。惣流・アスカ・ラングレーにそんなものはない。私はただ、違う場所で誰にも気を使うことなく一人で生きてみたかった。寂しさには慣れているのだ。と、変なところに自信を持っている。だから、一人で生きるなら馴染んだドイツではなく、本当のママの生まれ育った国で生きていこうと思った。それが短い期間になるか永遠になるかは分からないが、リスタートはこの国で始まる。
 私は耳に付けたヘッドホンのボリュームを上げて、後少しのフライトを楽しむことにした。
 流れてきたのは日本の昔のポップスだった。ちょっと聞いただけだったけど、なんだか心に引っかかるメロディーだな、と思った。
『確かなものなど何一つ無いと諦めた』
 その歌詞が、何となく気に入った。
 私がそうやって音楽に身を浸している間にも、空飛ぶ巨鯨はどんどん高度を下げていく。雲はずいぶん高いところになり、やがてスクリーンは滑走路を映しはじめた。
 着陸するまでもう一度この曲が聴きたいと思ったけど、それは結局かなうことがなかった。




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