シルクロード〜遥かなる西域への旅〜(前編)
(1992年8月)
鳴砂山

プロローグ

NHKでシルクロードの番組を見たのはいつのことだろう。 それ以来,いつか行ってみたいとずっと思っていた。 この旅行団でシルクロードに行くとの情報を得て,居ても立ってもいられず, たまたま事務局の人を知っていたので,頼み込んで仲間に入れてもらった。 あれからもう10年も経っている。
シンちゃんのこれまでの中国旅行暦は3回で,どこかのツアーに友人と参加して行くというのが主で, 行先も北京や上海,香港といった都市部と桂林,西安などの有名な観光地ばかりだった。 今回の辺境の旅では,これまでに経験した中国とはまた違った中国を体験できるものと 期待に胸を膨らませて出かけたものだ。
今でこそあまりなくなったが, 時間に不正確でいつ運行中止になるかもしれないという交通機関は 当時はさほど珍しくなく,我が旅行団も旅行中,ニ度も 飛行機が飛ばないという事態に遭遇し, 出発時間が1分遅れても気にする初めての中国旅行組と,ここは中国なんだから 気にしてもしょうがないというベテラン組との入り混じった珍道中が始まった。 (2002年12月記す)

1日め(8月16日) 福岡〜上海 

アパート
今回の参加者は旅行団を結成以来,後にも先にも最高の36 名。 日本人のシルクロードへのあこがれはすごいものだと感心する。 われわれの乗ったMU514便は,17時25分ほぼ定刻に福岡空港を飛び立ち, 18時00分(これより現地時間),上海空港に到着した。
この日は公式行事はない。 夕食後,希望者だけで,団員のFさんが知り合いだという上海の一般市民のアパートを訪ねて行った。 撮影師のご主人が去年の年末になくなり,娘さん(もうかなり大きいが)と 二人で暮らしている。部屋にご主人の撮ったたくさんの家族の写真が残っていたのを憶えている。


2日め(8月17日) 上海(脱出ならず)

午前中,上海市内を観光して,14時20分発の飛行機でウルムチに飛ぶ予定が, いきなり20時30分発に変更された。まあ,飛ぶだけいいかと,のんびり黄浦江遊覧に出かける。 8時半に乗船し,外灘(ワイタン)の租界時代のヨーロッパ調の建築物を黄浦江側から眺めながら 長江(揚子江)との合流点まで行って引き帰す。 昨年(91年)開通した南浦大橋に続き浦東地区と市内を結ぶ二本目の橋となる揚浦大橋 が只今建設真っ最中だ。
黄浦江遊覧

12時から友誼商店で昼食と自由行動。 14時に虹口公園に行き,公園内を散策し,魯迅の墓(毛沢東の直筆による「魯迅先生之墓」の 金文字が彫られている)と,椅子に腰掛けて左手に本を持つ魯迅の像を見てから豫園に行く。 豫園でブラブラしてから少し早めに空港へ行く。
魯迅の像

当時は,まだ高速道路がなく,市内の渋滞がひどくて,出発時間に遅れたら大変なので, 早め早めに移動していたものだ。 しかし,そんな我々の周到さをあざ笑うかのように,空港に着くと,20時30分発のウルムチ行きは 21時15分発に変更になっていた。 よくもこんなに度々,勝手に変更できるなとブツブツいいながら待合室に入って待っていたら,最悪! 今日は飛行機は飛ばないと発表される。。 なにぃ〜,いくらおとなしい我々でも怒るで〜。 しかも飛行機が飛ばない理由については何の説明もない。 これが中国なのだとわかっていても,腹がたつ。
あとで,飛ばなかった原因が,ウルムチの「ぶどう祭り」に招待された日本のある県の代表団の 乗った飛行機が遅れたため,それを先に行かせるため我々の乗る定期便を停めたためだとわかる。 この損害は新疆ウイグル自治区の政府が全額補償するということらしい。 そんなことはどうでもいいけど,まったく身勝手な国だよ。 しかたなく,空港側が用意したホテルに行くことにしたが, 明日は飛ぶんだろうな?


3日め(8月18日) 上海〜ウルムチ〜トルファン

9時45分発の新疆航空公司の飛行機でウルムチに向かう。 ウルムチまでは5時間弱。福岡〜上海よりずっと長くかかり,広い中国を実感することができる。 飛行機の中では暇なので,みんな勝手に席を立ち,ちっともスチュワーデスっぽくないウイグル族の お姉さんと話をしたり,記念写真を撮ったりした。 するとそこへ前の方から開襟シャツに半ズボン姿のおっさんが・・・ 誰かと思いきや,この飛行機の機長さんだった。制服もなにもあったもんじゃないな。 それにしても,機長が客席で遊んでいてこの飛行機,大丈夫かいな?
14時32分になんとかウルムチに着いた。 オ〜寒む。ウルムチは,もう秋だな。 予定変更のあおりで,ウルムチでの観光はすべてカット。 昼食を食べると,バスに乗り一目散にトルファンを目指す。
ウルムチ スチュワーデス

ウルムチを出たのが17時。 は真っ直ぐでさえぎるものは何もない。バスの運ちゃんはビュンビュン飛ばす。 途中,唐の時代の烽火台が見える所で休憩。風がとても強い。 そのあと,ウイグル人の小さなお店でトイレ&買物休憩し, それ以外はわき目もふらず,トルファンを目指した。 しかし,よくもこんなに何時間走っても変わらない風景が続くもんだ。
道 烽火台 ウイグル人のお店

トルファン賓館に着いたのは20時30分だったが,外はまだ明るい。 中国は広いのにこんな西の果てでも北京時間を採用しているからだ。
おなかがすいているので,まず食事だ。 羊肉串(シシカバブー)がうまかった。 そのあと,ブドウ棚の下でウイグル女性の民族舞踊が始まった。 異国情緒の余韻を胸に抱きながら床に入る。
トルファン賓館 民族舞踊


4日め(8月19日) トルファン〜敦煌

朝早く起きて散歩に出かけると,外で寝ている人がいた。 トルファンはウルムチから車で3時間余りの所なのに気温がずいぶん違う。 海抜924mのウルムチと比べ,そもそも海抜が低い(18〜106m)上,土地形状が盆地であるため 熱がこもりやすいというのがその原因らしい。 このため,北緯42度に位置しながら,夏の気温が昼間は40度を越えるという過酷なものとなり, 一日の温度差も20度以上となる。 風邪を引かないように注意が必要だ。
空気もとっても乾燥している。 昨日の夜,部屋の中に干しておいた洗濯物が,朝になると見事に乾き切っていた。 旅人にとってはうれしいことだが,喉を痛めないように気をつけなければ・・・
一番近いバザールまで歩いて行ったが,まだ開いてなかった。 干しブドウを売っているおじいさんがいたので,会話の練習がてら少し買ってみることにした。 1斤6元だ。塵取りみたいなものですくってくれるのには驚いた。
干しブドウ 量り売り

ホテルの売店でも1袋2元の干しブドウを土産用に,しこたま買い上げてから午前中の観光に出発する。 最初はベゼクリク千仏洞だ。 火焔山の山麓に6〜14世紀にかけて彫られた石窟寺院で, イスラム教徒や外国人探検家の破壊や略奪に遭い,現存するのは83の石窟のみだ。 熱砂の向こうには雪を頂いた天山山脈が眺められる。日本では考えられない光景だ。
ベゼクリク千仏洞 ベゼクリク千仏洞2

次は「西遊記」の舞台で有名な火焔山。 トルファン盆地の北端に100キロに渡って連なる山脈で, 時に,赤いシワの山肌が陽炎で炎のように揺らめいて見えるという。 山をバックに記念写真を撮って次の目的地に向かう。今日は見学箇所がたくさんあるぞ〜。
火焔山

高昌故城は,499年に建てられた高昌国の城跡で,あの玄奘三蔵も立ち寄ったという。 馬車に乗って城跡の所まで行く。ウイグル人の子供が馬車の側を走って着いてくる。 日干しレンガ造りの城壁や王宮は,長い年月の間に風化し,廃土の塊となって広がっている。
馬車 ウイグル人の子供 高昌故城

次に行ったのが,高昌故城から4キロ北に行った所にあるアスターナ古墳。 ここは高昌国時代の貴族の墓で,地下へ通じる階段を降りるとミイラを見ることもできる。
暑い中の見学ばかりで疲れたので,ブドウ棚の下でブドウや西瓜を食べながらしばし休憩することにした。 暑いといってもカラッとした暑さで,木陰は涼しい。そういえば汗をかかないな。 砂漠の中のオアシスのありがたさがわかる。昔の人もそうだったのだろう。
ブドウ棚 ウイグルの子供

次はカレーズ。人工の地下水脈みたいなものだ。 天山山脈の雪解け水が涌き出ている井戸を,暑い地表を避けて地下でつなげている。 水がとっても冷たくて生きかえった心地がした。
カレーズ

最後の見学が交河故城だ。 トルファン盆地の西端に位置し,東西を河に挟まれた丘陵の上に広がる古城だ。 荒涼とした大地に土壁の生活の遺構が残っている。
交河故城

そのあと,ホテルで夕食を食べ,19時半,トルファン駅に向け出発。 1時間ほどで駅に着く。18時半発の汽車に乗る予定が,21時43分発に変更になっている。 このころになると,予定変更を誰も気にしなくなっている。 発車の時間まで,駅前広場ゆでタマゴ(0.5元)を食べたり, 1本3元のブドウ酒を買ったりして過ごす。
ゆでタマゴ 駅前広場 親子

美人の車掌さん
汽車に乗ったら,宴会の始まりだ。 駅で買占めたブドウ酒を飲む。 口当たりがよくてどんどん進み,たくさん買ったのにすぐなくなってしまった。 宴会をしているコンパートメントの扇風機が回らないので,車掌を呼ぶ。 28歳の孟さんと26歳の李さんの若くて美人の車掌さんが我々の車両の受持ちだ。 少し点検していたが直らないみたいなので,あきらめて帰ってしまった。 オイ,僕らは一体どうなるんだ〜。 しばらくすると,その代わりでもないんだろうが,うちわを持ってきてくれた。 それからは車掌さんと仲良くなり,一緒に話をしたり,車掌室に入れてもらって 記念写真を撮ったりしていた(何してんの〜)。 ブドウをわけてあげたら,お礼に西瓜を切って持ってきてくれたりした。
消灯時間になると,汽車の電灯は強制的に切られる。 でも大丈夫さ。明日の敦煌石窟の見学の必需品ということで,うちの団員は懐中電灯を持参していた。 ベッドの上からぶら下げて夜遅くまで宴会を続ける。 同じコンパートメントに寝たYさんは,皆が寝た後,車掌室からコンコンと 咳き込む声が聞こえたとかで,1人で車掌室にアメを届けに行ったとか。(こまめですねえ〜)


シルクロード〜遥かなる西域への旅〜(後編)に続く。


シルクロード〜遥かなる西域への旅〜(後編)
忘れがたき中国旅行 新疆ウイグル・甘粛省・陝西省

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