(裏)オーマンディ

Eugene Ormandy
文章の先頭に「定説によると...」が省かれている音楽評論家の評にご注意を...


ユージン=オーマンディは、ハンガリーに生まれたアメリカの指揮者です。小さい頃からヴァイオリンを始め、名手イエネ=フーバイに師事し、優秀なヴァイオリニストへと成長しました。その腕を買われてアメリカへの演奏旅行に誘われますがまんまと騙され、異国の地にたった一人で放り出されます。生活のため、ニューヨークのキャピトル劇場の管弦楽団でヴァイオリンを弾いていましたが、偶然のきっかけから指揮をするようになりました。才能と努力の積み重ねによって着々とステップアップし、ミネアポリス交響楽団(現ミネソタ管)での5年間を経て、世界最高のオーケストラのひとつであるフィラデルフィア管弦楽団の音楽監督を、44年(1936〜80)という長期間に渡って務めたのです。その間、名人揃いのオケとの相乗効果もあり、分厚く心地よく豊麗で華麗でパーフェクト、一度はまると逃れることのできない魅力あふれる音楽を我々に提供し続けてきました。しかし、彼ほど正当に評価されなかった指揮者はいませんでした。

音楽評論家にも様々な方がいらっしゃるのは当然ですが、オーマンディ攻撃に関しては、人類が未だに克服できないでいる悪しき慣習ともいえる構造的な問題の存在をマザマザと感じさせられます。本来音楽の楽しみ方の一つにすぎないはずのものが全てを覆い尽くし、「ステータス」「優越感」といったものを失いたくない当事者達が「権力」を駆使して、その存在を脅かそうとするものを無条件に排除する。その際、手段は選ばない。

もし、こんな「プロ野球ニュース」があったとしたら...くる日もくる日もセ・リ−グのことばかり放送し、パ・リーグについてはほとんど触れない。特集をすれば「沢村の球は速かった」、「川上のバッティングは凄かった」、「ONの後継者は誰か?」。たまに松坂やイチローについて触れることがあれば、「すごい剛球を投げるのだが...ストレートばかりで投球に幅がなく内容に深みがない」、「すばらしい打撃技術だが...コンスタントに打率を残すのでおもしろみがなく事務的だ」などと評される。高い年俸に「金の亡者」のレッテルを貼り、あげくのはてには収録したインタビューを生意気に見えるように編集して放送する。ごくごくまれに、彼らを誉めようとする解説者が出演したとしても、先輩や出身球団のしがらみから、著しくトーンが抑えられる。似たようなものとしては、都合の悪いところは無視して「絶対安全」を喧伝する、推進派ばかりで構成された原子力委員会のようなものでしょうか。

こういう言い方をすると、「そりゃぁ君、被害妄想だよ」とおっしゃられる方もおありでしょうが、それは実状をご存知ないと言わざるをえません。仮に百歩譲って、最後の部分の「長いモノには...」あるいは「出る杭は...」的な組織の呪縛が単なる想像に過ぎないとしても、一部の音楽評論家のオーマンディに対する評には、明らかな「悪意」が込められています。彼らは「考えようによっては」などと前置きすることもなく自信たっぷりに真っ向から音楽性を否定し、次に一見論理的に見える表現(実はとことんハチャメチャな論法)で人格を否定する。挙げ句の果てには、楽しんで聴いているファンまで狂人扱い...一体、何が彼らを揺り動かすのでしょう?まったく不思議で不思議でしょうがありません。しかし、確実に言えることがあります。彼らのしてきたことは、まさに法律に規定されていない「犯罪」ではないでしょうか?実際に我々は被害を受けています。彼らの独善的なマインドコントロールの影響で、本来オーマンディに魅力を感じるはずの人々がレコードを買わないのでレコードの売り上げが減る。売れないならレコード会社は出さない。我々はせっかくの膨大なオーマンディの録音を聴くことができない...。彼らは独自の世界観を守るため、あるいは自己の虚栄心を満足させるために都合のよい事実をねつ造し続け、その結果、一般の音楽愛好家,レコード会社,オーマンディファンに多大なる損害をもたらしているのです。これを否定できる人がいるとすれば、それは国家公安委員くらいのものでしょう。

確かに、音楽評論家というお仕事は大変でしょう。年間何百枚何千枚という録音を聴くんでしょうから...。しかし、なんといっても膨大な数です。お気に入りの指揮者の演奏は気合いを入れて聴いても、そうでない指揮者のものを「どうせ」という先入観や固定観念から、小さい音量で相撲中継なんか観ながら聴いたことなどないと断言できますか?まさか、本を出すのに聴き直しもしないで昔書いたメモから抜粋するなんてことはありませんよね。

「精神的な深みに欠ける」...それを構成する要素は一体何?入党すれば深みが増すのかな?
「事務的な処理」...その場にいたの?「どうでもいいや。そこ適当に吹いちゃって」とか言ってた?
「無個性」...誰と同じに聴こえるの?あなたこの音楽鳴らせますか?

「精神世界逃避」や「人格攻撃」などは所詮「虚構」で、彼らの未成熟な人間性の問題ですからこの際あえて横に置いておいて...素人の私がお聞きするのも気が引けるんですけど、オーマンディが無個性に聴こえるなんて、音楽評論家として実際良いわけ?大丈夫なの?それで「先生」とか、場合によっては「マエストロ」とか呼ばれて「あぁキミ、これはだねぇ」とか言って後進を指導したりなんかしちゃってるわけ?もう何か得体の知れないものの権化ですね(もちろん悪の)。私はこれほど嫌味っぽく書いたことに自分で自分に恥ずかしさと後悔の気持ちを禁じ得ませんが、あなたはご自分のやってきたことを少しでも恥ずかしいとお感じですか?幸いなことに、ここオーマンディ後進国日本でも、来日公演での聴衆の反応には実際すごいものがあります。その場にいたみなさんは間違いなく理解しているでしょう。しかし、会場にいなかった人には、会場にいたごく少数の「書く」ことのできる人たちの文章こそ、レコード購入の際の主たる情報源なのです。その責任の重さは一体どれぐらいなんでしょう?

いまや西暦2000年だというのに、過去にやってきたことからみておそらく責任感など持ち合わせていない音楽評論家の方々に反省どころかちょっとした心変わりをも期待することは不可能でしょう(もっとも、もはや老いさらばえてかつてのような影響力はないのかもしれませんが)...ですから、もうお偉くご立派な御都合主義の音楽評論家の先生方には静かにご隠居していただいて、先入観や固定観念に囚われない、白いものは白いと言えるこれからの若い人たちの率直でフレキシブルな発想に期待したいと思います。

「フィラデルフィア(オーマンディ)サウンド」...黄金の弦...魅惑の木管...鳴り響く金管...そう快な打楽器...植え付けられた先入観を脱ぎ去り、一度お聴きになられてみて、もし仮にはまったとしたら、理屈抜きで一生楽しめます。残りの人生、オーマンディとやり直しませんか?

21世紀に、オーマンディが正当に評価されることを祈って...


彼らのレビュー風に、ほとんど本題に触れなかったことと、
過激な表現を抑えられなかったことをお詫び致します。m(_ _)m