アスカ尾行班は先客を見つけた時、少し何か事件でもあったのかと思った。しかし気が付かれるわけにもいかないので、こっそり先客の茂みに近寄った。
「や、3バカトリオのお2人さん」
 レイは囁き声でそう言って二人の背中を軽く叩いた。
 ケンスケとトウジはカメラを落としかけるほど驚いたらしく、二人とも前のめりに倒れ、慌てて後ろを振り返った。
「お、驚かすなよ」
 定位置から少し落ちた眼鏡を直しつつ、ケンスケは珍客に抗議する。
「ね、何撮ってたの?」
 無邪気にレイは言い放ち、受け止めた側の男子群は冷や汗が一気に吹き出した。
 どうする? とアイコンタクトを試みるトウジに対して、ケンスケは任せろとでも言いそうな表情で頷いて見せた。
「教えてやってもいいが、それこそ委員長たちこそ、こんなところに何の用だよ」
「うっ」
 今度は女子側が言葉に詰まる。
「あはははは」
 レイは頭をかいて笑い出した。
「笑って誤魔化してもダメだ」
「しくしくしく……」
「泣いてもダメ!」
「なによ、ケチ」
 舌打ちでもしそうな口調で、レイは悪態をついた。
「なんや、嘘泣きかいな」
「それはそうと。ここは一つ、取引といかない?」
 あっさりトウジは無視される。
 レイがニヤリと笑った。まるで小悪魔みたいな笑い方だな、と傍らですることのないヒカリは思った。もう諦めているので、レイを止めようとも思わないし、かといって騒ぎを大きくするような発言をするわけでもなく、問題が起こらないことを祈りつつ傍観するだけであった。
「取引? まあ、構わないさ。俺たちからは今まで撮ったビデオを見せよう。そちらからは?」
「今日の放課後以降の行動記録と報告、ってところかな」
「オッケー。それじゃ、そっちからどうぞ」
 ケンスケがビデオを差し出したので、レイも一応信用して端折りながら今日の行動を語って聞かせた。もっとも、なぜそんなことをしているのかは意図的に省いてある。簡単に言うならば、「今日は様子のおかしいアスカを見張ってました」と一言ですんでしまうのに、それらしく喋るために言葉を飾っただけだった。
「ほー。ワシらも似たようなもんや」
 つい先ほど無視されたことは心の奥にしまいこみ、挫けずトウジは言った。そしてそれが証拠や、とレイが先ほどから玩ぶようにての中で転がしているビデオを顎で指して見せた。
 レイがヒカリにも自分にも見えるようにしてから再生を押す。
 途中からしかなかったが、ちょっと見ただけでこの二人がシンジのあとをつけていたのだとすぐわかった。
「俺たちもシンジの様子が気になってさ、本人には無断でちょっと観察させてもらってたワケ」
 悪びれた様子はかけらも無いケンスケとトウジである。あるのはヒカリくらいなものだろう。
「それ、返してくれる?」
 レイはビデオを所有者に返品して、ケンスケの隣に回り込んだ。茂みの向こう側にはシンジとアスカが立ちすくんでいる姿がよく見てとれた。ここは草木やブラッシュに囲まれて向こう側からは見えにくいポジションだから、更に都合がいい。
 ケンスケは再びビデオを構えなおした。
「音も拾えるんだ。でも距離が許容範囲ギリギリだから、完璧とは言えないかもしれない」
 そう断っておいて、希望者一名に限りとイヤホンを差し出す。完全に好奇心と罪悪感が拮抗していたヒカリや、判断が少し鈍っていたトウジの手は、一瞬でかすめ取るように握っていたレイの手の早さには到底及びようもない。
 聞くよ、と目で合図するレイにケンスケも頷きで応えた。
 しばらくは耳を傾けることに集中する。ケンスケとレイがイヤホンを分け合っているので、自然とトウジとヒカリはケンスケのビデオの液晶を遠目で見るか、もっと遠目で本人たちの姿を眺めているぐらいしかなかった。もっとも、トウジには中途半端に遠いので寝転がられては退屈で仕方ない絵に映るのだが。
「委員長も、意外とミーハーやな」
「わ、私は別に……。綾波さんに連れてこられたというか、成り行きでこうなったというか」
「えーえー。それ以上言わんでもええて。わーっとる。照れんでもええねん」
「だから違うって!」
 ヒカリが顔を真っ赤にして抗議するが、気が付けばケンスケとレイからものすごい形相でにらまれていた。レイが唇に立てた人差し指を当てている。
「ご、ごめん」
 今更なのだが、ヒカリは口を押さえた。幸い、気が付かれた様子はなかった。
「もう、変なこと言わないでよ」
「へいへい、そーゆーことにしとこか」
 トウジは聞く耳を持っていないようので、これ以上の弁解は後日別の場所ですることにした。ヒカリはそれが「トウジと二人だけで話をする」きっかけを作るいいわけだとの自覚はないが、棚からぼた餅のささやかな幸福は味わっている。いわゆる、結果オーライであろう。
 ヒカリはレイに再び視線を向けた。そして少し驚きつつ引いた。
 彼女はすごい形相で、まさに歯ぎしりでもしていそうである。なにやら小刻みに震えているのは、どうやら何かを我慢しているようだった。
 ヒカリは先ほどの自分の大声のことをまだ怒っているのかと思って数歩下がったが、そうではない。レイの目は前方に向けられたまま逸れることは一瞬たりとも無い。
 隣のケンスケは無表情に録画を続けていたが、しばらくすると隣のレイの様子に気が付いたらしく、彼も驚いたような顔をした。そして次に困ったような表情で目をカメラに戻したが、それは動揺を隠しているか考え事のために誤魔化しているような、回避的行動であった。
 ケンスケが困った表情をしたのはシンジたちの会話を聞いているからに他ならないが、トウジやヒカリはただならぬ様子を察するだけで、何がなんだか全くわかっていないのである。トウジはレイの様子を見ても首を傾げるだけだった。
 そのトウジをケンスケが手招きした。トウジが反応して近寄り始めると、ケンスケはヒカリにも合図を出した。
「どうしたんや?」
「頼みがある。トウジ、委員長、もし綾波が暴発するようなことがあったら、二人で何とかくい止めてくれ」
 囁き声でケンスケは言い、それが隣に漏れ聞こえてないか振り返って確認したが、レイの意識は既にここにはないらしい。
「でもどうしてなの?」
「あとで説明する。もしそうなったら俺も止めに入るけど、一人じゃたぶん無理だ」
 チラリともう一度レイを見るケンスケ。それにつられてトウジとヒカリもレイを見た。
 レイはふーふーと鼻息荒く、だがじっと状況を傍観している。が、ケンスケによるといつそれが終わっても不思議はないらしい。
 それからしばらくは、レイが身をよじったり無意識に髪を掻き上げたりするたびに三人は身を固くした。緊張感のあまり、胃でも痛くなってきそう、とヒカリは思った。
 数分後、動きが生じた。
 レイにではない。ビデオの中の画面が、である。突然アスカがシンジに馬乗りになったのだ。しかも明らかに押し倒すような格好で。
 皆が一様に慌てかけたが、すぐに落ち着きを取り戻した。もしシンジとアスカの上下が逆さまであれば、シンジが早まって犯罪行為に走ろうとするのを止めに入らねばならなかったかもしれない。だが、女性が上にいるのだから無茶なことはすまい。と男子群、そしてヒカリは思ったのだが例外もいた。
「もーだめ」
「え?」
 ヒカリの素っ頓狂な声よりも早く、レイはしなやかな動作で立ち上がっていた。
「待て! 待つんだ綾波!」
 ケンスケの言葉をきっかけにトウジも肩を押さえつけようと飛びかかったが、レイがすっと身をかわし、トウジが目の前から目標が消えたと思った次の瞬間、額に堅いものがぶつかっていた。というより、激突していた。
 レイのクロスカウンター気味に突き出された右フックである。こればかりはさすがにトウジもたまらなかった。軽い脳しんとうを起こして地面に突っ伏した。それを冷ややかにレイは見下ろす。返す刀で呆気にとられる残りの二人にも殺気めいた視線を向ける。
 まるで「邪魔すれば容赦はしない」と言っているかのような目で見られてはどうしようもなかった。
 動きのないケンスケたちを確認したのか、レイは体を捻って後ろと向いたと思うと、すぐに走り出していた。
 取り残されたケンスケは首を振った。
「ダメだこりゃ」
 ヒカリはうつぶせに倒れているトウジを呆れ半分、哀れみ半分で見ながら、深々とため息をついたのだった。










「そんなの関係ないわ! 見過ごすわけにはいかないのよ!」
「はん、それは今朝の報復のつもり?」
「当たり前じゃない。目の前でおんなじ事されようとしてるのに、この綾波レイ、黙って見過ごすほど人間できちゃーいないわ」
 あとは二人とも睨みあうだけである。どこまで本気で怒っているのかわからないが、シンジはとりあえずできる限りのことを当然のように行った。
 慌てて右往左往したのである。
 何か口を挟めば二人の鉄拳でも飛んできそうな状況なので、結局黙ってその場から離れることにした。が、タイミングがつかみにくい。とりあえず二人の注意がシンジから逸れてくれればいい。
 その時、レイが飛び出てきたと思われる方向から新たな物音がした。
「?」
 シンジが見たのは、額に赤い跡をつけたトウジと、その後ろに従っているように立っているヒカリと、カメラをしっかりと構えたケンスケだった。
「あ、あんたたちまで……」
 アスカは言葉を失った。そしてすぐに糾弾を再開した。
「一人じゃ何にもできないのね」
「そこで偶然会っただけよ。最初から一緒にいたわけじゃないわ」
 心の中で、ヒカリは違うけどね、と付け加える。
 アスカがまた何かを言い始めたがシンジは聞いていない。鞄を手にした彼には、もうこのチャンスを逃せば次の幸運まで怒りの矛先が自分に向かないという保証はいっさい無いと、自分の置かれた立場をよく理解していた。
 なるべく誰にも気が付かれないように、そしてアスカとレイにだけは絶対に気が付かれないように細心の注意を払いながら距離をとっていく。
 シンジの様子に異変を感じたのはケンスケが一番最初であった。当然と言えば当然だった。アスカのズームから画面を戻したら、いるはずの場所にシンジがいなかったのだから。
 次にヒカリも気が付いたようだが、彼女は憔悴しきっているらしく、いちいちそんなことに構っていられない、といった態度である。
 最後に残ったトウジは「シンジ、どこいくんや?」と当然のことを口にした。その口調に責めるとか咎めるといった意図はない。心から不思議に思ったことを言葉にしただけであろう。
 しかしそれだけで十分であった。ぶつかり合っている不機嫌と怒りのの矛先をシンジに集中させるには。
「ちょっと、どこ行く気?」
「そーよ、シンちゃん。あとでゆっくり話があるんだから」
 僕にはないよ、と反論を試みるのは止めにしておいた。どうやら逃げる方が先決だ、と思ってからは行動が早かった。
「あ、待ちなさい、ちょっと、こら、バカシンジ!」
 待てと言われて本当に待ったらそれこそバカであろう。シンジは一目散に走り去っていく。まずアスカが鞄を持って走り出し、レイも自分の荷物が茂みにあったのを思い出すと、とって返しすぐに鞄をひっつかみ、10メートルほど遅れて同じスピードで走っていく。
 ぽつんと三人が取り残された。
 トウジは訳が分からない、といった表情でヒカリに尋ねた。
「なあ、なんか悪いことでも言ったか?」
 こいつは間違いなく天然だ、と思うと同時にどっと疲れたヒカリである。この調子では自分の淡い思いなど、絶対に伝わることはない。そう確信した。いや、今まであった確信がより深まった、というべきか。
「まあ、とりあえず一件落着なのかな? シンジも元気が出たみたいだし、惣流もあれはあれで顔が生き生きしてたし」
 トウジは頷き、ポツリと漏らした。
「こりゃあいつらよりも血〜見ることになるかもなぁ」
「あいつらって?」
 ヒカリは既に帰り支度を始めていた。自分たちの荷物を茂みから出しているところだった。
「ん? あー、こっちのことさ。明日の三面記事にでも注目しておいて」
 ケンスケの曖昧な言い方に、ヒカリは一応納得して見せた。彼らの言葉の本当の意味を知ったのは、翌日の新聞の記事を読んだときである。










 翌朝、顔に絆創膏やガーゼを張り付けたシンジがダイニングに顔を出した。今日は珍しく一人で起きたようである。
「あらおはよう。どうしたの?」
 普段起きていることのない時間にシンジが顔を出したものだから、ユイが失礼な質問をシンジにしていた。シンジは顔にできた引っ掻き傷に触れ、顔を痛そうにしかめた。
「だってさ、僕の知らないところでいろんなことが昨日あったんだよ。始まりは昨日の朝、レイが起こしに来たせいのような気がするからなんとなく」
 これ以上やっかいごとは御免だ、と言いたいらしい。
 一応の回答を得た母親は声を出さずに笑いながら弁当製作に戻っていった。
 シンジが眠たい目をこすりながら席に着くと、既に新聞を広げていたゲンドウが声をかけてきた。
「おまえも気をつけるんだな」
「なんだよ、父さん。藪から棒に」
 ゲンドウの回答は、新聞の三面記事をシンジに突き出す、という形だった。
 シンジの目が紙面をさまよう。そしてゲンドウの一言に該当する記事を発見して停止した。
「えーっと、白昼の惨劇か? 犯人の目的は不明。って、なんだこれ?」
「中学生が次々と倒れたらしい。それも男子ばかりがな。そういった奇妙な病気かもしれんぞ」
「なんで中学生限定なんだよ」
「中学生の年代、ということだ。浅慮をさらけ出して威張るな、愚か者め」
 息子の不安と機嫌の悪さを増加させておいて、ゲンドウは平然とお茶をすすった。










 一時間ほどケンスケのビデオにはシンジが映っていない時間帯がある。
 その間に彼らはシンジの尾行を中断していた。正しくはトウジがシンジの向かった場所を確認し、ケンスケはターゲットの捜索である。トウジはシンジが向かった方向から目的地を途中で予測し、すぐにケンスケの作業に加わった。
 渡されたトランシーバーでトウジが連絡を入れたとき、ケンスケは既に目標と接触していた。
 トウジが来いと呼ばれたのは、五階建ての百貨店の屋上だった。
 子供たちの遊具が並んでいる隣にペンキの剥げかけた古いベンチがいくつか置いてある。その一つにケンスケが座っているのが入り口から見えた。そのケンスケの周りを取り囲むようにして、同じ中学校の制服を着た生徒たちが取り囲んでいた。
 トウジは一瞬鋭い顔つきになったが、すぐに表情を作り直した。
 いくら彼らがシンジに憤りをぶつけたからといっても、自分がそれに対して怒っていると悟られたら何もできないからだ。笑顔を作って歩き出した。
 向こう側では取り囲まれているが、状況はかなり異なる。シンジのときと違うのは、場がやけに和やかであることだ。ケンスケは談笑しつつ話を進めているようだった。
「よっす。遅れて悪いなー」
「いや、なに。ちょうど良かった」
 ケンスケは口ではそういいながら、目で尋ねてくる。トウジは念のためもう一度辺りを見渡して頷いた。この場所にたどり着くまでにちゃんと確認しておいたが、絶対ということはあり得ないからだろう。
 ケンスケはやおら立ち上がると、彼の手元にあるビデオカメラを周りの一人に渡した。周りの男子生徒はケンスケを取り囲んで、映し出される映像を注目していたようだ。
「俺たちはちょっと話があるんで、五分くらいそこで続きを見ててください。すぐに戻りますから」
 気さくな雰囲気である。この相手を弛緩させる雰囲気で写真を売りさばいてきたに違いない。だからこそ彼らは見事にひっかったのだろう。
 トウジとケンスケは商談の話でもしているかのように装いながら歩き去っていく。三十歩分くらい離れたところでケンスケが手振り素振りをつけながらトウジに説明しているのが見えているはずだが、別に大したことは喋っていない。
 それを見て、男子生徒群は続きを見始めた。
 先ほどまではじらすように女子更衣室まで接近する様子が映し出されていた。そこに計ったようなタイミングでトウジが現れたのは偶然である。ケンスケはどうせ一人でも実行に移すつもりだったが、二人だとなお良いので当初の計画通りにすることにしたのだ。
 再生ボタンが押され、いよいよ更衣室の中が覗ける、と見ている全員が思った。なにせ一番初めは惣流アスカと綾波レイが話しながら更衣室に入ったところだったのだから、彼らの鼻息が荒くなるのも無理はない。誰もが胸を期待で躍らせながら、よく見ようとビデオカメラの液晶を食い入るように見つめる。
 離れた場所で見ていたケンスケがそのシーンの説明をしていたとき、トウジが「あっ」と短い驚きの声を上げた。すぐにケンスケも振り返って現場の方を確認する。
 そこには様々な格好で白目をむいて倒れている男子生徒たちの姿であった。
 すぐに二人とも近づく。が、少し離れたところでケンスケはトウジを制した。
 よく見ると一人はブクブクと泡まで吹いていた。
「おいケンスケ、いったい何を見せとんのや?」
 ケンスケは画面を見ないようにしながら停止ボタンを手探りで見つけて押し、ふうっと安堵のため息をもらす。
「なに、大したもんじゃないよ。昔のニュースをヒントにして、人を強制的にこうなるような映像を見せてやったのさ。威力は実験済みだったから、ご覧の通りの品質、ってワケ」
 正直トウジは呆気にとられた。ココまで強烈とは、と思ったのである。ちなみに実験台になった不幸な人物は相田ケンスケその人である。自分で作っておきながらあわ吹いて倒れるという失態を演じて以来、半ば封印されていた映像である。
「とりあえず逃げよか。後が面倒やしな」
「そうしよう。誰かに見られると厄介だし」
 先ほど二人が確認していたのは、人がいるかいないかであった。人目がないところでないとこんなことはできはしない。ケンスケが見せたのは強烈な二色のフラッシュであるから、別に害があるわけでも無いのだが、この有様では誰も信じてくれないだろう。
 というわけで、実行犯の二人はそそくさと逃げ出し、シンジの追尾を再開した。家に電話をかけて不在が判明したためである。
 その後、放置された惨劇は程なく発見され、新聞に小さな記事として載ることになった。が、ひっくり返った当人たちはビデオを見たことまでは覚えているものの、ビデオを見ただけで気絶するとは想像の範囲外なので、理由を特定することはできなかった。
 警察の事情聴取にも首を捻るばかりなので、誰も何も言えないまま、事件は風化していった。










「おっはよー、シンちゃん」
「あ、おはよう」
 今朝はレイのテンションも高いらしい。
「おっはよーございまーす」
 玄関が開くと同時に、もっと元気な声が全員の耳に届いた。程なくしてアスカが姿を見せる。
 そのアスカは、碇家の面々が全員集合しているところをしげしげと見つめ、眉をひそめてシンジに詰め寄った。
「なにがあったの?」
 静かだが、言いしれぬ迫力がある。
「おやようアスカ、って、え? 何が?」
「とぼけるんじゃないわよ。何もないのにこの時間、あんたが起きてるハズがないわ」
 失礼な、と言いかけてシンジは開きかけた口を閉じた。シンジが何も言わないのでアスカの追及は自然とレイに向く。
 レイは慌てて首を左右に振った。ここは逆らわない方がいい、とレイの危険本能がシグナルを鳴らしていた。朝一から大声を出したくなかったという理由もある。
 昨日のように何かあったのではないかと疑ってかかっているアスカに対して、シンジは平然と箸を動かしている。
「たまには僕だって早起きするよ」
 偉そうに言うシンジにやましいところは何一つ無い。
 その時たまたま目があった。すぐにシンジがそらしたが、シンジもアスカも昨日のことは引きずっていなかった。お互いにそう見た。そして同時に一安心もしている。
 シンジの顔の生傷が和解のための代償だとしたら、それは安いものだったかな、とシンジは思った。
「明日は雨かしらね」
「雪かもよ」
 レイは顔を洗うために風呂場の方へ消えていきながら、シンジに追い打ちをかけていった。
 さすがのシンジもあまりの酷い言われようにムッとして思わず振り返ったが、レイの姿は既にそこになく、アスカは冷ややかな目で見下ろしている。
「とにかく。早く食べちゃいなさいよ。タダでさえトロいんだから」
 更にムッとしたシンジはアスカの方を見ようともせず、ムキになってご飯を口に掻き込み始めた。
 アスカは苦笑の後、ホッとしたような微笑を浮かべていた。
 ま、いっか。
「何か言った?」
 シンジが口の端に米粒をつけたまま振り返る。
「別に何も。それに汚いわねぇ。頬張ったまま喋るんじゃないわよ」
 シンジは食事を再開したが、アスカはすることがないので適当にレイを急かし、シンジの隣に座った。
「おはよう、アスカちゃん」
「おはようございます」
「いつもこうだと、アスカちゃんもうちで朝ご飯食べれるんじゃないかしら?」
「ほんと、そうですよね」
 ユイの微笑みに、アスカも笑って応えた。
 ユイが顔を近づけてきた。アスカも耳を寄せた。
「大変だと思うけど、がんばってね」
 アスカはその言葉の真意を完璧に理解し、少し頬を赤くした。
「はい」
 迷いの言葉で、アスカは胸を張る。
 シンジが不思議そうな顔で見ていた。
 アスカは舌を出して、「あんたなんて大っ嫌い」という素振りをしてみせる。
 開けられていたベランダのサッシから、初夏の冴えた風が吹き込んできていた。
 コンフォート17マンションの朝は、おおむね順調であった。




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