長編連作小説#2 聖人同盟(第10回〜)

#10 集結〜インターネット結社・聖人同盟誕生〜

 ようこそ,秘密のチャットルームへ。あなたは6人目の会員です―
 堀 和歌子が再びそのチャットルームに通じるアドレスをクリックしたとき,初めて入った時と同じそのメッセージが彼女を迎えた。
 この事実を奇異に思う人もいるだろう。
 大体ホームページのカウンターというものは,来訪者を延べ人数で表示する。だから同じ人が出たり入ったりしても,律儀に一人ずつプラスしてカウントしていく。
 しかしこのページのカウンターは,彼女をあくまで「6人目」の会員として迎えた。
 彼女は中に入った。
 ようこそ,堀 和歌子さん。オーナーの浅見です。
 ああ,こんにちは。
 お久しぶりです。大体4ヶ月ぶりになりますかね。
 あ…そうですね,覚えてくれていらっしゃったんですか?
 もちろんです。私どもの大切なお客様ですから。
 彼女はこのメッセージを見て,不覚にも胸に熱いものを感じてしまった。
 どうしたんですか?
 あ…何でもありません。
 何でもないことはないでしょう。あれだけ私どもを怪しんでいたあなたが再びここに戻ってきたのですから,きっと何かあったのでしょう。あなたに心境の変化を生ぜしめるような何かが。
 彼女は下を向いた。
 そう言えばそうだ。あの時散々悪態をついて出て来たこのチャットルームに再び戻って来ることなんて,自分でも考えていなかった。そんな自分が,あたかも何かにすがるように,ここに帰って来てしまった。
 いや,「帰って来た」という表現をすることそのものが適切ではない。ここは自分の家でも何でもない。この場所に自分が拠っているものなど,何もない。
 帰って来た,でいいんです。
 全てを見透かしたように,浅見は言った。
 お帰りなさい,堀さん。ここはあなたの場所です。
 茶化されたような気がした。しかし,その言葉は彼女には不快なものではなかった。
 覚えていてくれて,ありがとうございます。
 彼女は言った。
 別に礼を言われるようなことじゃありません。あなただって私どものこの場所を覚えていて下さったのですから,お互い様です。
 浅見の言葉に,彼女は不意に吹き出してしまった。
 そう言えば,そうですね(^^;
 ふふ。
 浅見も笑った。
 もういいでしょう。あと5人の仲間の中に入っていただきましょう。
 下のバナーをクリックしてください。
 何の抵抗もなく,彼女はその言葉に従った。

 皆さん,新しい仲間が来られましたよ。
 浅見の言葉に,5人は一斉に注目した。
 あ,堀ちゃんや。
 享野が真っ先に声を挙げた。
 来てくれたんや。嬉しいなあ。逢いたかったあ。
 こら,女たらし。何をしとるか。女と見ればすぐこれだ。恥ずかしい奴だな。
 殿井が突っ込みを入れた。
 何だと。新しい仲間を歓迎することのどこが悪い。
 お前のは歓迎とは思えんわい。下心がスパークしとる。
 何がスパークだ。この三流物書きが。おかしなオノマトペ(擬音・擬態語)使いよって。そんなことだからいつまで経っても売れへんねや。お前なんぞスポーツ新聞の片隅にエロ小説でも書いとれ。あ,あかんな。おっさん童貞やからエロ小説書けへんわ。堀ちゃん,こいつ30過ぎてまだ童貞やねんで。ああ,きしょっ。女抱けへんのちゃうんかい。男しか抱けへん体とかな。
 何だと,この若造が。今の言葉許せん。前へ出ろ。ぶっ殺してやる。
 殺されるのはどっちやろなあ。俺こう見えても腕力はあるねんぞ。中年オヤジの首引っこ抜くくらい余裕でできるんやからな。
 やめてください,喧嘩は。殺すだの殺さないだの,物騒なことばっかり。
 はは,堀さん,彼らはこれが普通なんですよ。こう見えて意外に仲がいいんです,この二人。
 そうそう,気にせんでもええねんで,堀ちゃん。俺ら仲良しやねん。なあ,おっさん。
 俺は認めんぞ。お前みたいな軟弱なクソガキが日本をダメにするんだ。
 もう,殿井さんもやめてくださいよ。いっつも僕が仲裁に入らないと収まりつかなくなるんですよ。せっかく日頃の憂さを晴らそうと思って来てるのにこの二人の所為で余計ストレスが溜まるんですから。
 ははは,申し訳ない。平井君にはいつも苦労ばかり掛けてますね。
 そうやっていつも浅見さんが無責任に笑ってるから苦労が絶えないんですよ。もう少しオーナーとしての自覚を持ってまとめてくれればいいのに。
 堅いこと言わない。ここではみんなが好きなようにやってくれればそれでいいのですから。
 すぐそう言ってごまかすんだからなあ,浅見さんは。
 いやいや,ごまかしてる訳じゃないんですよ。ここでは皆さんが素のままを出して自由に振舞ってくれればいい。
 僕は自由に振舞えないじゃないですか。
 いや,そう言いながらも平井君は平井君で,自分にとって最も自然な形でここにいるのではないのですか?
 …
 平井ちゃん,あんたの負けや,諦めえ。
 あれ,そう言えば残り二人はどこに行きましたかねえ?せっかく新メンバーが来てくれたというのに。
 日田さんは食事でしょう。
 またですか?さっきも腹が減ったと言って出ていったじゃないですか。
 足りなかったんちゃうんか?あいつ最近美味いもん食われへん欲求不満を量でごまかそうとしよるからな。
 今にいっぺんに太るぞ。俺だって大学時代は55キロしかなかったのに10年で30キロ太ったからな。
 もてへん訳や。せやから未だに…
 こら,それ以上言ったら本当に殺すぞ。
 やめてくださいよ享野さん。結構気にしてるんだから。
 こら平井。今なんつった。俺はそんなもん気にしてないぞ。そんなケツの穴の小さい作家ではないぞ,俺は。
 そやな,ケツの穴はさぞ大きいやろな。何せ毎夜広げてもろうとるもんな,彼氏に。
 てめえ享野,俺はその手の冗談が一番嫌いだと言っただろうが。いい加減にしろよ。本当にぶっ殺すぞ。
 はは,あんたやったらせいぜいいたずらメールかメール爆弾がええところや。でもそれも無駄やで。俺のコンピュータ知識はハッカー並やからな。
 いつか覚えてろ。いつかてめえの顔と住所割り出してぶっ殺しに行ってやるからな。
 残念でした。俺は殺しても死なへんと評判やからな。あ,死ぬと言えば毛利さんはどしたんや?今日はまだ顔見せてへんやん。
 一応メールは出しておいたんですけどねえ。
 またいつものビルちゃうんか?今日こそはパクられるで,あの人。
 まあ生きてるだけいいんじゃないですか?最近じゃ割と発言してますからね。ここにいれば首くくる気遣いはないでしょう。
 …?
 堀は訳が分からず,会話に参加できないでいた。
 …ああ,失礼。せっかくの新メンバーを紹介も出来ずに雑談に終始してしまいました。ご無礼をお許しください。
 …え,あ,それはいいんですけど…さっきから皆さんがおっしゃってることが今一つ呑み込めなくて…ごめんなさい…
 はは,それはいいですよ。なかなかね,一筋縄ではいかないメンツが揃ってますから,一回かそこら来ただけでは理解出来なくて当然です。
 はあ。
 でもね。
 え?
 あなたもそういう人の一人なんですよ。
 …?
 あ,失礼。また忘れてた。皆さんにご紹介しましょう。当ルームの新メンバー,堀 和歌子さんです。
 彼女はキーボードを打つことも忘れ,ただ佇んでいた。

 日田 一誠さんが入室されました。
 毛利 明人さんが入室されました。
 お,来たやん,日田ちゃんに毛利さん。日田ちゃん,ええ店見っけたか?
 だめだな。そこそこ評判はいい店だったんだが,舌が受け付けなかった。3分の1食べただけで出て来ちまった。
 日田ちゃん舌肥え過ぎや。適当なところで妥協しとかんと未来永劫独身やで。どっかのおっさんのようにな。
 享野ぉーーーー!!!!!!!!!!!
 分かった分かった,そんなに怒らんでええやん。偏屈なおっさんやな,ホンマ。それで毛利さんはどこ行っとったんや?
 まあ…いつものところですよ。
 またかいな。自殺ごっこもええ加減にしとかんとマジでパクられるで。
 でもねえ。私は遊びや酔狂じゃなくて,本気で…
 分かっとるがな。あんたのその気持ちは,ハイハイ,よう分かる。でもな。そんなに死に急がんでもええやん。俺には分からんわ。あんたの思考。生きとるからこそええことがいっぱいあって楽しいのに,死んでも何にもならへんやん。ただ土に返るだけや。俺なんて死ね言われても絶対死ねへんわ。
 お前みたいな奴は死んだ方が日本のためだ。
 なんだとこのオヤジ。この童貞野郎。
 てめえ,やるってのか。
 ほらほら,ちょっと目を離すとすぐこうなるんだから。
 はっはっは。平井君大変だね。でも俯瞰して見ると結構楽しいよ,この二人。漫才コンビか何かで売り出せないものかね。
 バカなこと言わないでくださいよ。止める方の身にもなってください。ほら見てください。堀さんが退いてるじゃないですか。
 いや,あたしは別に…
 まあまあ,最初は少しきついかも知れないですけど,じき慣れますから。平井君だって今やこんなに順応して…
 順応してませんよ!人がどんなに一生懸命必死になってついていっているか…!
 でも言う割には抜ける気配もないし,殆ど100%に近い出席率じゃないですか。
 …
 よし,皆さん揃いましたね。では今更ですが,自己紹介をしましょう。まずは私から。私は浅見 零。このチャットルームのオーナーで…

 一通り自己紹介を終えると,浅見は用事があるからと言って退出した。
 どう,堀ちゃん。ここの雰囲気。
 いや…まだその…よく分かってないから…
 そんなに固くならんでええから。リラックスして。
 はい…
 せや。俺らここにいれば話できるけど,出たら接点なくなるやん。俺,それ辛いなあ。良かったらプライベートで話できへん?ケータイの番号教えて。あかんかったらメールアドレスでもええわ。
 早速ナンパか,享野。
 うるさいなあ。せっかくええところやのに。
 気をつけたほうがいいぞ。こいつは手が早い上に手癖が悪いので有名だからな。昔自分がヤった女の映像をインターネットで公開して金儲けしたことがある。
 やいてめえ,変なこと言うんじゃねえ!どこに証拠がある。
 俺はそこの会員だった。てめえが管理者だと分かってたら入らなかったのによ。
 …!! 
 …
 う,うそやで,堀ちゃん。あいつ作家やから嘘つくの上手いねん。俺は断じて…
 そのサイトのアドレス教えてやるよ。今でも開いて儲けてるからな。
http://
 うるさい,やめろ!!
 本当なんすか,享野さん。
 まあお前ならやりかねんと思ってたけどなあ。
 こら,なんだお前らまで。嘘だ,嘘!!こいつは大嘘つきで…
 信じられますか,堀さん。
 …
 ほら,信じられないらしいぞ。残念でした。はっははっは,ざまあ味噌汁。
 うるせえ!くだらねえオヤジギャグかましやがって!!…なあ,堀ちゃん,信じてや。俺は断じてそういうことは…
 いや…それは別にいいんですけど…
 関心ないらしいぞ,享野。好きの反対は,嫌いじゃなくて,無関心。
 うるせえな。いいんですけど,何?
 享野さん,最初に私のこと「堀ちゃん」って呼んでくださいましたよね。他の皆さんも何だか私のこと知っているみたいで…どうしてなんですか?
 …え?…うーん,まあ,最初に聞かされてたからな,浅見さんに。あなたと同じようにあと5人のメンバーが集まるから,って。他の奴らのことはその時に浅見さんからちょっと聞いとったんや。
 「始めから」決まっていた…って言うんですか,この6人が。どうして,どういう基準で私達が「選ばれた」のか,どうして一人として欠けることなくこの6人がここに集まるという確信があの浅見さんにあったのか,そのことについては何かご存知ないんですか?
 え?いや…俺はただおもろそうなことがありそうやから来ただけで…別に…
 ??????
 浅見 零さんが入室されました。
 遅くなって申し訳ありません。
 それではこれより,インターネット結社「聖人同盟」の結団式を行います…!!

 

#11 理由

 インターネット結社・聖人同盟。
 オーナー・浅見零のその言葉を聞いて,さすがの彼らもいささか固まった。
 「結社」「同盟」の辺りが,怪しさ100%という風情である。
 おいおい,おっさん,何やねんそれ。俺はそんな怪しい団体に身を投じた覚えはあれへんぞ。
 真っ先に享野が食ってかかった。
 そ,そうですよ。政治とかとは関係ない単なるチャットの部屋だって仰ったのは浅見さんじゃないですか。
 堀も同意して続いた。
 …
 …
 他の4人は何も言えないままで,ただ「…」で気持ちを表現するか,それも出来ずに見ているかしかなかった。
 あのう,勘違いしていただきたくないんですがね。
 浅見が言葉をつないだ。
 別にこの名前をつけたからって何か政治的な目論見をしようとか,怪しい世界に皆さんを引っ張っていこうとかそういうことは一切ありませんので…うーん,何て言うか,せっかくこうやって集まったのですから,格好いい名前をつけてみんなで何かしてみようかなーなんていう思いがありましてね。いや,何らかの野心があるとかそういうんじゃなくてね,あくまで趣味の世界でちょっと大掛かりな仕掛けをして遊んでみようかなーなんて。
 本当か?
 殿井が疑問を挟んだ。
 おほん。
 浅見が一つ間を置いた。
 分かりました。じゃあこの辺で全部発表しちゃいますかね。私がこの大げさな仕掛けを作った理由とか,ここで何をしようかと思っているかとか,そういうことを。
 始めから言ってくださいよ。僕はもう何が何だか…
 平井が泣きを入れる。
 はいはい,よちよち。いい子いい子。
 男にそんなことされても嬉しくねえよ,浅見さん。
 殿井が突っ込みを入れた。
 男だとか女とかそういうところで言うのは差別だと思います。そんなことを言う人が「女性が入れてくれたお茶の方がおいしい」とか言って女性にお茶汲みを押し付けるんだわ。
 はっはっは,さすが堀ちゃん。ええこと言うわ。分かったか,差別主義セクハラ童貞野郎。
 うるせえなあ,お前は。何を言うにも童貞童貞言いやがって。首締めるぞこの野郎。
 けっけ。人の首締める暇があるんやったら自分の差別の心を悔い改めることやな。小説で差別表現したら即刻絶版回収やからな。
 ちっ。
 ふふ。
 何がおかしいんですか,浅見さん。
 え,いや…何でもないです。話が脱線してしまいましたね。ええと…そう,この仕掛けを作った理由とか何とかでしたね。そうですね…まず,あなた方6人を集めた経緯から話しましょうか。
 …
 堀は息を呑んだ。彼女が最も知りたかったことだったからだ。
 あなた方6人は,ぱっと目に見て何も共通点があるようには見えません。
 そうだな。俺とこのナンパセックス金儲け野郎と一緒にされちゃたまらねえやな。
 うるせえ!こっちだっててめえみたいな童貞野郎と一緒にされる筋合いはねえ!
 はいはい,いいから黙って。えーと,そんなあなた方ですが,一つだけ共通点がありました。私はその一点に気を惹かれて皆さんを集めました。
 それは何なんだよ。早く言え!引っ張り過ぎなんだよお前は!だから世間から間延びしてて読んでて辛いって言われるんだよ!!
 それは作者の長編小説ですね。分かりました。その共通点とは,ずばり「美学」です。
 美学!?
 6人が一斉に言った。「美学!?」の文字が6列並んだ。
 美学,というのがくすぐったければ,「拘り」と呼んでもいいと思います。すなわち,皆さんには,他の人から見たら信じられないほどの,何かに対する強い拘りを持っていらっしゃる,と見ました。世間一般の多くの人々の中から私が敢えてあなた方6人を選んでこのチャットルームに招待したのはその故です。
 俺はともかく,このおっさんに何の美学がある言うんや。ケツの穴に対する美学か?
 何だと,てめえ!!
 はいはい,やめてくださいね。説明します。まず,享野さん。
 はい?
 あなたには「快楽」への異常な拘りがありますね。とにかく自分が気持ちいい,快適な状況をひたすら追い求める。おかげで会社を辞め,ナンパハメ撮り写真を…おっと失言,これはシークレットでしたね。
 …
 おい浅見さん!あんたは俺を誉めたいのか貶めたいのかどっちやねん!!ほら見い,堀ちゃんが軽蔑しきった目で見とるやんけ!!
 チャットなんだから目は分からないだろうが。
 はいはい,けんかはやめましょうね。あなたたちに付き合ってたら終わりません。次は殿井さん。あなたは…
 同性愛に対する…
 享野さんは黙ってください。殿井さんは,「男らしさ」「女らしさ」に対する拘りがあります。あなたは男と生まれた以上「男として生きる」ということを大切に生きなければいけないと思っていますね。ジェンダーを過剰に意識するあまり,ともすれば先ほどのように「男女差別」と誤解されたり,ジェンダーをさほど重視せずユニセックス化の進む現代にあっては古臭い,理解の進んでいない人間だと思われるかも知れません。でもその信念そのものは,私は好きですよ。
 はあ,そうっすか。
 次に毛利さん。あなたは「死」に対する拘りがありますね。いや,ただ「死」と言うよりは,自分の命をどのように使うか,そういったことに対する拘りが見えます。同じ死ぬのならば,何かをなすことによってこの命を使いたい,そう考えると実は最も命の価値を認め,命を大切にしている人と言えるでしょうね。
 そうかなあ。こんな,暇さえあれば「死にたい」「死にたい」言う奴が。
 まあこういう無理解な人がいるからなかなか彼の悩みもなくならないんでしょうね。
 ははは,言われたな,享野。この快楽主義者。
 うるせ…失礼しました。続けてください,浅見さん。
 はい。日田さん。あなたは「食」ということに拘りがあります。「グルメ」などという言葉がありますが,あなたはその域は超えています。もはやあなたを満足させる食物を探す方が難しいでしょうね。ただその不可能な課題に取り組むそのパワーは驚嘆に値します。
 そうですよね,日田さんは美味いものを食べるためなら外国だって行きますからね。地獄だって行くかもしれない。
 ははは。
 平井さん。あなたは「人の役に立つこと」に対する拘りがありますね。もっと言えば,「人の役に立つことで自分の存在価値を見出したい」という思いが強い,ということでしょうか。ボランティア精神に近いのかな。ただ現実あなたが生きている世界はそのあなたの能力に甘えてあなたに過重な負担を押し付けているようですね。その能力を生かせば素晴らしい力になるのですが,どうもこの世の中はそこまで成熟していないようですね。
 …
 最後に堀さん。あなたは「社会のために役に立つこと」に対する拘りがあります。平井さんとある種似ていますが,堀さんの場合はより弱い立場の人に気持ちが向かう傾向があるようですね。そしてそのために社会さえ変えてしまいたいと願う革命願望のようなものもあるのかも知れません。また,あなたの場合はあなた自身を「弱者」として捉えていて,「弱者が弱者のために強者になる」という部分から始まっているのではないかという気もしますね。今の日本の男性中心社会の中で女権を主張することもそこから来ているのだろうと思います…ま,そんなところで,皆さんにはそれぞれ,自分なりの立派な拘り,美学があって,それをある種デフォルメして表現するあまりに社会の中で孤立したり,幸福を得られないで一人で悶々としていたりすることが多くなっているのではないかと思われます。しかし,その信念そのものは賞賛に値するし,不謹慎覚悟で言えば面白い。この能力を何かに生かせないものかなと…
 だからさ,それで浅見さんは何をしたいねん!?
 うーん,何しようかな…実はその,何も考えてないんだな,これが。
 ぶっ!てめえ,何考えてんだ!!本当に首締めるぞ!! 
 はは,すまんすまん。そう怒るな。勘弁勘弁。次の時までには何か考えるから。面白い悪戯とかさ。ははは…お,おい,みんな,帰るなって。おーーーい!!!!!!
 享野楽太郎さん,殿井浩二さん,毛利明人さん,平井慎さん,日田一誠さん,堀和歌子さんが退出されました。「また来てねー捨てないでねー(浅見零@管理人)」

 

#12 悪人志願

 誰も来ていないだろうなあ。
 そう思いながら,マウスをクリックした。
 あんたねえ,そんな度胸のないことでどうする訳!?
 そんな無責任な態度で人がついてくる訳ないじゃない。
 それじゃあ,チャットの管理人やってる資格なんてないよ。
 ポリシーのない,売り物の一つも無いようなチャット,ホームページに客が付く訳ないってことくらいあんただって分かっているでしょう?
 全くもう,だらしないなあ。
 昨夜言われたお説教が胸に突き刺さっていた。
 管理人失格…そうだろうなあ。
 そんなことを考えながら,画像がダウンロードされるのを待っている。
 いつもならわくわくするような興奮を感じるこの時が,今日は何だか胃が痛くなるくらい苦痛だ。変に緊張しているのが分かる。
 次の瞬間,その管理人―浅見零は,ものすごい勢いで弾き出される文字の羅列を見た。

 それは,普通に声と声とで行われるコミュニケーションにも似た…いや,それより遥かに速いスピードで,人間同士の喋りに例えるなら「まくし立てる」という表現がぴったり来るような,そんな対話だった。
 その話が時に途切れる。
 …
 「さんてん」と打って変換キーを押してその文字を選択する。それが2回,3回と続くのは,彼が勝手に会話を止めたのではないということを相手に伝えるためのものだった。そうしないと誤解されてしまうくらい,長い沈黙の時がある。
 そして考えが決まったのか,また猛烈な勢いで彼は自分の思いを言葉にする。それに呼応して相手が言葉を返すと,彼はまた長考する。
 平井 慎>…
 平井 慎>…
 平井 慎>…
 享野 楽太郎>だからさあ,悪いことは言わへんって。今のままのあんたで居いや。それが一番楽や思うで。
 平井 慎>…だけど…
 平井 慎>…
 平井 慎>…
 享野 楽太郎>そろそろ帰るわ。俺のサイトの更新を楽しみに待っているすけべえどものために,いい絵を撮りに行かなあかんからな。
 平井 慎>…
 彼の言葉は既に尽きたようだった。止めることすら,出来なかった。
 享野 楽太郎さんが退出されました。
 平井 慎>…
 平井 慎>…

 浅見は画面を上スクロールさせた。彼らの会話を最初からプレイバックするためだ。
 マウスの手を止めた。どうやらここからが,本題であるらしかった。

 平井 慎>享野さん,俺はあんたが羨ましい。俺はあんたのように生きたかった。
 享野 楽太郎>何やねん,やぶからぼうに。そんなことを言われたんは初めてやで。
 平井 慎>だって享野さんって,自分のやりたいことをやって,すごくのびのびと楽しそうに生きてるじゃないですか。そういうのって,憧れなんですよ。
 享野 楽太郎>何やお前,気持悪いな。憧れだの何だのって,ケツの穴がむずむずするやんか。そんな言葉はあの作家の…童貞野郎の…何とかいう作家にくれてやれ。
 平井 慎>…
 平井 慎>…
 享野 楽太郎>?どしたい。急に黙っちまって。
 平井 慎>…だから,だからねえ,…だからさあ,僕は,今の自分が嫌なんですよ。やりたいことも出来なくて,変にいい人になろうとして,それで全然報われなくて,利用されてばかりいる。痛い目に遭ってばかりいる。利用されて利用されて,それでちっとも報われやしないんだ。普段いい奴でいるから,ちょっと何か粗相をすれば人でなしのようにボロクソにけなされて嫌われる。損をしてばっかりだ。
 享野 楽太郎>どしたんや,平井ちゃん。落ち着けや。
 平井 慎>もうこんな日々はまっぴらなんだ。俺はあんたみたいになりたい。あんたみたいに,何をしても誰にも文句を言わせないくらい,徹底的に,徹底的に…
 …
 …
 享野 楽太郎>どしたんやって?
 平井 慎>…そうだ,俺は悪人になりたい。あんたみたいに,組織に屁でも食らわせて,自分を蔑んだ奴らを手ひどく懲らしめて,そして本能の赴くままに女を犯して,それで金を儲けて遊んで暮らすような,そんな生粋の悪人になりたい。
 享野 楽太郎>やめとき。
 平井 慎>何故ですか!?
 享野 楽太郎>自分には無理や。自分は悪人にはなられへん。
 平井 慎>だから,どうしてだ?理由を言えよ。
 享野 楽太郎>言葉じゃよう言い切らんけどなあ,俺みたいな底なしのど阿呆になろうと思うたってそうそうなれるもんちゃうねん。俺は殆ど人間捨てとうからな。
 平井 慎>俺だって捨てられる。やろうと思えば出来ないことない。
 享野 楽太郎>分からへん奴っちゃな。自分はええ人が合うとるねん。だってそうやろ,自分嫌われるのを苦痛に思うとるからそんなことを言うんやろ。
 平井 慎>…しかし…それは…
 享野 楽太郎>自分今,何か粗相した時にボロクソけなされる言うたやろ。俺はな,そのボロクソに言われる方が普通やねん。日常やねん。
 平井 慎>それは俺だってそうだ。毎日監督の玩具にされて,殴られて蹴られて怒鳴られて…最近じゃクラスでも毎日クラスの,がたいのでかい凶暴な馬鹿どもに校舎裏に連れ込まれてやっぱり殴られて蹴られて…それが最近じゃ日常なんだ。変わりゃしねえじゃねえか。それならあんたみたいにやりたいことやって発散して,それなりに満足して生きた方がずっと幸せじゃねえか。そう思うだろう!?
 享野 楽太郎>…でもなあ…俺だってそうそう簡単に今みたいに堕落できた訳やないんやで…変な言い方やけどな…ここまで崩れるまでにはいろいろあったんや…それこそ,今の自分が想像できひんくらいにな。ほんまは俺かて,真っ当な社会人として生きたいと思うとった時代かてあった。今でもそう思うとるかも知れへん。その方が,最後には幸せになれるんやないかと,今でも思うとるかも知れへん。
 平井 慎>…
 享野 楽太郎>俺はそこそこ期待されて会社に入った。パソコンはめちゃ詳しかったからよう重宝されたわ。ITで天下取れる時代やから余計にや。
 平井 慎>…
 享野 楽太郎>それが最初に上と衝突してつまずいてな,今までの期待だの何だのは何だったんやねん思うたらやる気なくなってもうてな,あとは問題社員一直線や。分かるか,出されたお茶の中にこれ見よがしに便所の雑巾入れられとったその時の気分が?しかもそれで誰も弁護してくれる人間がおらん。本来部下を監督し,いざとなればフォローすべき立場の課長だの何だの,その辺かて笑うて見てるだけや。いや,奴らが率先してそういう嫌がらせをしよったんや。そらキレるで。
 平井 慎>でもあんたはそれを見事に晴らしたじゃないですか。俺だってそれくらいやってやりたい。昔は学校のため,野球部のためと思って我慢していた。しかし俺だってもうキレてやりたい。あんな腐った学校,腐った野球部はぶっ潰してやりたい。あんたが前いた会社を潰したように!!!!
 享野 楽太郎>無理や。
 平井 慎>何で!?
 享野 楽太郎>あそこまでやろう思うたら覚悟がいる。並大抵なもんやないんや。よほどのことなんや。俺は…多分…いや,間違いなく,ろくな死に方はでけんやろうと思うとる。それを考えると震えがくるときがある。毎晩そうかも知れへん。そこまで抱え込む覚悟が自分にあるんか?
 平井 慎>…
 平井 慎>…
 平井 慎>…
 享野 楽太郎>だからさあ,悪いことは言わへんって。今のままのあんたで居いや。…

 平井 慎さんが退出されました。

 こうやって,遊び場を提供するだけでも,それはそれで意義のあることかも知れない。
 少なくとも,私はもう少し,彼らのことを理解する必要がある。
 浅見は思った。「今日もし『あいつ』に会ったら,そのことを伝えておこう。」

 

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