中国東北地方・鉄道とバスで旅する2000キロ(その1)

〜ロシア国境の街・満洲里(マンチョーリ)と草原都市・海拉爾(ハイラル)〜

(2001年8月)

プロローグ

満洲里駅の跨線橋から 内モンゴル自治区のロシア国境の街・満洲里から黒龍江省・吉林省・遼寧省と東北三省を縦断し,遼東半島の先端に位置する港湾都市・大連まで約2000キロを列車とバスを乗り継ぎ,駆け足で回ってきた。

この旅の起点はハイラルに決めた。北京からまず,内モンゴル自治区の草原都市・ハイラルへ飛行機で飛び,ハイラルから満洲里へはバスで移動(240キロ)。満洲里から黒龍江省の省都・哈爾浜(ハルピン)へは15時間の夜行列車(軟臥車)の旅(935キロ)。ハルピンから吉林省の省都・長春へは3時間の列車(軟臥車)の旅(242キロ)。長春から遼寧省の省都・瀋陽へも同じく3時間40分の列車(軟座車)の旅(305キロ)。瀋陽から大連へは高速道路を4時間50分,バスでひた走る(380キロ)。市内観光を別にした移動距離は2000キロを超え,時間にしても30時間を超える長〜い鉄路と陸路の旅であった。


溥儀の閲兵台より 今回の旅行は,1932年に日本が満州国という傀儡国家を作って以来,この地方の人々に対して行ってきた数々の残虐な行為に対する贖罪の旅でもあり,モンゴル料理,淡水魚料理,ロシア料理,朝鮮料理(焼肉),きのこ料理,餃子料理,海鮮料理と,日々異なる豪華な食事の出るグルメな食材の旅でもあった。

絶景と讃えるほどの自然美があるわけでもなく,壮麗な建築群があるわけでもなく,はたまた4000年前の悠久の歴史遺産に巡り会える旅でもない。その意味で,これまでの旅行と比べて少し物足りなさを感じたが,三度乗った列車の車中や連日繰り出した夜店などで中国の方と直にお話できる機会が意外と多く,観光地巡りよりは,むしろそういった観光以外の出来事の方が印象に残っている気のする旅であった。


1日め(8月22日) 福岡〜北京 

第13回日中文化交流学会訪中団24名を乗せたCA1916便は,18時30分ほぼ定刻に福岡空港を飛び立った。臨時便なので飛行機が小さく,座席も窮屈だ。しかし,北京へは直行で飛んだため,19時50分(これより現地時間)には北京空港に到着した。北京は4度目だが,新装なった北京空港に降り立ったのは,これが初めてだ。2008年にオリンピックを開く国家の意気込みが感じられるすばらしい空港だ。ここで今回の旅行で通しのガイドを務める上海国際交流服務公司のYuさんの出迎えを受ける。雲南省,九寨溝に続き3年連続でお世話になるのですっかり気心は知れている。

二鍋頭酒
現地ガイドの李さんの案内でバスに乗って夕食へ。今日は,ちょうどユニバーシアードの開会式と重なった。交通規制があって少し時間がかかるかも知れない。街のライトアップがとてもきれいだ。特に,ロータリーで立体交差する高架道路の欄干部分に電灯を配置するなんて,発想がいいなと感心しているうちにレストラン(美麗都大酒店)に着いた。
夕食には北京ダックも出たけれど,ぼくの気に入ったのは食卓に置いてあった「二鍋頭酒」の小瓶。北京の老百姓(一般庶民)が飲む白酒(コーリャン酒)がこんなところで飲めるなんて・・・度数は56度なのでかなりきつい。でも,おいしい。食事後,宿舎の首都大酒店へ。今夜はもう遅いので,街には出ずに寝ることにしよう。


2日め(8月22日) 北京〜ハイラル

ホテルを7時30分に出発し,天安門広場で1時間ほど自由行動。毛主席記念堂に入る順番待ちの人の列の長さに驚く。毛沢東は未だに中国人民からこんなに愛されているのか!人民英雄記念碑の進入禁止のロープの前に立ち,旅行に出る直前に見たドキュメンタリー映画『天安門』の中で,1989年の天安門事件で民主化を要求し熱く燃えた学生たちのことを想い出し,ひとり感慨にふける。10年以上も前の出来事なので当時の流血騒ぎも風化してしまったなあ。
毛主席記念堂 人民英雄記念碑


サル茶
このあと,空港へ向かう途中でトイレ休憩に立ち寄ったお茶屋でお茶の入れ方と飲み方の講習を受けた後,お茶の売り込み攻勢を受ける。雲南省の,人が登れないような高所に生える茶の葉を,訓練した猿に摘ませたというサル茶が最近のお薦め品らしいが,1袋2000円と高い。形は細長くて少し変わっているが,糖尿病に高血圧,コレステロールや便秘にも効き,さらにやせる効能もあるという。一口飲んでみたけど,かなり苦かったな。三口で飲むのが作法だそうで,店員さんの説明によると,「苦〜い」,「甘〜い」,「うま〜い」と味が変わるそうだ。


北京空港を11時20分に飛び立ち,ハイラル空港に13時10分に着く。ハイラルは内モンゴル自治区のホロンバイル盟(日本でいう県くらいの感じ)の首府で,モンゴル語で「ニラ」を意味する。野生のニラがたくさん生えていたことからこの地名が付いたということだ。まず,ホロンバイル賓館のホテルの前に並ぶモンゴルパオの形をしたレストランで昼食をとる。バター茶に始まり,血の腸詰ウインナー骨付き羊肉などモンゴル料理のオンパレードだ。
血の腸詰ウインナー 羊の骨付き肉


地下要塞
食事の後,エベンキ(鄂温克)族博物館に行く。エベンキ族は大興安嶺山脈の西側・ホロンバイル草原の東南部に住む少数民族で,その一部は未だに狩猟生活を営んでいるという。粗末な手作りのカヌーやテントを展示して,その生活様式や歴史を紹介している。

15時40分,博物館を出て,気分の重くなる戦跡を見に行く。関東軍がロシアの侵攻に備えて1934年6月から1937年末にかけて,約2万人の中国人を強制労働させて造った21平方キロに及ぶ地下大要塞だ。地下20〜30mまで階段を降りていく。地下は摂氏5度くらいでとても寒いということで,入口で防寒服を貸してくれた。地下は展示室になっていて,日本軍の行った行為を非難する写真やパネルを展示してあった。地上に出るための長い地下道を歩きながら,よくまあこんな要塞を造ったなあと感心していたら,造らされた中国人は秘密漏洩を防ぐため完成後に全員殺されたと説明があり,気分が暗くなってしまった。日本軍は本当に悪いことをしてきているなあ。
地上 展示室


馬頭琴
16時50分頃,ここを出て気分を変えて草原で遊ぶことにする。フホヌーアル(呼和諾尓)という湖のほとりの,ホロンバイル草原最大の観光スポットに着いた。モンゴルパオの中でバター茶を飲みながら馬頭琴の演奏を聞き,草原では馬に乗ったり散策したりして,しばしのんびりと時を過ごす。

ここは,5年前に訪ねた同じ内モンゴル自治区のフフホトの近くの四子王旗と比べると観光的にはかなり見劣りする。宿泊用のパオや乗馬用の馬の数も少ないし,ラクダや馬車それにモンゴル相撲などの見世物にもお目にかかれない。素朴といえば素朴だが,本物のモンゴルパオに住む人たちを訪ねる予定も時間の関係でカットされた上,草原に沈む夕陽の写真も雲がかかっていてうまく撮れなかったこともあり,多少消化不良のままバスに乗り,今日の宿泊地・満洲里に向かった。
草原 夕陽


草原を出たのが18時50分。ハイラルの街から満洲里まで240キロあるという。多少満洲里に近づいているとはいえ,ホテルに着くのは夜中になるだろうな。でも,バスの運ちゃんは暗い夜道を時速100キロを超える猛スピードで走って行く。 街に入る前に眠気に襲われ,気がついたら「満洲里国際飯店」に着いていた(21時30分頃)。ホテルの中はロシア人だらけだ。男性も女性も家族らしき人達も大勢いる。夜遅いのにパーマ屋さんも繁盛している。ここは本当に中国かと疑いたくなる。不気味な上,夜も遅いので,今夜も食事が済んだらさっさと寝ることにした。



3日め(8月24日) 満洲里〜(車中泊)〜ハルピン

今朝の出発は9時と,割と遅めであったので,朝食後に街を歩いてみることにした。ホテルから駅の方へ歩いて行く。線路で街が南北に分断されている。歩行者・二輪車専用の跨線橋の上から国際線と国内線にホームが分かれた駅が見下ろせる。満洲里は小さな街だ。建て込んだビルのすぐ後ろに草原が見える。
跨線橋


散策を終えホテルに戻り,10時に今回の旅行のメインである(自分としては)国境の近くにあるロシアとの貿易市場(中俄互市貿易区)へ行く。なぜ10時かというと理由がある。ロシアとの時差が2時間あるそうで,それまで待たないとロシア人がやって来ないのだそうだ。10時になると大型バスに乗って続々とロシア人がやってきた。大きなカバンを開いて,国境貿易の始まりである。中には「ラクダ隊」と呼ばれる運び専門の人達もいる。はるばるロシアから買い付けにやって来て,持てるだけの商品(我々にはとても無理な量だが)をロシアに運んで,日当はたったの50元だ。
ロシア バス


ロシアから来たバスを停めた駐車場の向こうに,線路を跨ぐようにして立つ中国とロシアそれぞれの国境ゲートが遠く見える。立入り禁止の柵の向こうにはロシアの建物も肉眼で見える。陸の国境を持たない我々日本人にとっては,これだけでも十分うれしい。
国境 フェンス


ここには,観光客用に常設されている屋内マーケットもあり,中国製,ロシア製の日用品から電化製品までありとあらゆる商品を売っていて,ぼくはロシア人形マトリョーシカを買った。たくさん買ってまけさせる人がいたり,底に紙が貼ってあるのがロシアで作った本物だと自慢する人がいたりして,「あ〜,損した。」とか「だまされた」とか,皆にぎやかに買物をしている。 しかし,そもそもこんな所で,どれが本物でどれが偽物かなんて分かるはずがないだろう。紙だって貼ろうと思えばいくらでも貼れるんだから。こういうところでは,とにかく自分が気に入ったものを買い,自分としてはそれを本物だと思っていれば,それでいいんじゃない♪♪
昼食は満洲里の市街地から南に離れ,中国で五番目に大きい淡水湖・ダライ湖(別名ホロン湖)のほとりのレストランで淡水魚料理を食べた。ダライ湖は冬期の湖面凍結面積が2335kuというから琵琶湖の約3.5倍,東京都がすっぽり収まるほどの広さがある。
人形 ダライ湖


行き先
昼食後,街に戻り15時50分発の寝台列車(軟臥車)に乗りハルピンへ向かう。 17時30分,食堂車が混む前に早めの夕食をとり,その後,いくつかのコンパートメントに分かれて,しばし酒盛りやら雑談をしていたが,皆意外と早く床に着いた。 10年前,シルクロードを旅した時には,夜行列車の中でトルファンで大量に買い入れたおいしい葡萄酒を夜遅くまで飲んで騒いだものだが・・・まあ,あの当時のメンバーと比べてみると,今回は平均年齢,かなり高いから仕方ないか。
駅 汽車


中国東北地方・鉄道とバスで旅する2000キロ(その2)に続く。


中国東北地方・鉄道とバスで旅する2000キロ(その2)
忘れがたき中国旅行 内蒙古自治区