乙女たちの努力は、満足にも報われているとはいえない状況のまま、日数が経過した。
 アスカの料理は人並みのものになる。ただし、彼女の出で立ちと調理の最初の段階は。
 彼女の場合、本を片手に、鼻歌混じりに作り始めるところまでは一緒である。しかし、一度作業が始まると、何事にも正確さを強要して、まず時間をかけながら作っていった。結果、出来上がったものは炭になったり泡が立ちすぎたり皮を剥いだらジャガイモが小芋になっていたり、と、最後は不器用の範疇ではあるが、とにかくテーブルの上に並んだものは料理の見本写真とは似てもにつかないものになっていた。今までは調味料も材料の分量もアバウトに、時には中身すら確かめず作っていたのでひどい目にあったが、前車のつてを踏まぬよう心がけるとこうなったのである。
 3皿の上に並んだ、元は食材でした、と思われる物に一瞥をくれると深々とため息をつく。
 皮を剥くのは包丁ではなく、皮むき器を使えば簡単に早く剥くことができて問題は解決。となれば、問題は時間短縮か…。
 時計に視線をくれる。
 料理し始めたのが3時間も前だ。
 これでは熱した物も冷めてしまうわ…。
 これからの課題はこれか、ともう一度腕まくりして再挑戦し始める。
 夜、帰宅した彼女の母、惣流キョウコは嘆いたという。炭かゴミか生ものの集まりか、と思われるような、アスカの云う「努力の結晶」はどう見ても食べられそうなものには見えなかった。これを味見しろと言うのだ。
 恐る恐る、キョウコは微笑みを浮かべ、エプロン姿の美しい娘に尋ねた。
「これ全部?」
「そ、全部」
 娘の答えは素っ気ない。
「ア、アスカはこれ食べてみたの?」
 帰ってきたのは首を左右に振る姿だった。
「そ、そう…」
 微かに声は震えたが、意を決して料理に向き直り――即座に気を削がれた。職場ではリーダーシップの強い、一部では傲慢といわれたこともあるキョウコを鼻白ませるには十分な迫力だった。
 箸を手に取り、一番手前のどう見たって黒いただの固まりにしか見えない「ハンバーグ」に箸の先をのばす。親子二人の目には、彼女が手にした白い箸が、震えて2本の棒じゃないようにも見えた。一切れ選り分けて、口元に運び、少しためらった後、口に入れた。せめて、外見に似合わず、美味しさは望まないからせめて普通の味であることを願って。
「…………」
 一時の沈黙がそこで流れた。

 次の日から3日、惣流キョウコの職場で、部下を叱咤する彼女の姿を見たものはいない。










 ユイに「ライバルじゃなくて、同レベルね」とは言われたくないので、まず自分に冷静になろうと決めてから実践に臨んだレイ。以前の失敗は「お調子者」といわれても仕方ないほど舞い上がったために起こった失態だったので、落ち着けばあんなことはしないだろうと思った。現にしなかった。
 出来上がったものはちゃんとシチューであったし、肉じゃがであったし、餃子であったし、味噌汁であった。今回はちゃんと量も人数分しか作っていない。レイのほうには作るものがシンジにばれてしまっては元も子もないので、今回は自分に自信を持たせるための予行みたいなものだとして位置づけ、自信をつけるためのお披露目会である。
「どう、おいしい? お世辞抜きで感想教えて」
 一口食べてみたシンジだったが、キョウコと違って食べた3秒後に顔がどす黒く変色したりはせずに、ある程度咀嚼すると、喉の奥に収まった。
「うん、いいんじゃないかな?」
「ほー…、よかった。これで一歩前進!」
 ガッツポーズするレイをシンジは不思議そうに眺める。
「ところで、なんでレイもアスカも料理を急に作るようになったの?」
「ユイさんから聞いてないの、シンちゃん」
「まったく」
「なら、私からは云えない」
 シンジはこの件に関して聞き出すのは諦めた。アスカはおそらくレイと同じ答えを返すだろうし、ユイに聞いても聞き出しなさいと諭されるだけで、雲をつかむようなものだろうと感じたからである。
 そこに買い物からユイが帰ってきた。
「あら、いい匂いね」
「あ、お帰りなさい。これ作ってみたんですけど、食べて感想を聞かせてください」
「ちょっと待ってね」
 そう言って、買ってきたビニール袋の中から野菜や冷凍食品などを、冷蔵庫に流れるような手つきで鮮やかに整理だって納めてゆくユイ。扉を閉めて、簡単に手を洗ってから食卓についた。レイもその間にユイの分を皿についでいた。
「おいしそうね」
「うん、」
 食べ続けていたシンジがそう言った。
「いただきます」
 丁寧に合掌してから箸を握る。こちらもキョウコと違って箸が4本にも5本にもなったりしないユイだった。
「ふんふん……。なかなかいい感じね」
「ありがとうございます」
「これに醤油を入れた?」
 肉じゃがを試食したユイが尋ねてみた。
「あ、忘れてた」
 レイはぺろっとかわいく舌をだした。「失敗、しっぱい」
「やっぱり。入れてたら味が格段と深みが益してたはずよ。惜しかったわね、でも、おいしいわ」
「次、こっちも食べてみてください。ちょっと時間がかかちゃって、苦労したんです、これ」
「初めて作ったんでしょ? その割にはきれいにできてるわ、この餃子」
「どうですか?」
「うん、これもおいしい。――でも何か足りないような……」
「え、あー! ニラ入れ忘れてた!」
「フフ、それね」
 楽しそうに料理談義で花を咲かせ始めた二人についていけそうにない、と思ったシンジは、欠伸をしながらそそくさと自室に消えた。日曜日の午後の誘うような春の眠気に、勝てない勝負を挑むよりも降伏した方がいいな、そう思ったシンジはベッドの上に倒れ込むと、自分の誕生日が近いことを漠然と考えていたが、すぐにすーすーと寝息を立て始めた。腹八分目の充足感に浸りながら、浅い眠りの幸福を味わっていた。










「ヒカリー! 助けて、お願い!」
「は、」
 間抜けな声を出して、ヒカリは友を眺めやった。一方、アスカのほうは真剣そのものの顔つきである。
「どうしてもうまくいかないのよーっ! ムカツクー!」
「ちょ、アスカ、何、何のこと?」
「料理よ、りょ・う・り」
 そこでようやく合点のいくヒカリ。アスカが自分の持ってきた弁当箱の中身を見せながらそういったというのと、その中身をみての頷きだった。
「それ、ホントひどいわね」
 アスカは忌憚のない意見に怒った素振りも見せず、逆にほとほと困った、そう顔で表した。
「まったく、どうして私はこれだけ苦手なのかしらねぇ〜」
 遠い目をしながらアスカがそう言ったが、ヒカリは、
「そうじゃないと思うよ。人によって違うけど、私の場合は経験が長いから」少しためらって、思い切ったようにアスカにはその経験がないせいよ、と云った。
 ヒカリの家の事情は、3人姉妹のそれぞれの適正から「姉掃除、次女料理、三女洗濯、干すのはみんな」と決まっており、ヒカリはもちろん3人の中の次女だった。父親が古き良き時代の鉄道マニア、ではなかろうが、彼女たち姉妹は上から「コダマ」「ヒカリ」「ノゾミ」と、新幹線の名前が順につけられていたのは余談である。
「とにかく、私も手伝ってあげるから、作って作って作りまくるのよ、アスカ!」
「助かったー。頼むわ、ホント」
 ヒカリも同類の女の子たちの心情を理解していたのである。風の噂でイヤでもシンジの誕生日は6日だと知っていたし、レイとアスカが急に何かし始めたのはその日のための準備だろうという考えは、容易に繋がっていたからだ。
「ただし、綾波さんも誘ってね」
 不承不承の様子ではあったが、アスカは縦に首を振った。プレゼントは何をあげるかは決めてある。あとは、レイと自分の実力差があるのかどうか、勝っているのか負けているのかを知って対策を考えておきたかった。手の内を見せてこないだろうとは思う、しかし、その手つきで大体はわかるし味見をしてみれば何とかレベルをはかることくらい…。
 思考の海に沈みかけたアスカを、ヒカリの声が引き上げる。
「お金に余裕がある? あったら今日材料買って、うちで晩ご飯一緒に作ってみない?」
「結構、『思い立ったが吉日』ね。いいわ。後はレイ次第」
「アスカが誘っておいてね」
「ん、」
 そう答えて、アスカは自分お手の中の弁当箱を見つめた。そこには、卵焼きを作ったはずなのに、なぜか赤い色をした何か、としかいえないような、なにやら不気味なものが収まっていた。ヒカリが気味悪そうな顔をしている。
「これって何だったっけ?」
 自分に不都合なものは忘れっぽかったんだ、私。
 意外な自分の一面に出逢ったアスカ、彼女の道はまだ険しい。のかもしれない。










「ふふふふ…。わたしに勝てると思っているのかしら?」
「あんたこそ吠え面かかないでいいようにせいぜい努力することね。無駄だけど」
 冷たい微笑を浮かべつつ、お互い視線を交わしたまま外そうとしないレイとアスカ。
 ヒカリがアドバイスをつけながら作ったものは何とか見た目は人並みの『料理』と呼べるものにはなったが、味がわからないわ! と、甲乙つけがたいと云ったヒカリに反論したために、今二人は火花を散らしている。
 当たり前といえば当たり前の話だが、普通、おいしいおいしくないと判定しないといけないハズなのに、ヒカリはただ外見のみで判定を下そうと躍起になっていた。本心をいえば「勝ち負けなし!」と言いたいに違いないが、目の前にいる青と赤の少女をみていると、怖くて言い出せそうにもなかった。
「「さあ、食べてみて!」」
「うっ、」
 二人が一歩前に出ると、ヒカリは一歩後ずさる。
 5分前に終わった調理過程を見てきた者にとって、それは料理に対する冒涜か!? と『伺いをたててみたくなる何か』が行われていたことには違いなさそうだった。計量を間違えないのはいいことだ。レタスとキャベツを間違えるのもまだかわいい。しかし、どっちか判らないままに塩と砂糖を入れ間違ったり、醤油とポン酢を間違ったりするのはやめてほしいと思ったのだが、言い出すよりも終始この調子で張り合い続ける二人の間に割り込むのは努力よりも勇気が必要だった。
 彼女が口を挟めたときは、どの程度の間炒めればいいのか、中火か弱火か、どう盛りつければいいのか、などの、あんまり味には関係してこないようなことばかりであった。
 ジリジリと下がるヒカリだったが、うしろにあったイスに膝が当たると、そのまま座ってしまう格好になった。
「さあ、さあ!」
 グイ、グイッと皿を突き出すアスカ。これはいったい何を作ったモノなのですか、という質問はバカらしいのでやめることにした。ロールキャベツがアスカ、ビーフカレーがレイ、これは見ればわかった。そのかわり、匂いが尋常じゃなくおかしい。こんな匂いはしないはずだと思った。
 とはいえ、食べなければ状況を打破できそうもない。どうやら、アスカに引きずられたレイを含めて、二人の嗅覚は麻痺状態らしい。だから、平気ですすめてくるのだ。
「あ、あの、二人とも、自分で味見はしてみた?」
「「してないわ」」
 自信たっぷりの声がまたもや唱和する。
「そ、そう」
 ヒカリの頬を一筋汗が流れ落ちた。
 何でしてないの!? とも訊けない状況になってしまっている。
 もう覚悟を決めるしかない。
 意を決して、レイのほうからスプーン一杯をすくいとって口に運ぶ。
「……………」
「どうかな?」
と、レイは無言のヒカリに問いかけた。
「……………」
「ヒカリ?」
 アスカが怪訝な顔で親友に声をかけた。
 カラーン。
 スプーンがテーブルの上で跳ね、踊った。
 どだっーーん!
 腕の力が抜け落ちたと思ったら、イスごと後ろにひっくり返ったヒカリ。
「ちょっと、どうしたの!?」
 慌てて駆け寄った二人だったが、すでに彼女は目を回してどうにもならなかった。
「レイ! あんた何入れて作ったのよ!」
「何って、普通に作っただけだよ。隠し味に白ワインと牛乳とケチャップを入れたくらいで。ワイン以外は量もあんまり入れてたわけじゃない。それに、白ワインだって酔っぱらうほど入れてないもんね」
 アスカはキッチンを見る。確かにそれらしい物は置いてあった。しかし、よく見ると、
「レイ、これ、牛乳じゃなくて豆乳」
「え……?」
「これはトマトピューレ」
「……………」
 手に取りながら、商品名を読み上げる。トマトピューレのほうは英語だった。色だけで判断して、トマトケチャップだと思いこんでいたのだろう。豆乳はパックの印刷の「牛乳の何倍もの栄養素」というところで勘違いしたらしい。
「しかも、ちょ、ちょっと、これって酢じゃないの!」
「えー!」
「こんなものカップ一杯入れたってとんでもない味になるに決まってんじゃない!」
 レイの欠点。それは、応用が利かない、という少々やっかいなものだった。だから、普通の調味料や食材はちゃんとしていても、隠し味や応用で入れる材料などになると、途端におかしくなってしまうらしい。それこそアスカの慌てぶりと同じくらいに。
「そんなこと言われたって知らないよ! そういうアスカこそどうなのよ!」
「し、仕方ないわね。じゃあ、私達が判定するのよ!」
「わかった、おいしかったらちゃんとおいしいって、不味かったら不味いっていうこと。いい?」
「いいわ。箸とって」
「はい」手元の橋を渡し、自分も新しく箸を取るレイ。「いつでもいいわよ」
「じゃ、一緒に」
「いっせーのーで!」
 箸の先端が一個ずつロールキャベツを挟んで、口に運ばれていく。上にかかっているのはちゃんとケチャップの匂いだ。
 ぱく。
 こうして、キョウコと同じ惨劇を彼女の娘と友人は味わう羽目になった。
 顔を白から赤へ、赤から青へ、青から紫へ、紫から土色へと変化させてゆく。
 洞木ノゾミが小学校から道草食って帰ってきたとき、ダイニングで発見したものは、ノビた同級生3人組だった。










 洞木家からアスカとレイが退去したとき、その際に交わされた言葉は次のようなものであった。
 一様に顔色は青ざめている。
「今日はこの辺で勘弁してあげるわ」
 そう、ワケの分からない言葉を二人にかけたヒカリ。「じゃあ、また明日」と言おうとしたのに、口をついて出た言葉はそれだった。
「じゃ、おととい来てね」
「またたび再びムササビ」
 なぜか二人も意味不明の返事を返す。「また明日」「またね」と言おうとしたに違いないのだが、頭の混乱が治まっていないらしかった。
 こうして自分たちのマンションに帰ってきた二人であったが、シャワーを浴びるとすぐにベッドに潜り込んだ。賢明な判断である。
 レイは、それでもワケの分からない言葉をユイやシンジと交わしていたらしく、次の日の朝にそう指摘されたが、どうも昨日の夕方からの記憶がはっきりせず、
「アスカと一緒にどこかに行ったじゃないか」
 と、シンジにいわれたが、リアリティーがなくて、アスカが碇家にやって来たときに聞いてみたが、彼女の答えも、「昨日のことはよく覚えていない」だった。
 その日、洞木ヒカリは学校を欠席していた。










 6月5日、金曜日。
 明日は普通の土曜なので休みである。争い、角を付き合わせている少女たちは今日もキッチンに立っていた。もちろん、自分たちの家で。
 互いに「食材は余り物、あるものを使って」作っていたので、こちらには一銭も使うことはなかったが、シンジのためのプレゼントは別である。もちろん、すでに用意してあって、アスカはベッドの枕元にリボンがかけられた、ラッピング済みの辞書大の物が置いてあったし、レイの部屋にも空色の包みに入った何かがおいてある。
 後憂がないので、彼女たちは安心して晩ご飯に精を出していた。昔は煩わしさしか感じなかった料理であったが、最近、アスカは結構自分がキッチンに立つ姿を新鮮でかわいいと思ったし、作っている最中は熱中して、できあっがった達成感は何度味わってもいいものだと思った。ただし、できあがった後に、自分が味見をしたり誰かが食べたりしなければ。もちろんのことだが、楽しんでいたのはレイも同じであった。
 アスカはきっちり作っていたが、時間と行動のスピードの差がネックになっていたはずなのに、いつの間にやら『スピードは上がったができると不味い、ゆっくりやったら外見も味も最悪』と、やればやるほど、もがけばもがくほど出れなくなる底なし沼にはまるかのように、どんどんおかしな方へと進行していっている。アスカ本人はヒカリの家での参事で懲りて、何度も軌道修正をはかろうと躍起になっているが、こればかりは、持ち主の意志通りに動くことを拒否し続ける自分のうでが、怪しげな料理を作り出していく。しかし、間違いで――と言ったら怒られるが――おいしく外見もばっちり、香ってくる匂いが食欲をそそる、という料理もあった。
 アスカに輪をかけてどんどん変になっていったのはレイだった。何がどうしてかわからないうちに、いつの間にかアスカと同じ味が出るようになってしまった。
 原因は簡単である。
 単純なものを作ろうとしないからだ。手の込んだ、おいしいものを目指していたためである。作れるレパートリーが広がってきたところで、何か自分のオリジナルなものがほしいと、試行錯誤を始めた頃からおかしくなった。つまり、応用を利かせ始めたあたりから、彼女も味見が怖くなって味見をしたくなくなった。おいしく作ったつもりで、それが実は「歩いてて野良犬の尻尾を知らない間に踏みつけてました」という行為に何となく似ているからである。つまり、しっぺ返しが怖かった。アスカの場合は、ただできたことに満足していたので面倒がって味見をさぼっていたのだが。
 しかし、レイにしてみれば今更サンドイッチやホットドッグなど作るわけにはいかなかった。大体、誰かの誕生日にだすものとしては迫力と華やかさとが、かなり欠けている。今ひとつどころの問題ではない。
 かなり悩んだあげく、冒険しなくてよく、しかも作るのは楽で、おいしくできる自信があって、しかもオリジナルな要素が絡むものはどんなものがあるか、という命題の結論は、
「………んなもんあるかーー!」
 頭をかきむしって絶叫するレイ。まったくもってその通りで、そんなに都合がよいものが世の中に転がっていれば、世界中誰もが一流シェフになれる。
「どうしたの?」
 シンジがリビングから顔をのぞかせたので、慌てて、
「なんでもないよ」
 と、笑顔で答えた。そして、手元の包丁を見つめる。
 飾り切りも千切りなどの普通の包丁捌きもうまくなってきたし、調味料もある場所を覚えてきたので前みたいに中身を間違えるような失態はもうしなくていいだろう。煮たり焼いたりの火加減もわかってきた。技術はついてきているので、問題は作ろうと思う物だ。アスカと違って、シンジに本当に食べてもらいたいものを作るわけにはいかなかったので、その辺がキャップだったが気にしていなかった。要は、本番にきっちり作れればいい、リハーサルなどいらない、と思った。
 この日、アスカとレイは、各家庭で概ね好評の料理を食卓に出すことができた。
 それは、互いの存在を意識していたが側にいなかったこと、次の日を見越して実力を温存していたことの二点につきた。レイには黙っていたが、アスカもハンデには気がついていたので、本番で作る料理の練習はしていなかったのである。










「そういえば」
 シンジがすぐ側のソファーに座っている母に言った。
「最近変なんだ」
「何が?」聖母も顔負けだとゲンドウが思っている微笑みを浮かべて、ユイは本から視線をシンジに向ける。
「なんだか、最近僕を見る男子の目が怪しいんだ」
「どんな風に?」
「なんていうんだろう…。なんか、ちょっと怖い感じがする。怨念がこもってるっていうか…」
「ははーん。なるほど…」
「わかったの?」ぐぐっと身を乗り出すシンジ。
「それは、……ダメ、自分で考えなさい」
「ちぇ、いっつも母さんそればっかり」
 シンジは不満げにいうが、顔はガッカリするというより予想通りの答えだったので苦笑していた。
「ヒントはあげるわ。きっと、それはシンジの『魅力』のせいよ」
「魅力?」
 ユイに聞き返したが、母は本に視線を戻してシンジの方を見ていなかった。
 それを見たシンジも返事が返ってこないと悟る。
 でも、魅力ってなんだろう?
 自分ではもちろん気がつかない。人のことにも疎いシンジだが、自分のことにはもっと疎いシンジ。彼のファッションセンスが地を這っていないのは、ひとえにアスカが彼の服を買うときに必ず同伴してきたからだった。
「昔から何気なく続けてきたくらいのチェロしか、僕には取り柄はないと思うけど…」
 部屋にかけてある、しばらくさわっていない大きな楽器を思い出す。調律はしてあるのでまだきれいな音は鳴るはずだった。
「もしかして、みんなホモとか?」
 シンジは冗談でそれを呟いたが、それが耳に入ったユイはソファーから滑り落ちそうになるのをこらえるのにかなりの努力を割かねばならなかった。そして、彼が自分の魅力に気がついていないからこそ、アスカやレイの気持ちを理解することは無理だと思った。
「早く自信を持ってほしい」
 ユイはそう思う。息子の未来に待っているのは、決して平坦な道とは限らないのだから。それをなるべく平らにする事こそが自分の人生の命題なのだと、難しい顔で考え込んでいる息子の横顔を見ながら心に誓っていた。




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