パッ。

 それは自分の身をコンクリートの壁が守ってくれた証明だった。銃弾がめり込んだ音が耳に残る。音だけなら乾き、味気ないものであるのに、どうしてあんなに殺傷力が高いのか理解しがたいと思う。しかし、今はそんなことを考えていれば殺される。ここでは理想主義主張我が侭などは即死を意味する。常に死と隣り合わせで生きているのだ。相手が白人だろうと黒人だろうとヒスパニックであろうとアラビアンであろうと、そいつがキリストだろうとユダヤだろうとイスラムであろうとヒンドゥーであろうと、目が、髪が色があろうとなかろうと、そんな事は無意味でしかない。あるのは、自分の身を守らなくてはという自分の奥底から出てくる自然の本能だけ。
 また隣で肉の弾ける音が耳に届いた。眼球だけ動かすと、頭の上半分がグチャグチャになって吹き飛んでいた同僚の死体が目の前にあった。唇の下だけ残っているのは何とも奇妙で、不思議と恐怖も嫌悪も沸いてこなかった。あるのは本能のみだった。生きるために必要な事だけを脳味噌は結論としてはじき出す。死んだのは4人。向こうはまだ10人以上、こちらは3人、うち一人は意識不明ですでに片足を棺桶につっこんでいた。間違いなく助からないと云う予感は、ここに医者や看護婦はもちろん薬すらないからだと知っているためだ。
「明日は我が身、か…」
 半身を自分と他人の血で染めながらそう呟く。
 いつからだろうか。平気で銃を他人に向けて撃てるようになったのは。
 もうずいぶん昔のような気がするのに、まだ2年も絶っていないはずだった。それでも、自分の銃弾の犠牲になった人間は3桁に届いてるだろう。
「やれやれ。何回地獄の釜で茹でられることになるやら」
 手持ちのライフルを握り直す。油と血と汗の混じったイヤな感触だが仕方がない。
 不意に空を見上げた。
 雲が全くない、本当なら子供がこの快晴の下で歓声を上げながら遊んでいないといけないはずの天気だった。太陽だけが自らの存在を主張してやまない。こんな廃墟と化した街でなければ、と思う。
「……葛城…」
 不意に二年前の出来事がフラッシュバックしていく。今頃思い出に浸るなんて、お迎えが来たって証拠かな?
『致命傷も負ってないくせによく言うわね』
 そんな彼女の声が聞こえたような気がした。
 やれやれ、わかったよ。死なない努力をすれば良いんだろ、最後まで。どうせ助からないのに面倒なことをさせるなよ。
 日本人らしいとバカにされるかもしれない、でもこれしかないのか。
 手元の手榴弾を握りしめる。最後の一発。これを投げつけて、吹き上げられた砂塵に隠れてライフルを乱射しながら特攻。これしかないか。銃弾の数も残りは多くない。
 気がつけばこちら側は俺だけだしな。投降することが無駄だということはよくわかってる。あいつらに捕まった捕虜が帰ってきたためしがない。
 手榴弾のピンを抜こうと身構えた。
 次の瞬間、ヘリの爆音とミサイルの撃ち込まれた爆発音が反響して鼓膜を震わせた。至近だったので耳が少しおかしくなっているだろう。まあいい、とにかく助かった。そう思った。鼓膜の心配なんて、後でいくらでもできる。
 敵対者達が砂塵の中で四散したり肉片に変わるのを無気力に見ていた。
 助かったのか、助けられたのか、と思った。
 安堵で瞼が突然重たくなる。やれやれ、また俺だけ助かってしまった。動けないヤツの中に生き残ってるヤツがいるといいが…。ヘリの音やら何やらでうるさいはずなのに、不思議と眠たくて眠たくてしかたなかった。
 そう言えば何時間眠ってないっけ? 半日か? それとも3日くらいか? 全然解らない。もうどれくらい時間が過ぎたのかも。
 ぼんやりと空を見上げる。黒煙や埃の舞う中、霞んだ青がその向こうに広がっていた。

 そういえばあの7月の空も青かったな…。すまん、葛城…。










 6月20日土曜日。
 新聞各紙の一面にはある暴力団の幹部が射殺された事件が大々的に掲載されていた。全国的にも名が知られ、警察からマークされていたほどの人物であった。記事によると、ある政治家との癒着が公になりそうなので口封じのために犠牲の羊に祭り上げられたのだと、表現こそ違え、そのように記載されていた。その政治家の名前は確たる証拠がないので名誉毀損を避けるために書かれてはいなかった。その射殺された幹部が実質的なトップであったので、その組は遠からず自然解散という形になるか、他との抗争で敗れるか、合併吸収されるかの道しか残されていまい、と担当の記者は話したという。










 6月21日日曜日。
 碇ゲンドウは休日にも関わらず出勤していた。彼の顔がしかめっ面なのは別に今日に限ったことではなく、これが普段の顔のままなのである。休日出勤で機嫌が悪いというわけではない。
 碇ゲンドウは息子やその幼なじみや被保護者には多くを語らないので、彼らが正確にゲンドウやユイの仕事を把握しているとは言えない。シンジ達が知っているのは、両親とも同じ職場で「何だかよくわからないけど遺伝子とかを研究しているらしい」というのがせいぜいだろう。しかし、ゲンドウの部下がそのことを聞けば卒倒してしまうに違いない。何故ならば、ゲンドウはある研究所のトップなのだから。ユイに至っても第二研究部の部長である。そして、アスカの母、キョウコは第一研究部の部長であった。もし3人が揃って消えれば翌日この研究所は突然機能しなくなることは想像に難くない。
 この研究所の正式名称は『人工進化研究所』という。しかし、一般的な通用名は『ゲヒルン』であった。芦ノ湖の隣にある白亜の建物がゲヒルンの本部で、世界5カ国に支部を持つ。所属は国連である。WTO(世界保健機構)の下部機関としてスタートし、現在ではほぼ独立した部署として活動していた。
 隣には遺伝子治療や臨床実験のために特殊な病院がある。この病院は、他の治療機関から特殊な治療を必要とする患者が担ぎ込まれる場所であり、外来病院ではなかった。ゲヒルンは同時に新薬の研究にも一役買っていた。特許を取ると、その技術を競売で製薬会社に競わせ独占的な生産を認めたり、特許料などでそれなりの利益を得ていたし、国連本部からの予算もプラスされて、かなり恵まれた環境であるといえよう。その潤沢な資金を使い、2000年頃から世界各地で開発が進められていた第七世代型コンピューターを最初に実用化させた開発室も、ゲヒルンで必要とされる莫大な量の数式と数字を元にはじき出されるシミュレーションが行えるマシンを求めた結果、必然的に生み出されたといえる。そのシステムの完成型は「MAGI」と名付けられ、現在の第3新東京市の市政すら処理するほどの高性能を見せつけた。
 研究部と開発室、主にこの2つに要約される機関がゲヒルンであった。一般市民には馴染みの深い組織ではないが、一部の人間には有名な特殊組織であった。
 その中心にいる人物が碇ゲンドウなのである。
 その彼は休日にも関わらず執務に追われていた。ただし、在任10年を越えたが、一般事務が滞ったことがないのは彼の優秀さを示す指標だろう。
「よく言うよ、私にほとんど押しつけるくせに」
 そうぼやいたのは、所長室にフリーパスではいる権利を持つ4人の中の1人であった。所長であるゲンドウが室内にいなくても入ることが可能な人物は、部長のユイとキョウコ、電子開発室室長でありMAGIの開発者、赤木ナオコ博士、そして、この冬月コウゾウであった。
 彼はゲヒルンの顧問であるのでこの組織の一部ではないのだが、ゲンドウの片腕として手腕を発揮している。形而生物学の博士で助教授の経験もあることから、この組織にはかかせない人物である。しかし、彼の本職は中学校の校長であった。
 ゲンドウは冬月のさりげない嫌みも聞き流し、黙々と報告書に目を通していた。
「……結局、尻尾をまんまと切り離された、というわけだな」
 冬月が目頭を押さえながら、呻くように云った。疲れが溜まっているらしく、顔に滲み出ている。
「そういうことだ。諜報部全員が無能者揃いというわけではないが、今ひとつ秀でた人材がいないのが現状だ」
 そうゲンドウは吐き捨てるように云って席を立った。デスクに書類を放り投げ、巨大なガラスの向こうに見える大きな水面を凝視する。そこだけ水が蒸発してしまいそうな苛烈さであった。書類には、先日警察が調べた南邸での一件のことが書かれていた。その後側に、さらに細かく詳細な背後関係等も調査してあった独自の報告がなされた数枚が置かれている。
「その人材ことだがな、碇。心当たりがある」
「ほう」
「先日帰国したそうだ。先方から連絡があった」
「……確か今回はフランスだったな」
 冬月の一言で、ゲンドウの脳裏にも該当者の名前と顔がリストアップされたらしい。冬月がそれほどまでに評価する人物は、自ずと絞られていき、やがては1人になる。
「ああ、リヨンともう一カ所、調査のために渡航していた」
「よし、明日ここに来れるか連絡を取ってくれ」
「その必要はない。もう呼んである」
「ふん、さすがだな」
 そう言って、ゲンドウはインターホンで外部と連絡を取る。
 2分後、彼らの目の前に客人は現れた。
「お久しぶりです、所長」
 ゲンドウが答えないので、その男は肩をすくめて冬月に向き直った。
「先生もお変わりなく」
「変わったさ、この男のせいでまた皺が増えた」
 初老ではあるがそういった空気を感じさせないのが冬月という人物であった。同年代の人間よりも、頭と行動力は10年は若いにだろうと、その男は思った。
「フランスの方の報告は書類にして提出してありますので後日目を通して置いてください。それより、先日の件ですが、私も少々調べてみました。足取りはつかめませんでしたが、猫の毛くらいの情報は見つかりましたよ」
「ふむ?」
 冬月が尋ねると、その男はニヤリと笑ってこう言った。
「近日、この街で何かが動くらしい、とね。ゼーレの実働部隊が不穏な行動をとりはじめたようです」










 6月23日火曜日。
 07時55分。
『この日は奇妙に蒸し暑かった。イヤな予感がした』と後に、第3新東京市の大多数の人々は一様に語ったという。しかし、その人々の大半は、朝の時点でこの日はただの平日だとしか思っていなかったのが真実である。
 惣流アスカは、最初からただの平日だとしか思っていなかった人物の中の1人である。
 いつものようにほんの少しだけ幼さの残る笑顔で、ダイニングにいたユイとゲンドウに朝の挨拶をした後、いつから始まったか判らない習慣をこの日も行った。春からは対象が1人増えていたが、あまり関係はない。ただ、扉を開いて、ベッドのすぐ側に立ち、腰に手を当て、布団にくるまっている人間に向かって叫ぶのみである。
「起きろっ! こんのォねぼすけェっ!」
 シンジにしろレイにしろ、その言葉の内容は大差がない。シンジには「このバカシンジ!」と付け加えられるくらいである。すぐに文句も言わず起きあがればスパンクを頂くことはないのだが、シンジが毎度毎度懲りずに「う〜ん、あとちょっと…」と、名残惜しそうにシーツの感触を確かめ直すからこそ、碇家には景気のいい音が毎日のように響いていた。
 レイがボリボリと頭をかきながらシンジの部屋をのぞき込む。つい先ほど同じように怒鳴られたが、彼女の場合はしばらくボーっとしていたとしても、バタンと倒れ込む事はない。しばらく虚空を眺めたのちに、ノロノロと動き始めて、顔を洗い終わった頃には元気な顔になっている。今は起きあがってやっと頭が動き始めた、と云ったところだろう。
「あー…、毎朝飽きないねェー…」
「こいつに言ってほしいわ」
 ここのところ、よくこの手の会話が2人で交わされているが、一方はあまり目が覚めていないので、次の日も同じ事を云うことが多い。だから、アスカの方も同じ言葉を返すのである。最終的には「あんたもシャキッとしなさい」に変わるだろうが、今はまだそこまで行っていなかった。
 急かされながら寝ぼすけ2人組が顔を洗い、食事を大急ぎで摂り、学校に向かって走り始めたのは約15分後であった。アスカに云わせれば「レイはもうちょっと早く起きて身だしなみに気をつけるべき」なのだが、彼女は寝癖を直す程度ですませていまう。そのそも、寝癖は夜寝る前によく髪を乾かして寝ないからついちゃうのよ、と何度云ったか、馬鹿バカしくてアスカは覚えていない。それでも、レイは十分小綺麗だったので、うるさくは云わなかった。これ以上ああだこうだと云っていると、小姑みたい、とみんなから突っ込まれそうな気がしたのである。それにシンジがなびいてくれるとさらに困る。
「まるで世話の焼ける妹が1人増えたみたいね」
 と、兄弟がいないくせにうそぶいてみるアスカ。彼女の前を走る2人には聞こえてないだろう。彼女なりに、この新しい日常は楽しいと感じていたのだった。
 以前、シンジとレイがぶつかった角を通り過ぎ、しばらくして歩き始めたときにシンジがぽつりと、
「今日でその制服最後なんだよね」
 と、レイに尋ねた。
「あ、うん。今日帰りに取りにいくんだー。シンちゃんも行かない?」
「いいよ。特に用事もないし」
「あ、私もいくわ」
 レイはムッとしたのか、心持ち声のトーンを下げて、
「なんでアスカも来るの?」
「なによ、ついて行っちゃいけないの?」
 アスカも同じように声を下げて聞き返す。2人とも僅かに睨み合った後、すぐに口元に笑みを浮かべてそっぽを向いた。
「あ、あの、急ごうよ」
 気がつけば、シンジだけがもう15メートルほど先に立って2人を待っている。
 少女達はやっと遅れそうだったことに思い当たって、時計を見て確認すると、また走り出さなくてはならなかった。










 同日06時30分。
 一台の大型トレーラーが第3新東京市に入って来た。荷台のコンテナには一切塗装が施されておらず、傍目にも新車であったので、目撃した人も「今から納車されるのかな」程度にしか思わなかった。
 そのトレーラーは新三菱信用金庫という銀行の前で一旦停車した。荷台からはいくつか段ボール箱と、大量生産されたロッカー、ソファーなどが運び込まれた。ビルの管理人に応対したその搬入責任者は、
「ここのテナントに事務所を構える事になったので、至急運び込ませてもらった。借用書はここに仮のモノがあるが、正式の書類は今日中に郵送されてくるはずだ。ここを使用する業者の人間がもうすぐ挨拶にくる事になっている」と述べた。すぐに搬入許可は下りた。
 荷台に4,5人が乗っていたが、搬入を驚くべき早さで済ませてしまうと、また何処へともなくトレーラーは走り去っていった。
 その後、管理人は時計の秒針のような音がするようになったな、と思った。










 12時55分。
 いつものように屋上で購買部の弁当を食べながら、愛用のハンディーカムでテレビ中継を見ていた相田ケンスケ少年は驚きのあまり、乗り出していた柵から転げ落ちそうになったところを碇シンジと鈴原トウジに取り押さえられ、一命を取り留めることができた。
 なにやってんだよ、ケンスケ、とシンジに睨まれたが、慌てたままの少年はハンディーカムの液晶を見ろ、と手すりに捕まったまま叫んだ。慌てているというよりも、興奮しているらしく、自分が今落ちそうになったことにはまったく興味がないらしい。
「なんや、ニュースよんどるオッサンのカツラでも取れたんか?」
 興味なさそうにトウジはカメラを拾い上げ、シンジも横からのぞき見るように画面を凝視した。
 そこには銃を突きつけた迷彩服の男と、ライフルを突きつけられたニュースキャスターがいた。見てみろよ、とケンスケがよじ登りながら言った。
「これがどないした? ただのドラマやないかい。アホくさ」
「バカっ! それ生中継なんだぞ!」
「え、」
「たった今、テレビ局が占拠されたんだ!」
 ケンスケは柵の内側に戻って胸を張った。何が誇らしかったのかは判らないままであったが、シンジはテレビの画面から目が離せなくなっていた。トウジだけが疑わしそうな顔つきで、同じように液晶を見つめていた。










 同日08時30分。
 赤木ナオコ博士はいつものように自宅からゲヒルンに向かって出勤途中、地下鉄に乗る駅の手前の信号で老婆に呼び止められた。市街地に行く道は何処を通ればよいのか、タクシーはこのあたりで拾えるか、と尋ねられ、笑顔でそれに応じて老婆の差し出した地図をのぞき込んだ。
 その瞬間、老婆から僅かではあったが意識がはずれた途端に後から即効性の睡眠薬を喉元に注射され、倒れ込むまもなくすぐ側に止めてあった窓も黒く塗られた車に押し込められるようにして拉致された。現場には、赤木博士のハンドバッグとフォルダが残された。










 12時50分。
 ダークスーツに身を包んだ1人の中年男性が受付嬢に挨拶をし、用件を伝えた。
「お嬢さん、今生中継をしているスタジオはわかりますか?」
「はい、少々お待ちを………E2スタジオですね」
 と、ロングウェーブの髪を揺らしながら、彼女は放送予定表を確認した。艶のある女性であった。30に届いていないに違いないが、身体中から牝の匂いを色濃く発散しているようなタイプであった。
「ありがとう。今からでも見学はできるかな?」
「いえ、残念ながらご予約が必要ですので…」
 薄着のブラウスやタイトスカートから覗く長い足が男を挑発しているようでもあった。
「ふむ、それは残念だ」
「はい、申し訳ありません」
 営業スマイルであることは明々白々であるが、彼女の浮かべる笑みには隙がなく、完璧にセオリーを踏襲していた。ここまでは。
 普通ならばその男性は同じように微笑し、名残惜しそうにきびすを返して自動ドアに向かってまっすぐ歩いて行くはずであった。このように紳士的な男性の場合はいつもそう、彼女の経験はそう結果を予測した。プライベートで彼女が誘われた回数は平均すると一日に10件はくだらず、もしかするとこの素敵な男性からも誘っていただけるのではないかしら、と一瞬脳裏をかすめた。
 しかし、その男性は微笑を浮かべたところまでは一緒であったが、彼女と受付を横切って奥へと歩き始めたのである。
「お客様」
「うん? 何か?」
「ここからは出演者か関係者しか立ち入りできませんので、一般の方はご遠慮していただくことになっているのですが」
「ああ、それなら心配ないよ」
「は?」
「私は出演者だから」
 その男性は口を一層歪ませて禍々しい冷笑で彼女を見下ろしていた。それでいて、出で立ちに隙もなく、サングラスで目元はよく見えないが、相当なダンディズムな人間であるに違いない。顔の造りは日本人離れしたところを感じさせ、おそらくハーフであろうと思われた。
 その彼が、パチン、と指を鳴らした。
 途端にロビーにいた、窓を拭いていたはずの、床を磨いていたはずの清掃作業員5人が作業を止め、いつのまにか絶対に持っていてはおかしいものを手に近寄ってくる。作業のワゴン内には隠されていたらしく、M1A62が次々と現れる。それを手に取り、お互いに受け渡しながら、喫煙スペースで新聞を読んでいた青年が、たばこを吸っていたジャケットを羽織った男性が、同じように彼女の方へ向かって歩いてくる。サバイバルナイフが、ライフルが、サブマシンガンが、ランチャーが、手榴弾が次々と現れては彼らに装備されていくのだ。青年のスポーツバックから、ジャケットを羽織った男性のトランペットケースから、各自思い思いのところからそれらの武器が出現してくる。
 いつもと変わらない風景が一変した。今までロビーでくつろいでいたり仕事をしていたはずの人物が全員彼女に向かって歩いてくる。しかも、足音一つさせずに。あらゆる種類の銃火器を手にして。
 ダークスーツの男性が、その笑みを絶やさないまま懐から一丁のマグナムを取り出した。そして、受付嬢の眉間に構える。
 涙を浮かべ、恐怖におののく受付嬢。
「いい子だ。そのまま恐怖に震えておいてくれたまえ。声を出したらズドン。わかるね?」
 彼女は最後までそれを聞くことできなかった。
 奇声を上げ、走って逃げだそうとしたところを、別の男によってサイレンサー付きのサブマシンガンで後頭部を狙撃されたのである。弾丸は易々とやわらかな人間の皮膚を食い破り、骨を砕き、脳内を撹拌して額から飛びだした。
「やれやれ。人の話は最後まで聞くものだ」
 表情一つ変えずそう呟くと、傍らの男に目配せし、この局の主要部分の占拠せよと命令を下すと、彼はエレベーターに乗り込んでスタジオを目指した。いつの間にか、彼以外の男達は野戦服に衣替えしていた。今まできていた服の下に着込んでいたのだろう。彼らは小さな声で「イエス、サー」と答えると、すぐさま猫のように身をかがめて各所へと散らばっていった。










 13時02分。
 このテレビ局は完全に謎の部隊に制圧されてしまった。
 新しいテレビ局であるため、殆どのセキュリティーを3ヶ所に分散させたシステムを取り、3ヶ所同時に制圧されない限り、このテレビ局は無事なはずであった。1つが占拠されても、残りの2つで電波ジャックを防ぐようになっている。と同時に各部屋のロックも緊急的に思いのままに操れるようになっていた。その様にして、警察などの応援がくるまで耐えることになっており、そのための設備としても十分であった。仮に2つが同時に占拠されたとしても、秘匿パスワードを一箇所から入力すれば、テレビ局としての機能が麻痺するように設計されている。すべての部屋のロックもかかったまま移動できないようになっていた。しかも、そのうちの2ヵ所は部外秘であり、社内でもこのことを知っている人物はごく僅かだったはずである。
 しかし、制圧部隊は迷うことなく真っ直ぐにガードマン詰め所、アナウンサー室、食堂を制圧してしまった。偽造カードキーを使って4人がアナウンサー室に乱入した。一番正義感があり、とっさに対応できた男性アナウンサーが抵抗の甲斐なく銃底で殴打されて気絶した後は、云われるままにアナウンサー室にいた全員が1ヶ所に集まり両手を上に挙げたところで、サブマシンガンが火を噴き、男女25名をただの肉塊へと変えた。その後、乱入者の1人が電源に入っていたパソコンからセキュリティープログラムを起動させた。
 ガードマンの詰め所では5人が待機していたが、ドアを蹴破って闖入してきた4人の人物に抗議の声を挙げる前に、3人がハンドガン3発の弾で頭を撃ち抜かれ、逃げだそうとした2人は後から羽交い締めにされた直後にナイフで喉をかききられ、もう1人は後の男の筋肉がフルに働き、首の骨を付け根から折られて沈黙した。すぐに1人がコンソロールに飛びつき、キーをたたき始めた。
 食堂では3人が、食券券売機の下のパネルを開け、持っていたノートパソコンと接続して操作を始めた所を数人に目撃されたが、運の悪かった人間がことごとくサイレンサーの餌食となった。彼らは血液で廊下を染め上げ、流れ出た赤い液体の量は100リットルをくだらなかった。
 最初、このテレビ局がテロに襲われたことに気が付いた人物も、何故部隊がアナウンサー室や食堂に向かったのか判らなかった。警察に連絡がいくのは何処かのドアが無理矢理こじ開けられたり、炎が少しでも社内で上がったときなどであるが、このときは部隊の人間全員が各ドアなどを偽造ながらも正当な手続きを恐ろしい早さで処理していったため、対応できなかったのである。彼はこの会社の全体を監視カメラなどで確認できる場所にいたため、直接被害に遭うことはなかった。しかし、彼が警察に通報しようと非常ボタンを荒々しく押したが、その直前に全ての監視カメラとコンピューターの電源が落とされた。
 3ヶ所で使われていたコンピューターのOSこそ違ったが、動いていたプログラムは同じであった。各々の箇所で異なったパスワードを入力すると、この会社における全システムを手中にできるのである。
 まず、全ての扉がロックされ、社外に出ることも不可能になった。それに気が付いたときには、既に全ての窓も防火シャッターで閉じられており、生きていた人たち約2000人は缶詰状態に置かれた。次に、コアとなる幹線以外の電源が全てシャットされた。それと同時に外部との連絡ができぬよう、電話回線も全て封鎖されていた。社内で使われているケーブルを物理的にカットすることができる機能があるが、それを使用したのである。ここまで、受付の女性が射殺されてから3分とかかっていない。
 装着したヘッドホンマイクでそれを確認した部隊長が、先ほどのサングラスの男に成功した旨を伝えると、その男性は満足そうに頷いた。そして、堂々とスタジオの扉を開け放ったのである。先ほど受付で教えられたE2スタジオであった。
 扉の中にいたガードマンが瞬時に野戦服の男に殴り倒された。サングラスの男には5人が従っていたが、それぞれが的確に行動した。生中継中のため、ここには観客が殆どいなかったが、それでも30人はいただろうか。テレビクルーを含めると60人ほどである。その中で、銃を突きつけられて悲鳴を上げたり奇声を上げた人物を、雷撃的な早さでそれぞれ喉をかき切っていったのだ。ナイフで喉笛を真一文字に横切られた中年女性はひゅーひゅーと喉から直接息をもらし、それ以上の華々しさで鮮血を周りにいた人間に降りかけていった。そして、すぐに物言わぬ物体へと変化していく。それによって新たな騒ぎが起こる前に、返り血すら浴びることなかった野戦服の男が新たな獲物を求めてそれらしき人物を切っていき、大半の観客は主婦達であったがその殆どは瞬時に口を封じられてしまった。生き残ったのは3人。彼女たちは腰が砕け、泡を吹いて気絶してしまったために生きながらえることができた。
 観客を処理していくのと同時にテレビクルー達の制圧に2人があたり、彼らにはそのままテレビ中継を続けることを強要され、ほぼ全員がそれに従った。右往左往していたプロデューサーが同じように喉をナイフで一閃された。
 冷笑を浮かべて、サングラスの男はその現場を眺めていただけである。そして部隊長に命じて出演者達を画面外に退去させ、すぐ側に全員を伏せて寝かせてしまった。アナウンサーが2人、原稿を隣から渡していたAD、ゲストで呼ばれた市議会議員がそれらの対象である。そして、部隊長は朗々とテレビカメラに向かってこのテレビ局を占拠したことを宣言し、
「我々がどこまで本気であるかを示すために今から証拠を見せる」
 と、述べ終わるとすぐに女性アナウンサーの黒髪をつかむと、苦悶の表情を浮かべて抗議しようとする彼女のこめかみに銃を突きつけ、迷わず引き金を引いた。肉の焼けるイヤな匂いこそ伝わらなかったものの、爆発したように吹き飛んだ反対方向の肉塊や血液の生々しさ、そして女性ですら平気で撃ち殺せる残酷さと躊躇のなさを伝えるには十分すぎるほどだった。
「ごらんのように、我々は女子供を容赦なく撃ち殺せる。甘い考えは今のうちに捨てていただこう。今このテレビ局内には老若男女会わせて1987名がいたはずだ。抵抗した人員数は判らないが、その人物の数だけ減っているだろう。次の放送で我々の目的と正体を名乗る。次の放送は10分後である」
 直後に、今し方遺体に変えた女性をテレビカメラに向かって無造作に投げ捨てたのである。テレビの画面は、その亡骸がカメラを覆ったところで切り替えられた。いつの間にか用意された黒いバックの映像になっていたのだ。










 同時刻。
 それを、第一中学の少年達3人も呆然としながらも、繰り広げられた惨劇を食い入るように見つめていた。ミリタリーマニアであるはずのケンスケが震えている。シンジが気が付いたとき、3人とも額に汗が浮かんでいた。とっさにどう反応して良いのか判らないらしく、言葉が出てこない。
「け、警察に通報した方がええかな?」
「バカ、これ公共の電波に乗ってるんだぞ、通報なんかしなくたって警察は知ってるに決まってるだろ」
 ケンスケがせわしなくメガネの位置を直していたが、これは彼が落ち着きをなくしたときの癖である。
「とにかく、先生に知らせた方がいいよ」
 普段なら、持ち込みとはいえ、学校内でテレビを見てよいはずもないのだが、事も事であるだけにシンジの言葉に反対意見は出なかった。むしろ、積極的に賛成するトウジ。そのテレビ局はこの中学校から10キロと離れていないのだ。
「もしかしたら避難させられるかもしれん」
「ああ、戦自もでてくるだろうし」
 ケンスケのいう戦自とは21世紀になって名称が「自衛隊」から「戦略自衛隊」へと変化した組織のことである。このような事態であるだけに、テロ対策の特別班がスクランブルするのは確実だろう。
 とにかく、早く知らせよう。シンジの目がトウジ達にそう訴えていた。
 顔を見合わせて頷き合うとシンジがまず走り出し、2人もすぐに後を追った。










「司令、全てここまでは順調です」
 部隊長がサングラスの男に向かって言った。少し返り血を浴びていたが、気にしている様子はない。
「ああ、ご苦労。しかし、本番は今からだからな、クラーク少佐」
「は、心得ております」
 蛇に睨まれた蛙のように、その少佐は見えた。目の前に立つ、何でもないようなスーツ姿の男に対して畏怖の念が浮かんでいた。額に脂汗が滲んでいるのは、人を殺めることにではなく、司令と呼ばれた男に対する恐怖からであった。
「ゲストに登場していただきたまえ。それと、」
「はい、既に管制以外の人員は集結させております」
 指揮官は満足げに頷くと、張りぼてのスタジオにまたその冷笑を浮かべて佇んでいた。何を考えているのか読みとることのできない表情で。










 兵士達は持ち込んだパソコンに手際よくケーブル類を接続し、このスタジオ内でこの建築物の全システムを把握できるようにプログラムし直した。そして、制圧する前に走りながらしかけていった電波のジャミングシステムを発動させ、この建物の内外からの連絡を一切絶った。これで、携帯電話、PHS、無線類は全て役に立たなくなったのである。平行して、彼らは外部の主コンピューターと接続していった。
「HALとの接続完了」
「了解。直ちに相互通信テスト開始」
「ハ、直ちに相互通信テスト、開始します」
 オペレーターが復唱し、すぐさまキーをたたく。
「どうだ?」
 クラーク少佐がオペレーターの肩をたたく。
「はい、良好です。通信率97,34%。これならば作戦に支障をきたすレベル94.23%に達していません」
「うむ。HALから防御隔壁を3重にはれ。Aダナン型隔壁防御」
「了解」
 これで、彼らのコンピューターは外部からのハッキングに対してほぼ完璧に防御を張ったことになる。HALは第七世代型のコンピューターであって、世界のコンピューターの中でも3本の指にはいる性能を誇る。ハードとソフト両方を完璧にそろえ、HALと同等の演算速度を持つコンピューターで初めて、彼らの突破をはかる足掛かりができる程度なのだ。おそらく、彼らの作戦が終了するまで破綻をきたすことはないだろう。
「現時刻を報告」
「現在1308。放送再開まで5分」
 クラークは頷き、客人を招き入れるよう部下命じた。




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