エアポケットや気流でヘリコプターは微妙に左右上下と揺れ続けていた。
 しかしものともせずに城山はモニターを見つめ続ける。
 映し出されていたのは軍事衛星からの映像だが、HALの妨害にあっているために満足のいく解像度と質が得られているとはいえなかった。それでも、なんとか実用には耐えそうである。使うかどうかの是非を問われたとき、城山は迷うことなく設置させた。彼にしてみれば『無いよりはまし』程度にしか当てにしていなかったが。
 ヘリコプターの無線は通じない。あるビルの屋上から光信号を受信しながらヘリは飛んでいる。だが、それはネットワークや電波を使えないために、手間がかかる上に非効率で仕方なかった。屋上側には送信用と受信用のアンテナ、中継のパソコンが置いてある。同じような装備が第3新東京市のあちこちに散りばめるように設置され、点と点を結ぶように光が街を駆けめぐる。発信元は城山、受信側は各部隊で、波長を操作してあるために、ノイズが混じることはほとんどなく、デジタルで送受信することができた。
 城山はこの軍用ヘリコプターに乗り込む前にこの簡易ネットワークを使って、各部隊に『市街地から出ていく車の総チェック』を命じていた。特に車種はバラバラにしてあるが数珠繋ぎに走る車とかトラックの全てをマークするように、と付け加えてある。
 現在のところ、それらの処置は成果を上げないまま時は推移していた。各隊員が焦り始めている、そう感じ取っていた彼らの司令官は自分が冷静になることで周りを落ち着かせようとしていた。声がうわずったオペレーターを先刻厳しく叱咤したばかりである。『シリウス』の仕掛けたという爆弾群が一斉に火を噴くまで、後2時間と少し。その時間と比例して重くなる責任で、気候以外の仕業で汗が噴き出していた。
 爆弾処理班を米軍と戦略自衛隊、それに警察の人員まで動員して街中の爆弾を捜索させているが、大して成果は上がっているとはいえなかった。
 もし、爆弾が1つも見つかってしまわなければクラークの発言が嘘だという判断も下すことができた。だが、避難所の各所で巧妙に隠された爆弾が計6個見つかっている。つまり、同じようなものがまだ無数街中に散らばっているかもしれないのだ。必死の形相でごみ箱をあさったり、ホコリだらけの天井裏を覗いたり、プロの仕掛ける爆弾の対処法マニュアルに従って探している。だが、その裏を読みながら捜索を続けるのは不可能だった。
 人員が圧倒的に足りない。探し出すことは簡単なレクチャーで人手を増やせても、処理となるとそうはいかない。10個が一度にバラバラに見つかると、もはや手の施しようがない。どこかを後回しにするしかない。今はまだその事態に陥っていないが、将来的にはそうならないとは言い切れないし、まず優先されなくてはならないのはテロリストたちの捕縛である。
 ここまで大々的に好き放題やられて逃がしました、では日本という国の国際的信用に関わってくるのだから、城山は頭が痛い。下士官や一隊員ならまだ知らず、彼はこの国の組織の中でもある程度トップに近い人間なのだ。
 先ほどから散発的に小さな指示を街中の部署に送っている。街全体を見下ろすことのできる視点から状況を把握した場合、彼の指示の意味がおぼろげに理解できるだろう。城山は単発的に見える指示を与えているように見せて、実は街の外へと続く道という道を封鎖していった。
 全ての道に検問などを行っていては人手が足り無くなってしまう。
 彼の採った方法はシンプルで、足りないなら多く見せればいい、という発想からきていた。
「では、民衆を盾に使うのですか!?」
 竹中は驚きを隠そうともせずにそういったが、異を唱えたりはしなかった。城山は自嘲気味に笑いながら意図を説明した。彼の発案のこの指示、他に取りようがないのでこの計画で行くことにしたが、気に入らなかったのは口に出さないが、他人からみても本人が一番気にくわなかったのは明白であった。
「そうだ、流れ出ようとする人々をある程度分散させて、それを足止めさせろ。流石に『シリウス』も歩いて逃げたりはしないだろう。必ずどこかで車か何かに乗り換えるだろう。だが、人々が邪魔で思うように進めない。そこまでは向こうも考えてると仮定して、こちらも部隊を動かす。そして、一ヶ所に追いつめる」
「ですが、追いつめることになっている北東部は…」
「それは心配ない。中学校や小学校などの集会所、避難所には避難勧告を一番最初に出してある。ファックスと電話と、そして直接人間を送る3重の方法でな。米軍の集結地変更もそれが理由だ」
 米軍特殊部隊は一般に極秘扱いの事項が多いため、単独で扱うことの方が多い。城山は一般の米軍を、街を包囲するようにして配置し、わざと南側だけ包囲を薄くしてあった。
「普通このような配置をした場合では、陣容の薄い南側を突破しようとはかるだろう。それが一番被害を出さないための定石だ。だが、私なら逆側の北を破るね。理由は、南側が薄いと云うことはその後ろに厚い膜が張ってあるはずだからだ。言ってみれば南は誘いだというわけだな。つまり正直に進んで南に向かえば、後ろ側の膜で進行を抑えられているうちに追いついてきた相手にタコ殴りにされてしまう」
 城山はそう説明したが、理解を示してくれた人間は殆どいない。一様に『狂信者にも似た相手がそんな風に裏まで考えるのか?』と揶揄する声が表情や声の裏に潜んでいるようだった。もっとも、城山はそんなことはお構いなしで淡々と作戦を進めている。
「司令」と呼ぶ声で、城山は思考という名の海中から浮かび上がってきた。
「リストに引っかかった一団があります」
 長時間続いた緊張の連続のせいだろう。オペレーターの唇はからからに乾いてかなり荒れていた。目の下に浮かぶクマをみて、竹中はご苦労様、と心の中で声をかけた。
「その連中はどこに向かって移動している?」
「予測通り、北東です。このまま進めば……あと10分強で中学校に到達します」
「その一帯の避難は完了しているな?」
「はい、あ、いえ……」
「どうした?」
 オペレーターは通信に使っているノートパソコンを凝視して目を見開いていた。
「はい、民間人の避難は完了したとの報告は入ってきているのですが、妙なんです」
「どこが?」
「クリアなんです。障害がこの一帯だけ、台風の目のように消えているんです」
 彼は「見てください」と言って、画面を城山の方に向けた。
「確かに妙だな。どこの誰がどうしてかは知らないが恐らく周波数のデジタルマップを誰かが作って、バイナリー変換のあとに位相を逆転させた信号を送っているんだろう。この状況ではそれ以外は考え難いな」
 同感です、とオペレーターは城山に同意を示してから、彼はそれにしても民間人がそんなことができるのでしょうか、と聞き返した。
「君の言うとおり、我々のようなプロでも障害を起こしている複雑な信号を解析することは不可能だった。だが、プロが素人に負けることは往々にしてよくある話だ。思考が一本化して、柔らかい発想を持っていないのが原因だが、今回もその中の一つだろうよ」
 その中心地は、と竹中が尋ねた。オペレーターは少しキーを操作して、3秒後には画面の地図に映し出された場所の名前を読んでいた。
 城山の目を見ながら、落ち着いた声で。

「第3新東京市立第壱中学校です」

 彼が言い終わるのとほぼ同時に少しヘリが揺れ、パイロットのアナウンスが第3新東京市に入ったことを告げていた。
 眼下では、炎上したまま放置するしかないテレビ局が黒煙を上げ続けていた。
 撤退の指示を出すまで、あと2時間程度しかない。
 急がねばならない時間に突入しようとしている。










 その複雑な信号を解析した人間は、少年少女たちに電気を消した理科室でその説明をしていた。単なる時間つぶしさ、といとも簡単に言ってくれるところがこの男らしい、と言えばそうなのかもしれない。悪ふざけだとしても、彼がシンジたちをリラックスさせるために話をしているのは事実だった。
「ま、偶然だが邪魔な信号を取り除くことができたんだよ」
 加持が短いが要点だけを簡潔にまとめた、解りやすい説明をし終わったときには3人とも胡散臭そうな顔をしていたものである。
「だから、このあたりだけ、そうだな、5キロくらいはテレビもラジオもなにもかもが受信できるはずさ。現にレイ君が持ってるビデオカメラでテレビ放送が見ることができるだろう?」
 自慢するわけでもなく、ただやってみたらできました、程度で話しているように見える加持であったが、シンジはともかくアスカにはいかにそれが高度な技術を駆使しているか察していた。
「どこでそんなこと覚えたんですか?」
 アスカはジャーナリストの肩書きが怪しいとも思っていたので、そう質問をぶつけてみる。
「俺はいつも戦争ばかり取材しててね。電波障害や通信手段が皆無なんて、そんなことは日常茶飯事だったよ。だから、必然的にそういった技術も覚える羽目になったんだ」
「会話が弾んでいるところ悪いけど」
 機嫌悪そうな顔をした機嫌悪そうな葛城ミサト教諭が機嫌悪そうな声でそう云いながら扉を開けていた。
「動き出したわ。まっすぐこちらに向かっているそうよ」
 主語を省いてあるが、それがなにを意味しているのかシンジたちにも解った。そして、加持のカンは当たったことになる。またすこし、シンジの中で信用できる人かもしれない、という項目のゲージが上昇した。
「先生、機嫌悪そうですね」
 レイが心配そうな顔でミサトの顔を見ていた。
「まあね。あなた達を私が送っておけばよかったと思って。ちょっち後悔してるの。それに…」
 じろり、と加持の方を刺すような視線で睨み付けてから、
「あとの大半は私事でね」
 ミサトの口調も視線も容赦がなかったが、加持は素知らぬ顔であった。
 加持はトランシーバーのようなモノを懐から取りだして、何かを聞いていた。何かを傍受していたのか、あるいはそのフリをしていたのかもしれない。
「とにかく、今となっては下手に動くよりここに隠れていた方が安全ね。無事に通り過ぎるのを待ちましょう」
 シンジたちには屋上の非常口の上で寝そべって伏せておくように、とミサトは云った。また、私たちの誰かが呼びに行くまで静かにしておいてちょうだいね、とも云った。
「あなた達はアタシが護ってあげるわ」
 暗視のシンジの目でも、やはりミサトはあこがれの先生だった。ウィンクして魅力的な笑顔でそう言ってもらえると、なによりも心強かった。訳もなく動機が早まる。
「ほら、行くわよ。グズ」
 殆ど口を利かなかったアスカがシンジの襟首を捕まえてスタスタと歩き去った。ミサトと同じくらい不機嫌そうに、ムッとした顔をしていた。引きずられるシンジの後をあわててレイも追う。彼らの足音も聞こえなくなるまで残った二人の大人は無言だった。先に沈黙を破ったのは加持だった。
「いけないな。教師が自分も信じていないことを生徒に言っては」
「なんのこと?」
 ミサトは意識的に感情を殺した声で喋っていた。ぞっとするような冷たい声だった。
「『ここに隠れていた方が安全ね』っていう台詞だよ」
「………アンタに何がわかるっていうのよ」と、吐き捨てるようにミサトは言った。
「葛城が生徒を思いやる気持ちなんて俺には何もわからないさ。所詮俺は戦争屋でジャーナリストだ。でもな、そうだからこそ、俺も護るために戦うんだよ」
「何を?」
 加持は黒板の一点を見つめたままだった。厳しそうな顔をしたかと思うと、すぐに表情をゆるめた。
 そして、聞く者を落ち着かせる、その独特の口調で云った。
「言葉さ。7年間越しの言葉」
 ミサトは早くなりかけた動悸とは逆に、表面上の無表情を保ち続けた。










 気が付かぬうちに、古傷の左目の上を軽く撫でていた。
 それに気がついたのは、部下がチラチラとクラークを伺うようにしながら、それを見ていたからである。一睨みしてやると、部下の兵士はすぐに視線を外した。
 フン、と一息入れて、何故自分がそんな行動をとっていたのかを考える。
 何かを考えていたわけではなかった。
 作戦と作戦の合間にできる待ち時間が好きではなく、気を抜いてしまうことが嫌だった。クラークは、そうなってしまうことで自分を含めて、皆の緊張感が薄れるのを危惧していたのである。
 今までクラークは、やはり気を抜いてぼうっとしていたらしく、窓の外を眺めながら、そうやって目の上の傷を触っていたのだろう。4針縫った傷は、今でもくっきりと彼の顔で跡となって居座り続けている。だが、それは彼の勲章代わりのようなものだった。ろくに手当も受けられないような場所での応急処置だったために、そんなふうに傷がくっきりと残ってしまったが、傷口から細菌が入り込まなかっただけでもありがたかったのである。医者に診てもらえるのは動けなくなったときだけ。そんな場所で生きてきたのだから。
 クラークの癖は傷をいつの間にか触っていることだが、それは子供の頃からではない。たかだか5,6年ほど前の出来事以来でしかない。
 彼の額に傷をつけた男は消息不明で、今どこで何をしているかもわからない。興味はあっても、深くは調べようとはしなかった。そんな余裕がなかったともいえる。いずれにせよ、人との接点は多く、また別れも多い。それと同時に、人の生き死に関わることも多かった。その男が死んでいるとは思わなかったが、生きているとも思えなかった。
 恨んではいない。
 だが傷跡は永遠に残る。
 窓の外を見ながら、また傷跡に人差し指が触れていた。
 その傷跡が少しだけ疼いている気がした。
 そんなときは、よく彼の予感は当たることが多かった。春の晴れた空を見ながら、次の日雨だと予想するのと同じくらい簡単に、人の死を当てたこともあった。
 自分が何を考えているか、無意識の中から意識のステージへとつり上げてみる。
「あの場所にRKがいるとでも?」
 まさか、と鼻で笑うことはできない。
 だが、自分たちの狙いが3人の少年少女達であると、誰も知るはずはない。たとえ、ゲヒルンのトップ碇ゲンドウであっても。
 視界が少し開けていた。
 月の光は、今日はよく街を照らしている。街頭や民家の点け忘れられた電灯などの光などでうっすらと大きな建物が浮かび上がってくる。灯らない蛍光灯。物音のしない廊下。クラークの脳裏にそんな風景が浮かぶ。育った国は違えど、先進国であれば学校に対するイメージなど大差はないのだ。
 もう一度だけ、今度は意識して傷跡に触れた。
 チクリと小さな痛みがそこに残った。
「少佐、まもなくです」
 無言で頷く。しかし、部下の報告が少しだけ遠くに聞こえたような気がした。










「ずいぶんと余裕だな」
 聞き逃せば皮肉に聞こえなかっただろう。そんな口調で、その男はゲンドウに云った。
 彼らのいる場所はだだっ広い空間。小さな体育館ほどの広さの場所にぽつんとゲンドウのデスクが置いてあるだけ。ゲヒルン内部にある所長室だった。そこにはゲンドウと、そして客人として迎えられたその男だけがいた。
「……………」
「眉の1つでもつり上げてみたらどうだい? いつまでそうしているつもりかは知らないが」
「何をしにきた?」
 肘を卓上にのせ、口の前で手を組むいつものスタイルで、ゲンドウはその男と向き合っている。口調はいつもとほとんど変わることはなかった。ただし、言葉の1つ1つに感じられる威圧感は数倍でだったが。青白くほのかに光る床にぶつかっては消えていく彼の声は、耐え続ける海沿いの崖へと激突する荒波を思わせた。
「老人達の特使として、と言ったら?」
 この場で拘束することはかなわない。ゲンドウはそう解釈した。
「理解が早くて助かる。キール議長からのメッセージだ。口頭にて一度だけ伝達するように、と言われているんで、そのつもりで。『今回の一連の事件全ては威嚇である』」
「それだけの為に罪もない民間人を何十人何百人と犠牲にしたのか?」
「きれい事はよせ。とにかく、お前以下ゲヒルンが今の態度を改めない限り対決姿勢をとる、老人達はそう言っている」
「……………」
 またゲンドウは黙り込む。しかし、その沈黙に意味はない。彼の心中が揺れ動いているわけではないし、相手の出方を探ろうとしているわけでもないからだ。彼の会話術みたいなものなのだろう。
「ところで、我々の、今回の作戦の最終的な狙いを看破しているようだが、それでもあえて子供達を危険な場所のおいているのは何故かな?」
 暗闇に近い空間の中で、床だけがほんのりと明るい。他にあるものと言えば、隣の湖に映った月の光が窓から申し訳程度に入ってくるだけ。そんな中で、お互いの顔すらろくに見えないままに、2人は座って会話を続けていた。
「こたえる義務はない」
「そう言うだろうと思った。だから私も勝手に喋らせてもらう」
 司令官――サウザー――は口を歪めた。楽しいのを堪えきれない、とでも言うかのように。
「君は彼らの力の発現を願っているからだ。今は時期尚早だとしてもね。それに、彼らにはそれなりの護衛をつけている、その護衛の人間なら守り抜いてくれる、そう考えているからだろう」
「……………」
「正直なところ、私も楽しみでね。あの程度の戦力で足りるのか心配なくらいさ」
 サングラスの奥から飛ばされる視線は苛烈さをましていく。ゲンドウの無言の威圧にサウザーは堪えた様子はなかった。もう慣れっこさ。顔がそう言っているようであった。
「とりあえず君への伝言と私事は終わりだ、ゲンドウ」
「1つ聞きたい」
「なんだい?」
「今回は娘に会っていかないのか?」ゲンドウの目が一瞬鋭さを増した。
「さて、なんの事かな?」サウザーは受け流すようにそう言った。
 ゲンドウはすぐに矛先を納めたようだった。無言で彼をしばらく見続けた。サウザーはそれを受け止めていたが、不適な笑みのまま立ち去るべくゲンドウに背を向けた。
 そんな彼にゲンドウが言った。
「何処へ行く気だ?」
 またニヤリとサウザーは笑う。わかっているくせに。彼は心の中でそう言った。
「再び混沌の中心へ」










 霧のように散らばっていた不安の水滴が、今は強酸の雨となってシンジの心の平安という大地を浸食していた。時間が1秒1秒と過ぎていくにしたがって、増えていくのは目に見えない漠然とした恐怖。それが死を恐れているからなのか、それとも他のことなのかを考える余裕すらないと、シンジの瞳にともる光が教えてくれている。
 ミサトの指示のとおりに子供達3人は屋上の非常口の上でぼんやりと寝ころんだり、膝をかかえて座り込んだりしていた。
「きた」
 レイが小さく呟いた。仰向けに寝ころんだまま、顔の表情を崩さずに無造作に。瞳は星々へと向けられたままである。
 だが、アスカは鋭く反応してすぐに這いつくばったまま校門がギリギリ見える位置まで進んでいく。シンジも半瞬遅れてそれに続いた。
 シンジ達は並んで校庭の方角を見ているが、それらしい影は見えない。だが、何かしらの気配はうごめいているような気がした。
 シンジの目は遠くを見ている。微かな変化も見逃すまいと必至だった。その目を見ているのはアスカ。いつの間にか、彼女の瞳には今はシンジの顔だけが映っていた。緊張しているのはアスカも一緒だった。強気な彼女だが、怖くないといえば嘘になる。だが、ただこの少年が隣にいるだけでホッとするのは何故なのだろう。シンジはアスカに見つめられていることに気がついていない。じっと前方を見ている。バカ、と聞こえるか聞こえないかの声でアスカは呟いてみる。やはりシンジは気がつかない。

 バカ。
 バカシンジ。
 バカ。
 バカバカ。
 バカシンジ。

 呪文のように何度も心の中でその言葉を反芻するだけで、愛おしい気持ちが沸いてくるのはなぜなんだろうと思う。ほめる言葉じゃないのに。昔から、出会った頃から、いつの間にかシンジのことを何かある度にバカバカと言い続けてきたような気がする。でも、それってやっぱり好きだって事だったのかな。
 突然笑い出したくなった。少しだけ泣けてきた。
 私はそんなにカワイイ女じゃないわよ。シンジにすればお節介な幼なじみの女の子。
 そんなイメージを植え付けてきたのは自分自身なんだから、今更どうしようもない。
 フン、ま、全部終わった後続きは考えよう。今は悔しいけど目の前のことをやり過ごさないとね。
「そういえばさ」
 突然シンジがぼそりと言ったので、アスカはドキッとした。
「え、」
「なんでレイは『くる』ってわかったんだろう」
 シンジの視線がアスカの視線と初めて重なる。だが、それも一瞬のことで、すぐに後のレイのほうへと向けられた。アスカは少しガッカリしている自分に気がついた。だが、すぐに彼女もレイのほうを見る。
 レイは口を少しだけ開けたままくーくーと寝息をたてていた。
「こんな時に寝れるってスゴイね」
「ただのバカよ、レイもあんたも」
 シンジは表情で「何で僕まで」と言っていたが、アスカは無視した。彼女は「私もね」と声に出さないで、口だけ動かして夜の空気に『かわいい自分』を飛ばした。ちょっと意地っ張り屋のアスカが後に残る。
 シャボン玉みたいな感じかな。
 ふわふわふわふわ。
 空に溶けるみたいに飛んでいけばいい。そして、いつか弾けて、その時には私のもとに帰ってきてほしい。それまでには、シンジが目を離せないような淑女になってみせるわ。負けるもんか。絶対。
 アスカの顔が少し笑っているのをシンジはしばらく不思議そうに見ていたが、最後にはその理由の追及を諦めた彼だった。




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