内モンゴル〜緑の大草原と青い空(前編)
(1996年7月)

プロローグ

草原
95年の訪中団のチベット旅行が高山病のおかげで悲惨なものとなったので, 96年は安全なコース(?)を選び,内モンゴルの大草原でパオに泊まって, 自然とふれあい,おもいっきり遊ぼうという企画になった。

内モンゴル大草原の旅に出たのは,今から6年前である。 チベットの時と同じように,細かくメモを取っていなかったので, このたび,思い立って旅行記の筆を起こそうとしたが,なかなかむずかしかった。 団員のAさんが撮影していたビデオがあったので,それで記憶を呼び戻しながら, 悪戦苦闘し,まあ,なんとかサマになったかな? (2002年9月記す)

1日め(7月31日) 福岡〜北京〜フフホト(呼和浩特) 

選手村
旅は,順調そのものだった。 われわれ訪中団28名の乗ったMU518便は,11時45分ほぼ定刻に福岡空港を飛び立ち, 15時35分(これより現地時間),上海経由で北京空港に到着した。 4年ぶりの北京は,90年のアジア大会のおかげでホテルは増えてはいるが, 街の勢いは上海に比べるともう1つという感じだ。
まず,アジア大会の時の選手村(今はマンションになっている。)へ行く。 各部屋のベランダから突き出したエアコンの室外機の並ぶ景色が壮観?だ。 その後,ガイドのコースになっているからと無理やり高い土産物屋に連れて行かれる。 しかし,我が団は旅慣れしている者が多いので,この頃には値段が高いと思えば誰も買わなくなっていた。 (お茶や西瓜だけをただ食いする客を連れて来られては,店の人も困るだろうな。)
その後,市内で夕食を食べて,飛行機に乗り,この日のうちにフフホト(呼和浩特)に向かう。 飛行機が小さかったのか,予約の仕方が悪かったのか,全員が同じ飛行機には乗れず, 5人ほど後発の飛行機で来ることになった。何もなければよいが・・・
フフホトのホテル(昭君大酒店)に着いたのは23時40分。 後発隊を待っていてもしょうがないので,先にそれぞれ部屋に入ったが, あとから聞いた話では,後発隊の乗ったタクシーのうちの1台が,空港からホテルに来る 途中で追突事故を起こしたらしい。 人身事故でなくて,一安心だが,これは不吉の前兆か?


2日め(8月1日) フフホト〜パオトウ(包頭)

まだ,草原には行かない。 この日は寺院巡りだ。ホテルを7時半にバスで出発して西のパオトウに向い, フフホトから80キロくらいの所にある「美岱召(びたいしょう)」を目指す。 バスに乗っている間,激しく降っていた雨も寺に着いた時にはあがっていた。 でも,地面がぬかるんでいて,あちこちに水溜りもあるため注意して歩かねばならない。
美岱召の「召」とは「廟」の意味で,ここは,明の時代に創建された 漢とチベット両方の建築様式を取り入れた寺院だ。 周囲が城壁で囲まれ(登れます),四隅には楼閣が建っているのが,普通の寺とは変わったところだ。
美岱召 楼閣

この後,70キロくらい西に走り,一旦,パオトウまで行く。 退屈なバスの車内では,ガイドの兄ちゃんが気を利かしてモンゴル民謡を歌ってくれた。 今日泊まる予定のホテル(青山賓館)で昼食を食べた後, 13時半にバスに乗り,少しフフホトに戻る感じで, パオトウから北東70キロの所にある「五当召(ごとうしょう)」に行く。
この寺は清代に創建されたもので,ぼくの見たところでも完全にチベット仏教様式の寺だな。 なんでも内モンゴルで唯一のチベット仏教寺院らしい。 山の広い斜面に這うようにいくつもの伽藍が配置されている。 ポタラ宮を模したということだが,寺院全体の雰囲気は,むしろデプン寺に近いという気がした。 1時間ほど寺を見学した後,露店を冷やかして次の目的地に向かう。 (露店があると,欲しいものがあろうがなかろうが必ず立ち寄る,もう一種の病気?)
五当召 全景

露店

五当召を出たのが16時半で,このあと約2時間,バスがどういうコースを走ったのか定かでない。 なにしろガイドブックにも載っていない「麻池古城」を訪ねるのだ (たぶん,パオトウの方に戻って来たのだと思う)。 団員の誰かが日本で情報を仕入れ,行く価値がありそうだということで, 事前に中国の旅行社に連絡して場所を探してもらっていたもので, ガイドさんだって初めて行くようなところだ。
迷いながらあちこち探して,やっと「麻池古城」の城跡の碑が建っている丘を見つけた。 でも,どんないわれがあるのかよくわからない。 来る価値があったのかな?と思ったが,まあ黙っておこう。 最長老で中国語もたしなむFさんは,城跡の碑などそっちのけで, この近くに住む人との会話に夢中になっている。 通訳をしているのは,現地ガイドと一緒に今朝から同行しているフフホト市外事弁公室の李公平副総経理だ。(我々はVIP?) この辺の人も外国人が来るのは珍しいのだろう,根気よく相手をしてくれてる。 ここを出たのが19時ごろ,外はまだ明るい。 でも,今日は,長時間バスに乗ってくたくただ。ホテルに帰って早く寝よう。
城跡の碑 Fさん


3日め(8月2日) パオトウ

今朝は8時出発。パオトウから南に200キロ余りのところにあるジンギスハン陵に向かう。 パオトウとはモンゴル語で「鹿のいる場所」という意味だそうだ。 かつては草原に鹿があふれていたのだろうか。 今は内蒙古自治区きっての工業都市だ。 バスで1時間くらい走った所で製鉄所の高炉が現れた。 「大地の子」の陸一心が内蒙古鋼鉄公司へ飛ばされた話を思い出す。
パオトウから120〜130キロ(約3時間)走った所にある伊盟東勝市でトイレ休憩をする。 休憩の合間にもシンちゃんはYUKOちゃんと一緒に,地元の女の子(段瑞玲さん)を見つけ, 中国語会話の練習に勤しむ。
製鉄所の高炉 段さん

そこから1時間くらい走ると,道が極端に悪くなってきた。 昨日の雨か,その前に降った雨が原因か知らないが, 未舗装の道にあちこち大きな水溜りができている。 不安が的中した。 お花畑に挟まれた泥んこ道のところまで来て,道がついに通行止めになっていた。 車高の高い中国製のバスなら水溜りの中を無理して突っ走ってもいいが,我々の乗る日本製のバスは 車高が低いため,無理をするのを運転手も嫌がった。やむを得んかなあ〜。
ジンギスハン陵へ行くのは断念し,途中で昼食をとってから,砂漠へ遊びに行くことになった。 でも,モンゴルって草原じゃないの?砂漠なんてあるの? それに昼食だって大変だよ。当初のスケジュールにはないもの。レストランなんて予約してないでしょ。 それでも,なんとか頼み込んで地元のレストランに無理やり入れてもらうことに成功し, 腹ごしらえをしてから,砂漠をめざした。
通行止め お花畑

その砂漠(というよりは砂丘かな)は, パオトウに戻る途中にありました。 名前は「響砂湾」といい,位置的にはパオトウから40キロくらい南の辺りでしょうか。 ここは変わっている。 砂丘は川を渡った対岸にあり,トラクターに乗って川を渡り砂丘の麓まで行かねばならない。 必然的にトラクター屋の商売が成り立つわけだ。 何台かのトラクターに分乗したのはいいけれど,気がついてみると そこら辺にたむろしていた子供たちも勝手に我々の乗ったトラクターに乗り込んでいる。 なんだこの子らは?これは乗り合いタクシーか? 対岸に着いてトラクターを降り,尾根に沿ってゆっくり砂丘を登って行く。 なぜだか知らんが子供らも着いて来る。
タラクター トラクターの上で 黒い傘を持った子

別に物乞いをするでもなし,モノを売りつける訳でもないから, 気にせずに一緒に行動したり記念写真を撮ったりした。 子供親善使節だろうか,それとも外国人が珍しくてただ着いてきただけか? 黒い雨傘を日傘代わりにさしていた女の子が特にシンちゃんを気に入ったみたいで, ずっと着いてくる。 かわいいから連れて帰ろうかと思ったがそれでは人攫いになる。 中国語でいろいろ会話をした記憶があるんだが,残念ながら何を話したか忘れてしまった。 砂丘では馬やラクダに乗ったりできる。 敦煌の鳴砂山の小型版といったところかな。 ジンギスハン稜には行けなかったけど,まあそれなりに面白かった。
帰りも往きと同じようにトラクターに乗ってバスのところまで戻り, 子供達に手を振りながら別れた。 お礼にバスの窓からアメをあげると,奪い合いを始めた。 そういうことは,バスが行ってからにしろよな。
記念写真 砂丘

女の子たち

ホテルに戻る途中,道端で西瓜を売っているのを見つけ,暫時,西瓜休憩とする。 砂漠で喉が乾いていたので,みんなバクバク食っている。 日本人がたくさんいるのが珍しいのか,近所の家から女の子たちが様子を見に出てきた。 そのあとホテルに戻り,明日の草原ツアーに備えて早く寝ることにした。
西瓜休憩 近所の子


内モンゴル〜緑の大草原と青い空(後編)に続く。


内モンゴル〜緑の大草原と青い空(後編)
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