プロローグ
1988年に訪中旅行団を結成してから,今回が7回目の訪中となる。
今回の訪問先のメインであるラサは標高3650m。そこに3泊する。
高血圧や心臓に不安のある人は,今回だけは旅行への参加を控えてもらった。
しかし,それでも約半数の団員が高山病に倒れるという大変な旅行であった。
チベットと四川の旅に出たのは,今から7年前である。
その頃はメモを細かく取ってなかったので,記憶のかなりの部分がなくなっている。
このたび,思い立って旅行記の筆を起こそうとしたがなかなかむずかしかった。
しかし,旅の記憶が今より減ってしまう前になんとか書き留めておこうと思った。
旅行記を書く拠り所としては,日程表のほか,割と順序良く整理してあった自分のアルバム,それに
先行的に旅行記を書き上げていた団員のトミー&キー坊の「中国旅日記 Part5 チベット仏教の聖地・拉薩の旅」を
参考にさせていただいた。
掲載した写真の一部(半分以上かな?)は,写真交換会で他の団員からもらったものです。
きれいに撮れているのは,恐らくプロ級カメラマンのK女史からもらったものでしょう。
写真は,チベット人ガイドの才旦曲珍(ツデンチュジュン)さんです。
(2002年7月記す)
1日め(7月28日) 福岡〜上海
福岡空港で最初のトラブル発生。
高山病対策のため,日本で本物の酸素ボンベを買い(中国のは偽物かい?),中国に持って行こうとし,
何人かで分けてスーツケースに入れていたのが,空港の託送手荷物の]線検査で見つかり没収されてしまった。
こんなことがあってはいけないので事前に旅行社に確認しておいたのに,この始末。
今から思えば,これが不吉の前兆だったのかも・・・
その後の旅は,意外と順調だった。
われわれ訪中団22名の乗ったMU518便は,13時45分ほぼ定刻に福岡空港を飛び立ち,
14時20分(これより現地時間),上海空港に到着した。
2年ぶりの上海は高度成長の真っ只中。街はホテルやマンションの建設ラッシュだ。
浦東地区の開発も始まり,環状高速道路から上海テレビ塔(東方明珠)を見ることもできた。
一旦,ホテルに入り休憩の後,夕食の前に少し腹をすかせようと玉仏寺の観光に行く。
ここは,上海に来れば必ず連れて行かれるところなので,これまでに2〜3回来たことがあるため,さして感慨なし。
夕食は,「上海龍華迎賓館」で精進料理を食べる。旅はまだ始まったばかりなので,初日はおとなしく寝ることにした。
2日め(7月29日) 上海〜成都
この日は,ラサへの空からのルートの入り口となる成都へ移動。
中国西南航空で上海から2時間半の旅だ。
午後2時に到着し,今日泊まる成都一の老舗・高級ホテル「錦江賓館」でチェックインを済ませた後,「武侯祠」の観光に行く。
武侯とは,三国志で有名な蜀の国の丞相・諸葛孔明のこと。
正門を入った最初の建物が劉備殿で,黄金の劉備玄徳の像が安置されている。
側棟には武官(関羽と張飛もいます)と文官の像が別れて並び,その奥の諸葛亮殿には孔明の像がある。
そこからさらに赤い塀に沿って2〜3分歩いて行くと,「劉備の墓」がある。
元々ここには劉備だけが祀られていたもので,南にあった「武侯祠」をあとから明の時代に併合したということだ。
それなら,皇帝・劉備の顔を立て「漢昭烈廟」と言うべきなのだが,孔明の方が人々に人気があるため,通常は「武侯祠」と呼ばれている。
夕食は,麻婆豆腐。「陳麻婆豆腐店」ではなかった。辛いというか舌がしびれる。唐辛子の「辣」より山椒の「麻」にやられた。
明日の朝は出発が早い。夕食を食べた後,ホテルの前に並んでいる夜店をじっくり見て回りたいシンちゃんではあったが,
今日のところは夜遊びは少なめにして早く寝ることにした。帰りの日にも又ここに泊まるんだから。
おーっと,寝る前にミネラルウォーターを買っておかねば(高山病対策には水分補給が一番♪)。
3日め(7月30日) 成都〜ラサ
今朝は4時半にモーニングコール。7時10分発の飛行機でラサに向かう。
途中,機内から四川省一の名峰・四姑娘(スークーニャン)山を見る。
といっても,どれが四姑娘山なのか誰もわからず,結局各人が,それぞれ自分がそう思ったのがその山だということになっただけだが・・・
ラサのクンガ空港には2時間ほどで着いた。
ラサは、チベット語で「神の土地」という意味だそうだ。
しかし,降り立った空港には神々しいといった雰囲気はなく,草木の緑に乏しい岩山に周辺を囲まれたなんとなく殺伐とした感じだ。
めったに来れない所なのでみんな記念写真を撮りまくっている。
空港の標高は3500mだが,別に空気が薄いという気はしない。まだ全員元気にはしゃいでいる。
ここから川に沿ってラサ市内まで入るのにバスで1時間半ほどかかる。
途中,対岸に磨崖仏のある水のきれいな川のほとりで1回休憩して,昼過ぎには宿舎のホリデイ・イン・ラサに入った。
ホテルの入り口では,カターと呼ばれるあいさつや祝福の意味を表す白い布を一人一人の首にかけてくれた。
この日は観光スケジュールは入れてない。遅めの昼食後は,高地順応のためホテルで休憩ということになっている。
日の暮れるまでには,まだだいぶ時間がある。せっかくチベットに来たのに,もったいないなと思ったシンちゃんはさすがに耐えがたく,
外出要求を出したら,少し休憩してから行くことと,何人かでまとまって行くならOKということになり
,希望者は16時にロビーに集合ということになった。
同室のKさんも誘ったら,少し頭が痛いとかで部屋で休憩したいとのことで,約束の時間に集まった7〜8人だけで街歩きに出かけた。
息が切れるので走ってはいけないという注意事項が出され,ゆっくり歩いていく。
大きな通りをポタラ宮の方へブラブラ歩いて行き,適当なところで引き返して,ホテルの前の露店で買い物をした。
珍しい民芸品ばかりだ。欲しかったマニ車を38元に値切って買う。
マニ車の中には,観音菩薩の経文を印刷した巻紙が入っていて,これを1回まわせば,経文を1回読んだことになるという。
部屋に戻るとKさんが枕を抱いて寝ている・・・と思ったら,それは空気枕(酸素ボンベ)だった。
チューブが付いていて,そこから酸素を吸うことができるようになっている。
ほんとに酸素なのか,それともただの空気なのかよくわからんと言っていた。
Kさんにとっては,初めての中国旅行なので緊張して疲れたか,ラサでの3日間は酒が禁止(高山病対策)されていたため,
昨日の晩,成都で飲みすぎたのがたたったのだろうと高山病の影響は軽く考えていたシンちゃんだったが,このころ
ホテルの中ではすでに大変な騒ぎが起こっていた。
夕食の時間を,あとから連絡するということだったので,部屋でおとなしく待っていたが,いつまでたっても音沙汰がない。
どうしたんだろうと廊下をうろついていたら,事務局長のHさんに出会ったので,「夕食はまだですか」と聞いたら,
「今それどころじゃないんです」と忙しそうにしておられ,「また連絡するから部屋にいるように」と言われた。
なんでも,高山病の症状がひどい人が出て,医者を呼んだらしい。往診料は300元(約3300円)で,注射が10〜17元。
夕食の時間になったが,数人しか集まらない。
あとの人は,高山病にやられて寝ているか,食欲がないか,病人の看病をしているかだ。
この旅行,これから先どうなるんだろうと,不安がよぎる。
夕食後,寝ようとしてベッドに入ったが,仰向けになると心臓の鼓動が早くなり,なんとなく息苦しさを感じる。
ミネラルウォーターを飲んで水分をしっかり補給してから,うつ伏せで寝ることにした。
4日め(7月31日) ラサ
当初予定では,今日ポタラ宮へ行くことになっていたが,今日は参観できない日であるらしく,明日に順延となった。
高山病の症状が重いため,今日の観光をあきらめホテルで静養することにしていた人達にとっては,うれしい知らせだ。
午前中は,ラサの西北約12キロのところにあるデプン(哲蚌)寺に行く。
チベット仏教ゲールグ派の学院として建立された寺院だが,
年に1回,巨大な仏が描かれたタンカという掛け軸のような仏画を山の斜面に広げて一般に開帳する「ショトン祭」が行われることで有名だ。
ここは標高が市内より100mくらい高く,山の斜面に沿って建てられた建物の間には迷路のような石畳があり,寺院内を歩くだけでも息が切れる。
一人で写真を撮っていたら,皆を見失ってしまった。
ずいぶん探したが,見つからないので駐車場に戻ってみたら,すでに何人かがバスの中で休憩していた。
元気な人は奥の寺院まで見学に行ったらしい。
損をした気もしたが,ここで無理をして歩き回ったため,後で調子を崩した人も出たため,何が幸いするかわからない。
午後は,市内に戻り,大昭寺(ヂョカン寺)へ行く。
ここは,チベット仏教の中心寺院で,7世紀前半チベットに王朝を築いたソンツェンガンポ王が,唐から輿入れした文成公主が持参してきた
釈迦牟尼仏を祀るために建てた寺だ。
寺の入口前では,香炉で燃やされている香草の煙の中で,巡礼者たちが熱心に五体投地を繰り返している。
寺の中に入れば,僧侶がお経を唱えているところを見学することもできる。
そして,寺の一番上まで上れば,遠くにきれいなポタラ宮を望むこともできた。
大昭寺の周囲を巡る通りをバルコル(八角街)といい,巡礼者が五体投地をしながら或いはマニ車を右回しながら右回りに回る聖なる道だ。
道の両側には食料品から衣類,雑貨,工芸品,お経に仏具,仏画まで,ありとあらゆる商品を売る店が並んでいる。
信仰心のない我々は,ここでは土産物を買うのに精を出す。
集合時間前にはスコールが降るおまけまでついちゃった。
夕食はネパール料理に民族音楽でのもてなしだが,今日も欠席者の方が多い・・・
実は,シンちゃんも,チベットへ来てからどうも食事が口に合わないと感じていた。
味付けがなんとなく違うのだ。出てくる肉はヤクの肉だと思うが,これも硬い上にさほど美味ともいえないし・・
旅行団の事務局から,インスタントの卵スープの配給があったのも,この頃だったろうか?
シンチャンは,別に日本料理が恋しいとは思わないが,中華料理が恋しくなってきた。(さすが・・・)
とにかく口に合うものだけでもいいから,量だけはたくさん食べようという戦法に切り替えて体調維持を図ることにした。
後から聞いた話では,団員のうちH画伯は,一人で解放軍の施設の近くでスケッチをしていたところ,
急に気分が悪くなり,解放軍の人たちに親切に介抱してもらったとのことだが,このH画伯が,水に濡らしたタオルを目にあてて寝ると,
高山病に効き,気持ち良く寝られると薦めたものだから,みんなが信用して,次の日からその方法が旅行団の中で大流行した。
効き目はどうだったかは責任がもてない。下のスケッチは,そのH画伯から頂いた
年賀状に描かれていたポタラ宮である。
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