張元(チャン・ユァン)監督 <第六世代>


広場
天安門広場には,観光や遊びさらには政治活動など様々な目的で毎日,数十万人が訪れる。そうした人々を撮り続け,広場と人民の関係を考えるドキュメンタリー(モノクロ)。
広場は警官や警備兵に常時,守られていて,ここを管轄する警察署長へのインタビューでは,ナイフを振り回した男の事件や母と子が人民大会堂に手製爆弾を抱えて突撃しようとした事件が紹介されるが,過去最大の事件であろう,天安門事件については,一言も語られない。
一日,広場にいれば,いろんなドラマが見れる。天安門をバックに4枚10元で撮影する写真屋さんが大繁盛し,スケボーをする若者に混じって,老人がフリスビーやトランプをして楽しんでいる。ジョギングや太極拳をする人々,それに凧上げをする親子などもいて,広場は日常的な人々の憩いの場になっている。
毛主席記念堂の周りは毛沢東の遺体を一目見ようという外地人(お上りさん)で長蛇の列だ。遺体の見学には入場券は要らず,身分証か紹介状があればいい。毎日行われる国旗掲揚式典も観光客の楽しみの1つだ。厳かな式典を見学した後,インタビューを受けた広西や雲南の農村から来た子供たちは,皆感動したと感想を語る。式典のため解放軍の兵士が隊列を組んで演奏しながら,天安門の方から長安街を横切って広場へ行く時には,メインストリートは通行止めになるが,ドライバーは文句を言わない・・・。
外国からの賓客が来た時には,人々を広場から追い出し,兵士たちが祝砲を撃つ。追い出された人々は,その様子を遠くから眺めるが,誰も文句を言わない。広場は一体誰のもの?人々の憩いの場,それとも中国の顔として,権力側が守るべき象徴なのか?撮影は天安門事件から5年経った1994年に行われたものだが,監督の頭の中に事件のことが全くなかったとは言えないだろう。いや,むしろ,「事件後の天安門広場」というテーマで撮ったのかもしれない。一言も事件について触れないことが,却ってそういう思いにさせる。
(1994年中国・日本/監督:張元/2001.10.23video)
インペリアル・パレス(東宮西宮)
ドキュメンタリーの分野で特に異彩を放っている張元監督の問題作。この映画はドキュメンタリーではないが,同性愛(ゲイ)を扱ったため,中国当局から、にらまれたらしい。
北京の公衆トイレに集まるゲイたちと彼らを取り締まる警察という出だしで始まるが,この映画の見所は彼らの生き方ではなく,ある夜,公園近くの派出所に連行されたゲイの青年アラン(阿蘭)が彼を取り調べる警官・史小華に自分自身のことを語り始めるうちに,取り調べる警官の方が動揺していくというところだ。
映画の中では”罪人と執行人”或いは”女賊と役人”という例えをするが,ゲイを変質者と決め付け,卑しいものだと認識していた権力者である警官が,夜の派出所という密室の中で,罪人であるゲイの青年を一人で取調べているうちに,それは実は自分にも起こり得ることなのだと気付く,その心境の変化が面白い。少し変な目で見られそうなテーマの割には,監督はこの二人のやり取りをしっかりと描いているので,なかなか見ごたえがありました。
尋問中に,”女賊と役人”の京劇のシーンが挟まれているのが,いいアクセントになっていたと思います。ラストはどうするんだろうと心配してましたが,やはり難しかったんでしょうね。今ひとつ分かりにくい終わり方でした。
(1996年中国/監督:張元/2004.1.4video)
クレイジー・イングリッシュ(瘋狂英語)
「最大声,最快速,最清晰」(大きな声で,早く,はっきり)と英語を話す練習をする独自の英語学習法「瘋狂英語」を広めるために中国各地で講演を続ける李陽先生の活動ドキュメンタリー。
「英語を学ぶのは金儲けのためで,日・米・欧の三大市場を征服するのだ」と過激な発言があるかと思えば,分かりにくい発音標記をジェスチャーで教えるなどユニークな方法で聴衆を魅了してしまう圧倒的パワーに驚かされる。
ただ,映画として見た場合,万里の長城,清華大学,紫禁城,ハルピン,ウルムチなど各地での熱狂的な講演の様子やインタビー風景が主で,李陽先生の私生活というか素顔の李陽というか,個人が描けていないので少し物足りない。講演の準備とかも取り混ぜたらよかったのではないかな?(NHK特集のドキュメンタリーならそうしただろうなと思いながら見ていた)
とは言っても,中国語の勉強が中断しているボクにとっては,とてもいい刺激になりました。継続して勉強しなければ・・という意志が少し芽生えたかな?ボクも今度,誰かに中国語の学習目的を聞かれたら,「賺銭(金儲け)」と答えてみよう。
(1999年中国/監督:張元/出演:李陽/2000.10.30シネツイン)
ただいま(過年回家)
16才の時,5元の金を盗んだ罪を着せられてカッとなり,発作的に義姉・シャオチン(小琴)を棒で殴って殺してしまい,刑務所に入れられていたタウ・ラン(陶蘭)は,刑期17年目の旧正月を模範囚ということで家族の元で過ごすことを許可される。両親が駅に迎えに来てなくて待合室で途方にくれていたタウ・ランを,帰省先が同じ方向だった刑務所の若い女主任・小潔(シャオジエ)が偶然に見つけ,彼女を実家へ送り届けることにする。
タウ・ランが以前住んでいた家は,再開発で取り壊され瓦礫の山になっていて,両親はよそへ引っ越したあとだった。派出所で転居先を聞いたりして,二人はなんとか両親の引っ越したアパートにたどり着く。しかし,そこでタウ・ランが見たのは,17年前の身内殺しのショックからいまだに立ち直っていない両親の姿だった・・・
タウ・ランが刑務所に入っていた間の,外の変化はすさまじかった。あちこちで街の再開発が行われ,仮出所したタウ・ランは,バスに乗り込むことや車の洪水を避けて道路を渡ることもうまくできない。また,女として最も輝いている時期の17年間を刑務所で過ごしたタウ・ランは,若くて美人でてきぱき行動するシャオジエに比べ,すっかりおばさんになっている。自分では何も判断できず,シャオジエのいうとおりにしか動けない彼女は,常に「はい。主任!(是,隊長!)」と言うのが口癖だ。
両親の引っ越した先のアパートのガスコンロや湯沸かしのシャワーといった小道具も時代の流れを感じさせる。17年前シャオチンは,洗面器に残り湯を入れて足を洗っていたもの。しかし,17年という長い年月が経っても両親とタウ・ランの心の中だけは変わっていなかった。タウ・ランにはそれが分かっていて(両親が帰って欲しくないと思っていること),家に帰りたくないと言ったのだが,それがわからないシャオジエは職務上の責任感から無理やりタウ・ランを家に帰そうとする。
母親の連れ子のタウ・ランが父親の連れ子のシャオチンを殺す。そんなショッキングな事件が起こったのだ。残された家族の心の傷はいつまでたっても癒えることはない・・・
重苦しいテーマだが,後半部分はシャオジエを演じる李冰冰が完全に主人公?制服姿がカッコよくてキレイな女優さんですね。ラストが,「え,これでもう終わっちゃうの!」という感じだった。水餃子を食べながら,自分の身の上話をタウ・ランに語ったシャオジエが,この一件で人間的に成長した後に,自分の家に帰省する様子も見たかったな。
(1999年西安映画製作所/監督:張元/2001.10.10video)