「なんであんたたちがここにいるの?」
 アスカは意識的に不機嫌を包み隠さずに言った。
 ここはシンジの家である。シンジがいる、ユイもゲンドウもいる。
 そして、トウジとケンスケがいた。ケンスケの方は、エプロン姿の腕を組んで睨み付けるアスカをビデオで撮影していた。
「なんでかて、そりゃ、よばれたからや。シンジに」
 厳しい表情のアスカに対して、一方、トウジはケロッとしたものである。
「うん、僕が誘ったんだ」
 シンジの他意のない顔を見て、深々とアスカはため息をつく。
 昨日、ユイから「明日の誕生日はちょっとしたお祭りよ」と言われ、続いてゲンドウから「ま、パーティーみたいなものだな」と言われた。
「それにもう隠す必要もないだろう。アスカ君やレイが料理をしているわけを知っているか?」
 シンジは首を横に振った。「考えたけどわからなかった」
「バカめ。女心のわからんやつだ」
「なんだよ」頬を膨らませる。「父さんにはわかったの?」
「当たり前だ。何年男をやっていると思っている」
 実はその場にいたくせに、ゲンドウは意地悪く言った。
「お前においしい料理を食べさせてやろうという心意気、しっかり心に刻み込んでおけ。来年もまだあの二人がお前に愛想を尽かしていない、などという甘すぎる幻想はさっさと捨てることだな」
「なんだよ、僕がアスカやレイに嫌われるっていうの?」
「ほう、違って聞こえたら私の言い方が悪かったんだろうな」
 シンジは何か言いかけて口をつぐんだ。まだ何か言えば揚げ足を取られそうな気がしていたのだ。口では絶対にこの男には勝てないと、イヤでも教え込まれてきた。
「じゃあ、友達もさそってみる」
 パーティーみたいなものだ、と言われて、だったら誰か誘ってみてもいいだろうとゆう純粋な考えからシンジはそう言った。その言葉を耳にして、両親の眉がピクンと跳ね上がるのを見た。だが、ダメだとは言わなかったし、積極的に賛成もせず、
「反対はしない。好きにしろ」と言ったのみである。
 そして、電話を受けたトウジとケンスケがここにいる、というわけだ。
 ちなみに、アスカとレイがアドバイザーとしてヒカリを別に誘っていたが、彼女はちゃんと「今日は私はおじゃまものでしかない」と断って来ていない。電話口で「あなた達の作ったモノを食べるのはもうたくさんだ」とか「私が作った方がよっぽどましだ」とは言わなかったが、言葉の中に臭わせたことが含まれていた。どうやら先日の事件のことで相当参っているらしい。
「さて、そろそろ始めましょうか」
 とりあえず、おじゃまな二人をレイが無視していった。午後4時。取りかかるにちょうどいい時間になっている。
「そうね。こいつらに食べさせる料理なんてないけど」
 ギロリと、音が聞こえてきそうなアスカの一睨みにも臆した様子はない。むしろ楽しげに見ているだけだった。
「そうそう、今日撮ったビデオ、後で編集してダビングしたら分けてあげるよ」
「せやから、お前らの調理風景、ばっちし撮らせてもらうで」
「ふん、好きにすれば」そっぽを向くアスカはどこか投げやりな口調だった。
「じゃ、メインイベントの前に、これ、俺たちから」
 ケンスケは片方の手でシンジにやけに大きな包みを差し出す。なにか、額に入ったものらしいと、形で知れた。
「お誕生日、おめでとうございますー」と、トウジがやけにわざとらしい口調で言った。しかし、顔が笑っているので、シンジも自然と頬がゆるんだ。
「ありがとう」
 心からシンジは礼を言った。
「ワシらの小遣いやったらそれでせい一杯や。後で開けてみてくれ」
 そう返すトウジも少し照れくさそうだった。
「ちょっと待ってて」
一言告げて、アスカは玄関の方へ消えていった。1分もしないうちに戻ってくると、自分の家からいくつか調理器具と、一番大切なプレゼントを持って来ていた。そして、素っ気なくシンジに突き出す。雰囲気のなさと、自分の素直になりきれない苛立ちと、恥ずかしさとで目をシンジの方に向けていない。しかし、トウジ達が先陣を切ってくれたおかげで渡すタイミングができたのも確かだった。
「え、あ、あの…」
「ありがたく受け取りなさい。私から貰えるだけマシなんだから、あんたは」
「これを、僕に?」
「そうよ」
 シンジはそれ以上なんといえばいいのか迷った。
「とりあえず、ありがとう」
「なによ、とりあえずって失礼ね!」
「でも……これってすり鉢じゃないの?」
「へ?」
 シンジが受け取ったものは、間違いなくゴマなどをすりつぶすための棒だった。慌ててもう片方の手をみる。そちらが本当はシンジの手にないといけないものだった。
「撮れたか?」
「もちろん」
 ニヤニヤと楽しげに笑っているおじゃま虫一号二号。
 羞恥心とその言いぐさが癪に障ったことで、アスカは顔を赤らめたままその場に立ちつくした。小刻みに手をふるわせつつ。
 気まずくなる一歩手前で、
「じゃあ、これ、私からね」
 レイがシンジに空色の―――レイの髪の色より少し濃いめの色の―――袋を渡した。
「私達が作ってるときにでも開けてみてね」
「うん、ありがとう」
 レイにしてみれば、言葉なんかなくてもシンジのその嬉しそうな顔だけで十分に思えた。
 我に返ったアスカはシンジの前にトンとプレゼントを置くと、何も言わずにすり鉢をひったくり、おどろいた表情の一同を無視してダイニングへと小走りで消えた。怒っているのか恥ずかしがっているのか、おそらく両方だろうな、とシンジは感じた。
「あとでお礼を言っておかなきゃ」
「うーんとたくさん、ね」
 レイがそう付け加えて立ち上がると、アスカの後を追ってリビングから消える。
「楽しみにしててね」と付け加えて。







Neon Genesis EVANGELION
Please,Never ending dream

EPISODE:3 "On Your Mark"







「いやー、ホンマ楽しみやわ」
 トウジが涎を垂らしそうな口調でそういった。
「そうだね」
 トウジほどではないが、シンジもある程度期待していた。レイの作ったものを一度二度食べたことがあるので、大体のレベルは知っているし、あれから時間もたっているので、努力が報われていればおいしいものが出てくるだろうと信じている。
 ケンスケは何も言わなかったが、楽しみなのは同じらしい。30分位して、シンジ達がテレビに向かってゲームをしているところに帰ってきた。なんでも「調理風景はダラダラ撮っておもしろくないが、映像として考えると必要なもの」であるらしく、押さえておかないといけないらしい。シンジにはわからない世界だった。
 ケンスケは密かにほくそ笑んでいる。
 2週間ほど前から極秘裏に、男子生徒からの依頼がそれこそひっきりなしに舞い込んできていたからだ。「料理は諦めたので、せめてそのときの家庭的な映像がほしい」と。もちろん、諦めきれなかった何人かがシンジに近づこうと試みたが、大体諦めきれないほど自分に自信のある少年達である、やはりシンジの前に膝を屈するのが耐えられなかったらしい。前者と同じで、唯一の接点かつシンジの親友で家に招かれる可能性のかなり高いトウジ達に頼っていた。
 トウジとケンスケの小遣いとはここから捻出されているといってもよいほど、彼らの懐は潤っている。今までアスカの一人勝ちではあったが、ケンスケの撮った写真は飛ぶように売れて、男子生徒の何人が額縁に入れたアスカの写真を持っているか、今では見当もつかない。ビデオは売ったことはないが、ビデオを編集してもよし、キャプチャーで写真に焼き直してもいい、どのみち売れる。トウジの頭はおいしいものに目がくらみがちなのだが、ケンスケの場合は自分の趣味である「映像を撮ること」の方が大きく心を占めている。食べるのも確かにいいが、売れる方がもっといい。邪な考えに対する報復はそこまで迫っているとは知らずに、ケンスケはただ眼鏡を怪しく光らせて笑うのみであった。










 アスカとレイが必死の形相でフライパンを振ったり包丁を動かしたりしている。お互いが相手のしていることに気になるらしく、ちらっと相手の方をみるとたまたま視線が交差したりしてプイッと顔をそむけあう。一見すると仲が悪そうに見えるが、全くの逆だとは、普通なら思いつきもしないだろう。
 相手の作りたいモノの輪郭が形作られてきた頃、ユイが陣中見舞いのようにカルピスを盆に乗せて二人に手渡した。
「ちょっと私、注文したものがあって出かけてくるから、後はよろしくね。遅くなったら先に食べててもいいわ」
「はい」
 二人の声がシンクロする。顔はそむけなかった。
「何かあったらおとうさんにいってね」
 そういい残して、彼女は外出していった。
 ゴクゴクと喉を鳴らせて一気にアスカは飲み干す。緊張を持続させていたので喉はカラカラだった。まだ程良い興奮が体の中に残っている。
「レイ、私よりもおいしいもの作っちゃダメよ」
「アスカこそ人が卒倒するようなもの作らないでね」
 シニカルな笑みを浮かべつつ、二人は同時に背を向けると、元の作業に戻った。










 パズルゲームで28連敗のシンジがコントローラーを投げ出そうかと思い始めた頃に、リビングとダイニングをつなぐドアが開かれた。アスカがドン、とテーブルの上にお盆を置く。レイもすぐに後から出てきて皿や箸を並べ始めた。6人分あった。
「そういえば父さんどこに行ったんだろう」とシンジが考えようとすると、それを遮るように奥の部屋からゲンドウが出てくる。
「何してたの?」
「仕事だ」
 簡潔で無駄のない答え。どうやら、部屋の外で重ねられた食器が鳴った音でちょうどいいタイミングだと思ったらしい。
 トウジとケンスケは初めて見たわけでもないゲンドウを目の当たりにして少し緊張した。彼の体からにじみ出る、訳の分からない威圧感を肌で感じたからだ。
「お、おじゃましてます」
「ああ、ゆっくりしていくといい」
 父さんがいる限り無理だと思うけど、シンジの顔にはそう書いてあった。
「さて、」シンジの隣に座りながら、「このバカ息子に食べさせていただけるありがたい料理は何かな?」
「はい、これです!」
 アスカは自信たっぷりに、大きな皿を一同の前に突き出す。
「パエリアかぁ」と、シンジが感心したように呟く。
「そうよ、惣流アスカオリジナル、よ」
 隣ではレイが苦虫を100匹連続で噛み潰したような顔をしている。最後の仕上げ段階のあたりまで来ると、もはや相手のことを気にかけるほど余裕がなかったのでよく見ていなかったのだが、完成を見る限り、おいしそうだし香しい、食欲をそそるこの匂い。認めたくはないが、ここまではアスカは完璧だった。
 しかし、負けるわけにはいかない。
 心の中で自分を励ますと、レイも抱えていた皿を机におく。
「綾波レイ流スパゲッティーです!」
「ほう」
 ゲンドウが感嘆を漏らす。一見シーフードに見えるが、貝はなさそうで、なにやら食べてみないとわからないものがあったが、変なものには見えなかった。
 むしろ、おいしそうである。
 この時点ではアスカに少し分がありそうだった。
 それぞれの調理が皆の前に大皿から小分けられて並べられるとゲンドウがいった。
「さて、シンジ。残すことはゆるさんぞ」
「わかってるよ。父さんこそ」
「当たり前だ。さあ、まずお前から食べてみろ」
 こくんと頷くシンジ。
 まずはパエリアの皿を前にした。
 皿の上のご飯はいい色に染まっているし、上に乗った大貝が皿の中の華やかさを盛り上げている。
 スプーンで一口すくう。
 シンジがみんなを見ると、みんなもスプーンに手をかけて、シンジがまず食べるのを待っている。
「じゃあ、いただきます」
 照れくさそうに、シンジは口にそれを運んだ。
 モグモグと咀嚼するシンジを不安そうにアスカは見ていた。
「どう?」
「……………」
 アスカとレイの脳裏を、ヒカリ家での出来事がよぎった。
「……いいんじゃないかな。おいしいよ、多分」
 ホッとしたアスカは胸をなで下ろした。そして、改めて喜ぶ。どうやらおいしい方へ大当たりらしい。
「おいしくて当たり前よ、私が作ったんだから」
 それがきっかけで、みんなが食べ始めた。恐る恐る一口目を食べていたのはゲンドウ以外全員だったが、二口目からは普通に食べ、トウジなどは一気に口へかき込むような勢いだった。ゲンドウも頷きながら食べている。
「ち、なかなかね」
 レイが舌打ちを漏らす。ニヤッとアスカは笑い、
「もう降参?」
「まさか。さあ、シンちゃん、私のも」
「うん」
 このときシンジは幸せだった。そしてこれからも幸せだろうと信じて疑うことはなかった。アスカのパエリアはびっくりするほどおいしいわけでもなかったが、アスカが作ってくれたと思うだけでおいしく思えたのだ。
 今度はフォークを手にとってスパゲッティーを巻き取る。
 彼の心はもう期待で一杯である。片手に花が握られた、もう片手も花で埋まってくれるに違いないと信じていた。
 緩んだ顔でレイの料理を一口する。

「ぐぅぬぅがぁほぁぁぁぁぁっっ!!」

 そして、完璧に期待を裏切られた。
 一瞬で、嬉しくて赤に染まっていた頬が青に、すぐにムラサキ色に変色する。喉をかきむしりながらもなんとか喉の奥に流し込むことに成功した。が、ゼーゼーと肩で息をしていた。
 レイは慌てて自分の料理を一口食べてみる。と、ほぼ同時にみんなスパゲッティーを巻き付けたフォークをくわえていた。シンジの奇妙な絶叫を耳にしたときには、すでに口にくわえていたのだ。

「がっぼぉぐぎっぬぅぅぅぅぁぁ!!」
「ぐげふぅがぁっ!!」


 似たような悲鳴がたちどころに空間が支配し、後に残ったものは抜け殻のような6人。
 唯一声を上げなかったゲンドウは立派だが、我慢したせいか、顔色がいつぞやのキョウコやヒカリと一緒で、顔色が土色にまで変色している。ダラダラと、汗がひっきりなしに顔を伝わって流れ落ちてゆく。口からフォークをはやしたまま硬直していた。
 トウジは絨毯をかきむしりながらもがき苦しみ、ケンスケはあまりの味に意識が白濁したのか、涎を流しながら呆然と天井を見上げて放心していた。
 アスカもあまり大差はないが、それでも自分の作ったモノでできた免疫か、少しだけ被害は軽かったようだが青ざめているのには違いがない。
 レイは口を押さえて何とか飲み込もうと努力しているが、口に含んだ量が多すぎたらしく、目を白黒させている。
「……お……お…、お、おおおおいしいよぉー……うえ」
 目尻に涙をためて、震える声で何とかそれだけを絞り出すシンジだったが、言った後にすぐにせき込んだ。明らかに大嘘だった。普段ならつっこみが入るはずなのだが、そのアスカには気力がないらしい。
 どうやったらこうなるのか―――。
 そういった生やさしいものではなかった。
 一言でいえば「不味い」ですむが、そんな一言ですめばまだ温い。
 おいしく作るポイントをことごとく外しつつ、不味くなるポイントを的確に押さえ、さらにその上なにか変な科学物質とヘドロでも入れたのではないかと思われるモノであった。これはすでに、料理ではない。今まで、アスカとレイが作ってきた中でも最強最悪最凶であった。
 偉大なる冒涜。
 そんなフレーズを思い浮かぶ暇すら与えられずに全員が沈黙した。
「な、なにいれて……おえ……作ったのよ……」
 アスカが同じく声を絞り出す。水を飲む動作も苦しそうだ。
「な、何って本の通りに作っただけよ…」
「普通に作ってこんなマズさになるわけないでしょう! どの本よ!」
「これとこれとこれとこれ」
 4冊の本がアスカの前に差し出される。
「これに載ってた隠し味の材料、全部入れたのがマズかったのかなぁ……」
 絶対にそれだけじゃないと思うよ、これって。
 シンジは言えなかった。
 それすらいう気力も残っていなかったのである。
 朝と昼を抜いたハズなのに、アスカの料理も小皿一杯しか食べていなかったはずなのに空腹感が消し飛んでいた。
「シンジ…」
「なに、父さん」
「私のもやるから全部食え。遠慮するな」
「なっ!」
 死んでもここではイヤだとは言えなかった。レイが傷つくと思ったからである。律儀なことだが、ここでは拒否する方が正解で、その行為を誰も攻めはしない。しかし、シンジは、
「けど、全部食べろって言ったの父さんだろ。父さんこそ全部食べなよ!」
「ぬぅ……」
 ゲンドウは唸った。確かに示しがつきそうもない状態ではある。しかし、あの思いをもう一度味わうことはかなり厳しいと思われた。
「もういいよ、シンちゃん」
 レイが止めに入ったが、碇親子は一時睨み合うと、あとは目を血走らせながら制止を振りきって目の前のスパゲッティーをかき込み始めた。
 またもやシンジの口から悲鳴があがる。ゲンドウも時折、「ぐっ」とか「うお」とか呻きながらも負けじと平らげていた。あまりの不味さで意識がどこか遠くへ飛んでいたらしい。
「おうシンジぃ! 食うことでやったら負けやせんで!」
「僕にだって意地はある!」
「なによ、このくらいの不味さ!」
「酷いみんな! このくらい大丈夫でしょう!」
 少年少女も、シンジ達の食べっぷりに触発されたのか、お互いの挑発に乗ってしまったのか、シンジですら、
「なんだよ、僕だって!」
 そう叫ぶと新しく皿にスパッゲッティーをつぐ。そして、また口に猛然と運び始めた。
「やるなシンジ」
 眼鏡が半分ずり落ちている事にも気がつかず、ゲンドウもすぐさま後を追う。そして、全員が怒濤のごとくアスカのパエリアを全員が処理しにかかり、またもや絶叫をあげた。レイの料理の後味の悪さとパエリアの何かが混じったことがいけなかったのだろう、レイの冒涜的物体と大差ない、おぞましいものへと衣替えして全員の味覚を襲った。
 電撃が体を駆けめぐり、体の芯から来る震えを何とか必死に押さえ込もうと全員が努力していた。もう、こうなったらヤケクソである。
「負けてたまるかコンチクショウ」という訳の分からない競争意識が全員の心を支配して、いたずら好きの妖精が「混乱」と「幻惑」の粉を巻いて、ますますその場を混沌の渦に巻き込んでいった。ゲンドウは外見はほとんど変わらなかったが顔色は明らかにおかしいし、汗はそれこそ滝のように流れ落ちていた。子供らのうち、男子は涙と鼻水と涎をミックスさせて処理していき、アスカやレイも鼻水をナプキンやティッシュで拭きながら、涙で目をはらせてそれでも食べるという行為を止めようとしない。
 こうして各人が意地と意地を戦わせ、張り合い、競った結果―――

 ユイが注文のケーキを持って帰ってきたときにリビングで見たもの。
 シンジの手がゲンドウの顎髭をつかんだまま制止していた。そのゲンドウの手は片手がシンジの髪の毛をフォークで巻き取り、もう片方は頬をつまみ上げたまま、こちらも制止していた。トウジとケンスケは背中合わせのまま呆然と天井見上げて涎を垂れ流し、アスカとレイは重なるように倒れていた。アスカにいたってはピクピクと痙攣すらしている。
 滅多に慌てないユイですら、これはどうしたことか、と思った。
 立ちすくんだままたっぷり10秒は硬直して、自分が目を点にしていたことに気がつくと、すぐに近くにいたレイを抱きかかえる。
「何があったの!?」
 レイはうっすらと目を開くと、ユイを見て、またすぐに目を閉じて、机の上を指した。それが最後の力だったらしく、ユイの腕の中で力が抜け落ちた。そして、一口だけ残ったスパゲッティーにユイの目がいった。一見、ただの食べ残しに見える。レイの皿以外は、きれいになくなっていた。アスカのパエリアも勢いでなくなったらしい。パエリアだとは米粒と貝殻で推測した。
 フォークで残りをすくい上げた。
 イヤな予感はしたが、それでもなけなしの勇気でそれを口にくわえる。

 ビシぃっ!

 電撃が彼女の四肢を襲った。
 髪の毛を数本逆立てたまま、碇家のリビングは23分、時が凍った。
 一口ですまされ比較的症状の軽かったユイが後にそう語ったという。










 ユイが現場検証した結果、導き出された結論からして、レイの場合はかなり特異な部類であって、何種累加の偶然が重なってああなってしまった、ということになるらしい。というのも、作っていく途中の段階ではレイは味見をしており、そのときは「まともだった」と証言したからである。ちなみに、アスカも途中でこっそりくすねていたので、同じように言っていたので客観的に正しいのだろう。
 アスカのパエリアがレイのスパゲッティーと混じり合った結果、とんでもない化学反応の様なものを引き起こしたようだった。結局、アスカは直っていたがレイの方がおかしいまま軌道を戻せなくなっていたことと、同時に食べてしまったことが不幸の始まりだったらしい。ユイが食べたのはパエリアの上に乗っていた貝の汁がたっぷりとかかっていたので同じように不味くなっていたが、ただレイの分だけを食べていたら「眉をひそめる程度で笑って許せるレベル」だったと判ったのは、キッチンに残っていた、皿に載らなかった少しの残りを後になって食べたときであった。
 8時前だが、現在元気になるとは到底不可能で、何とか動き回れる人間がシンジ、アスカ、レイ、ゲンドウ。トウジとケンスケはうんうんと悪夢でも見ているかのようにうなされたまま、まだ目が覚めない。
 ユイがいつもと変わらない状態に見えた。ただし、今にも貧血を起こしそうな弱々しさが他人の目に写った。
 誰にも共通していたのは「もうたくさんだ」と顔に書かれていたことだろう。
 ユイに結論を聞かされても、全員反応を返す元気がなかった。たいぎそうにシンジは頷いて、いったん部屋に入ってすぐにでてきた。忘れていたものをやっと思い出した、という行動だった。ただし、普段15秒ですむはずが、1分もかかったが。
「これ……お礼……」
 それだけ言うと、力つきたように机に突っ伏して動かなくなる。
 それはアスカとレイの目の前におかれていた。
 それはある程度事態を察していたシンジが「プレゼントもらうんだろうからお礼を」と考えて、あらかじめ二人に用意していたものだった。
 それが強心剤か、またはカンフル剤になったらしく、少し元気を取り戻して二人は同時に目の前の包みを破っていった。
 でてきたのは、アスカはネックレス、レイはイヤリング。シンジにすればかなり悩んだに違いなく、彼女たちの目にもセンスのいいデザインだった。どうやら二つは別々の商品だが、二つで一組のように見えた。そして、一緒に入っていたメッセージカードにはへたくそなシンジの字で、『いつまでも仲のいい友達で』と書かれていたのを見たとき、レイは不覚にも涙で目がにじんでいた。嬉しさと、それよりも何倍も大きな申し訳なさで一杯だったのである。
 続けて『ありがとう』とも書いてあった。
「…ねえ、レイ」
 アスカがじいっとカードを手にしたまま聞く。レイはごしごしと目元を拭って、いたって明るい口調を作って聞き返す。
「なに?」
「私、何かが欠けてた気がする」
 独り言のように言った。
「…わかるよ、わたしも何となくそんな感じ。それって多分……『まごころ』なんじゃないかな」
 いったん語を切って、ため息をついたあとに続ける。
「張り合って、勝つことばっかり考えてて、忘れてたわけじゃないけど、『おいしく食べてもらおう』っていう気が薄れてたんじゃないかな? 優しいシンちゃんだもん、少々まずくたって、おいしいおいしいっていいながらパクついてくれたと思う」
「シンジのくれた、これには」アスカは直接答えずネックレスを目の前に掲げてみた。「『まごころ』がこもってる…確かにそんな感じがする……」
 うん、とレイは頷くと、それを大切そうに入っていた箱に収めた。今つけてみないの、とアスカが聞くと、
「シンちゃんにつけたところを見てもらいたいから、今はいい」
 と言って、大切そうに箱を持っている。
「私も気がかわった。私もそうするわ」
 彼女らしくなく、珍しく人と同じ意見で、彼女もネックレスを入っていたケースに収めた。
「でも、祝ってあげるはずの私達が感動させられてちゃ、世話ないわね」ヒラヒラと目の前でメッセージカードをもてあそぶ。「バカシンジのくせに、カッコつけちゃって」
 うん、とレイがまた頷く。
 机の上でシンジは寝息を立てていた。
 今日の悲喜交々、すべてひっくるめた上の寝顔はとても無垢で、起こすのが忍びなかった。










 次の日、シンジがもらったプレゼントを開けてみると、アスカからはチェロの3冊の楽譜とクラシックのCDが、レイからはシンジのよく似合いそうなサマーセーターが、トウジとケンスケからはパネル大の大きさで体育中に走っている姿のアスカとレイが写った写真が、それぞれ贈られていた。汗が光っていて、シンジでなくとも感嘆するほどまぶしい姿の少女達が写っている。ただし、彼の場合は恥ずかしくてまともに見られなかったが。そして、親からはSDAT(ポータブルプレイヤー)を貰った。
 シンジは丁寧に各人に礼を言ってまわり、トウジ達には写真と額は返した。かわりに、普通サイズの同じ写真をくれ、と頼むとケンスケは少し意外そうな顔をしたが何も言わずにわけてくれた。シンジは「こんなに大きいと、照れちゃうし、アスカやレイに見つかったら、何て言ったらいいか判らないから」ということらしい。
 こうして、アスカも知らないまま、シンジの宝物の中に一枚の写真が加わった。
 汗をほとばしらせながら競い合う姿。先を走るアスカも、後から追いかけるレイも、いい顔をして、楽しそうな顔をして走っている。

 彼女たちは、これからも、一人の少年をはさんで争っていくのだろう。
 そこに、これからずっと忘れられないであろう『まごころ』が加わって。




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