〜雲の上の都市〜チベット★ラサ旅行記(後編)
5日め(8月1日) ラサ
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ラサ観光・最後の日となってしまった今日は,朝から雨でうっとうしい。
しかし,今日はいよいよ今回の旅行のメイン・ポタラ宮へ行くため,
昨日までホテルで静養していた人たちも,ここだけは一目見たいと奮起し,ほぼ全員が参加した。
ポタラ宮は,1959年にインドに亡命したダライラマ14世のかつての居城だ。
ポタラとは,観音菩薩の住む山という意味で,ソンツェンガンポ王が文成公主のために創建したと言われ,
17世紀に再建されてから300年以上の歴史がある。
その建物は,宗教儀式が行われる紅宮とダライラマの居室である白宮に別れ,13層999の部屋を持つという壮麗な宮殿だ。
巡礼者たちが注ぐバターの灯明のにおいをかぎながら進んでいくと,立体曼荼羅(マンダラ)の置かれた部屋があった。
撮影料は,カメラが50元。ビデオが900元。当然,団の費用でカメラでの代表撮影ということになる。
宮殿内を見学した後は,タルチョという五色の招福の旗が両側のワイヤーに多数結ばれているラサ川に架かる小さな吊り橋を渡って対岸の撮影ポイントに行き,そこからポタラ宮を望み,霧の晴れ間の一瞬を狙って,シャッターを切った。
ポタラ宮は,街のどこからでも見ることができる。
宮殿の中に入って見学するのもいいが,街を歩きながらラサの象徴としていろんな角度から見てみるのもいいと思う。
午後は市街地の北にある修行の寺・セラ寺へ行く。
「チベット旅行記」の作者・河口慧海が,明治の時代にヒマラヤ超えの苦難の旅の末に,
当時外国人禁制だったこの地に入り,修行を積んだことで有名な寺だ。
寺は岩だらけの荒山の麓に建っており,背後の山ではハゲタカによる鳥葬が行われているとのことだ。
このあと,ダライラマの夏の離宮・ノルブリンカへ行く。
ここは,1959年3月に,ダライ・ラマが誘拐されるという噂に端を発し,この離宮を取り囲んだ群集の行動を暴動とみなした解放軍により砲撃を受けたことがあるそうだ。
ダライ・ラマ14世がインドに亡命するきっかけとなった事件が起こった記念すべき場所でもあるのだ。
寝室のほか,書斎や応接室,政務室などを見学することができる。
ラサ最後の夜は,チベット貴族料理の夕食。
ツァンパ(はったい粉のようなもの),バター茶,
かたいヤクの肉に,まずいヤクバターチーズ,おいしいヨーグルトが出た。他の料理の名前はわからない。
チベット人は一生のうち,3回しか風呂に入らないと,ガイドが言っていた。
ウソかホントか知らないが,空気が乾燥していて汗をかかないから,日本のように毎日入る必要はないのだろう。
日本人であるシンちゃんは,一応,習慣で毎日浴室に行くが,長湯をするも高山病によくないだろうと考え,3日間シャワーだけで済ました。
チベットでの3日間は高山病予防のため禁酒令がひかれていた上,明朝は5時起きでもあるし,今日も早めに寝る。
今年はなんて健康的な旅行だろう。
6日め(8月2日) ラサ〜成都
朝5時にモーニングコールで,6時にはホテルを出る。
今日で高山病から解放されるといううれしさがみんなの顔に出ている。
これで成都に帰れると思っただけで皆元気を取り戻し,空港に着くともう売店で土産物の買占めを始めている。
ぼくも負けずにヤクの骨で作った首飾り(25元)を買う。
昼前には成都空港に着いた。写真をご覧いただきたい。
ラサから持ち込んだペットボトルがへこんでいるのがわかるだろうか。
成都とラサの標高差は,約3000m。気圧がこんなに違うのだ。
昼食は人民公園の中のレストラン。久しぶりに食べる中華料理のうまかったこと♪ようやく口に合う料理が出てきたので,
腹いっぱい食べてしまった。
満腹になった後は,杜甫草堂へ行く。
唐の時代の大詩人・杜甫が,安禄山の乱を逃れ,ここで3年余り暮らし,240余りの詩を作ったとされている。
ひっそりとした竹林公園といった感じで,
杜甫が住んでいた仮小屋の跡に草堂が建てられ,それが明の時代に再建されて今日に至っている。
夕食は,「成都同仁堂御膳宮」で薬膳料理だ。
四川料理にしては割とさっぱりとした味で食べやすいという団員もいたけど,ぼくの口には合わなかったなあ。
気を取り直して,夜は,ホテルの前に並ぶ露店に買い物に出かけた。
冷やかしがほとんどで,買ったのはパンダの掛け軸(40元)だけだった。
ホテルの前まで戻ってきた辺りで,ベッドカバーを大量に買い漁ってきたハシさんとH先生に遭遇した。
話を聞いてみると,遠くの店で最初に買って,ホテルへ戻りながら何軒か違う店で値段を聞いてみたらだんだん安くなっていくので
どんどん買ってしまったとのこと。(でも,そんなに買ってどうすんの?)
7日め(8月3日) 成都〜上海
そのあと,四川省博物館内のレストランで昼食(まつたけが出てきたよ)。食事後は,博物館内の薬局へ行く。
水虫の薬や糖尿病に効く丸薬など,ありとあらゆる漢方薬が展示・販売されている。
目当ての冬虫夏草を30箱以上も買い占めている団員もいた。(全部でいくらになるんだろう?)
空港までの道で大渋滞に巻き込まれ,飛行機の時間に間に合わないかもしれないと冷や冷やしていたが,間一髪でセーフ。
名残惜しいチベットと四川に別れを告げ,上海に戻る。
上海の夜,またしても事件発生だ。
団長と薬剤師のNさんが華東病院に入院したという連絡が入った。
二人とも責任感が強く,チベットでは,具合を悪くした他の団員の面倒をこまめに見ていたため,心労がたたったのだろう。
元気な者が交代で付き添いに着くこととなり,シンちゃんもそのメンバーに入る(入れられる?)。
病院はホテルから歩いて行ける,割と近い距離にあった。
外国人専用病室なのだろうか,部屋の中に,トイレや付き添いの人が休む部屋まで付いている。
入院が1日,1000元(11,000円)だそうだ。
ここでのシンちゃんの中国語を使った活躍の場は1回だけ。
トイレットペーパーがなくなったので,ナースステーションへもらいに行った時の会話,「厠所的手紙没有了。」
中国語では,「トイレットペーパー」のことを「手紙」というんですよ。
8日め(8月4日) 上海〜福岡
今日はいよいよ日本に帰る日。
団長は少し回復したみたいだが,Nさんの方は車椅子で飛行機に乗り込むほどで,少し心配。
二人とも日本へ帰ってから再入院することになる。
今,思い返しても,大変な旅行だったな。
幸いにして倒れはしなかった団員も大なり小なり高山病のため体調を崩し,まったくどこも調子が悪くなかった者などいなかったんじゃないだろうか?
チベットには二度と行きたくないという者も出る始末。
しかし,このチベットでの苦い経験が,麗江の雲杉坪(3200m)や黄龍への山越え(4000m)など,その後の中国旅行
の際に自信となって活かされていくのであった。
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