佐太神社


 松江市から北西へ8km、佐太川沿いの神名火山(朝日山)の麓に佐太神社が鎮座する。松江駅バス恵曇行佐太神社前で降りて佐太川を渡るとすぐである。「出雲国風土記」には佐太御子社とある。本殿(国重文)は三殿並立という珍しいもの。三殿とも大社造で、中央を正殿、右が北殿、左は南殿である。
 祭神は、正殿には佐太大神ほか4神、北殿には天照大神・瓊々杵尊、南殿にはスサノオノミコト・秘説4座を祀っている。近世の文献では、祭神にかなりの異動があるが、要するに古代にはこの地方で祖神佐太大神を祭る神社であった。「出雲国風土記」では、大神を称するのはわずか4柱しかないので、佐太大神は当時広範囲な信仰を集めた神だったと思われる。
 佐太神社には年間75回の祭礼があったが、中でも御座替神事とお忌み祭は有名である。
御座替神事は、陰暦8月19日から支配下の3郡半の神主が集まり、精進潔斎し、24日の夜になると神田で栽培したイグサでつくった御座むしろで、本殿3社の御神座を敷きかえるものである。25日には有名な佐太神能(国無民)を奉納する。現在は1ヶ月遅れの9月24日に神事が行われる。
 お忌み祭は神在祭ともいい、旧10月、今は11月20日から25日まで行われる。神無月は出雲では神在月であり、全国の神々が出雲に集う。その神々を20日に神迎えして、境内に忌串をめぐらして人々を近づけない。25日の神送りの夜には、亥の刻(午後10時)に斎主は神籬を捧げ、大勢の人々がこれに従い、神目山(もと神名火山)の上まで神送りする。神無月になると、佐陀の浦(鹿島町古浦海岸)にも竜蛇が出現し、これが神社で奉納されるようになった。
竜蛇とは南方産のセグロウミヘビで、お忌み祭の頃の季節風(お忌み荒れ)によって浜に打ち上げられたものである。この竜蛇信仰は、海のかなたからよりますという古代信仰を伝えるものである。
神社のすぐそばには鹿島町立歴史民俗資料館があり、佐太講武貝塚の出土品や、佐太神能に関する道具類、神社に伝わる甲冑武具等を展示している。

出雲てくてく紀行

志谷奥遺跡のシンプルさについて


関連リンク

鹿島町公式サイト
: 鹿島町の公式サイト。観光名所マップ、歴史情報など役立つ話題が盛りだくさん。


戻る