影が通り抜ける。一瞬の出来事に人の目は追いつけなかっただろう。
 4班に分かれた部隊はグループ毎に5人。A班はクラークと共に正面の下駄箱の地点から、B班は裏手の購買部、C班は体育館との渡り廊下からそれぞれ音もなく進入を果たし、D班は逃走ルートと警戒のための偵察をかねて待機していた。
 一番最初に、校舎に侵入を成功させたのはC班であった。
 窓ガラスを鍵のある部分だけ切り取って、あとはキーを解除してドアを開けるとタイルの上に音もなく足を進めてゆく。そのスピードは大人が小走りするスピードほどである。彼らは誰にも知られることはない、そう信じ切っていた。ここが身を守る意識の薄い国、危険を隣り合わせに生きていない日本、その空気に多少染まっていたのかもしれない。この時、彼らは暗視用スコープの光量調節機能をオフにしていたのだ。
 彼らは、1人がキーを解除した途端にこの学校に備え付けられている自家発電機の運転が始まったことを知らない。その自家発電機は学校の敷地内にあるわけではないのだから、気が付かなくても仕方がないともいえるだろう。だが、彼らの不法進入には相応の報いが襲いかかってきたのである。
 彼らのスコープ越しの世界は太陽が沈んだばかりの頃の外界と大差ない世界が見えていた。そこにあるのは左右に伸びた薄暗い廊下。先頭の兵士がクイッと親指でGOサインを出すと、残りの人間が無駄のない動きで続く。だが、全員が、入ってきたドアで感知されていた。その結果は理科準備室のフォログラフ・ディスプレイに赤い光点となって示されており、学校全てのフロアの生命反応が示されている。2棟ある校舎、体育館、プール、グラウンド、それらの施設が完全にカバーされている。リツコのキー操作1つで必要な場所だけピックアップする事も可能だった。今は画像の右端にオレンジ色に発行する文字で「ALL DISPLAY MODE」と表示してある。
 HALが回線を支配している。
 それが油断のもとだったのだろう。
 今まで見えていた世界が突然強烈な光を放ち、スコープ越しに彼らの網膜を焼いた。声にならない呻きと悲鳴を漏らしながら、1人が壁によりかかろうとした。何が起こったのか、判らないままに彼は首もとに鋭い一撃を浴びて昏倒した。続けざまに残りの4人のうち3人も同じ方法で気絶させられた。最後に踏み込んだ小隊長だけがスコープを投げ捨て、見えない敵に対して身構える。しかし、相手の気配をまったく感じられなかった。敵意を持つ人間は必ず殺意や闘志などを体から発散させているものである。だが、彼は全身を集中させているにもかかわらず、まったく微塵も感じられなかった。
 痛む目を押さえながら、それでも何とか事態を打開しようとした彼の努力もむなしく、当て身を食らわされて彼も昏倒した。蛍光灯が煌々と灯る廊下に髪を縛った1人の男がズボンのポケットから携帯電話を取りだしてダイヤルも回さずに喋る。
「こちら加持。1班の処理完了。続いて拘束に入る」
『了解。こちらも始めるわ』
 間髪入れずにリツコのくぐもった声が聞こえた。
「なるべく早く終わらせてくれよ」加持は緊張感のない声で言った。
『10分はかかるから、それまで足止め、よろしく』今度はミサトの声が加持の耳に届いた。全くの事務調で、その他の個人的な感情は持ち込まない、そう暗に言っているような覚めた声だった。
「はいはい、で、俺達の存在は気がつかれたかな?」
『多分。他の2つはスピードを緩めて警戒しながら進んでいるわ』また声がリツコに切り替わった。
「そっちで足止めできる班はある?」既に加持はかがみ込んで一人目の首筋に銃型の注射器で薬を打っていた。うっ、と一時声をかげて目を覚ましかけるものの、すぐに寝息を立て始める。「こっちは全員に麻酔を打ち終わった」
『あるわ、加持君は購買の方、山側の階段をお願い』
「わかった。それともう一つお願いがあるだけど」
『何?』
「誰も殺さないでくれ」加持はとぼけたように言った。
『あたりまえよ』
 リツコは溜息混じりでそう言う。だが、そこには幾つもも感情が交じっているような、重く溜息に近いな声だった。
「そうか、ならいいんだ」加持は肩と耳ではさんでいた携帯電話型無線を手に持って見つめた。「ならいいんだ…」
『……………』
 スイッチが切られていた。向こうからの応答はなかった。










 購買部から校内へと浸食するようにジワジワと歩みを進めていたB班だったが、彼らの身に不思議なことが起こった。
 気がつけば1人、また1人と姿を消していったのである。3人になったときに彼らは仲間が減っていることに気がついた。特に物音をたてたわけでもない。銃撃されたのでもなければ殴られて昏倒したのとも違う。それ故に気味の悪さと恐怖が彼らを支配する理由としては十分だったのである。
 今まで戦ってきた敵は目に映った。少なくとも、音や気配はあったし、レーダーやそれに類する機器などには反応があったのだが、今自分たちに敵意を向けているものの姿形は全くない。銃を向けようにも、どちらに向ければいいのかわからないのである。自分たちに都合のいいように電気を消していたことが、この時は疎ましく感じられた。ただし、彼らの位置からは死角だったので、加持に倒された仲間達のことは、現時点でまだ気がついていない。
 欠員が発覚した時点でB班のリーダーは外部との連絡を取ろうとした。小型の通信装置の表示部分は彼らのスコープで見えるように特殊な加工がしてあり、裸眼では見えないようにセットしてある。班長には最後の定時通信信号である『異常なし』という文字が踊っているのが確認できた。5秒ごとに全部の班のこの装置が連絡を取り合っているのでほぼリアルタイムに異常を察知できると言える。各自これを持っているのだが、彼らはそれが幾重にも張られた暗号の網の元で使われる電波だという安心と油断から、いや、ありえないと思いこむほどの信頼を置いていたからこそミサトとリツコの罠にかかっていたのである。
 班長はぼんやりとディスプレイに浮かぶ文字を見ていた。先ほどと変わらない『異常なし』の文字。別におかしい所などない。だが、少し頭がぼんやりとしていた。
 そう、おかしい所なんてない。だが、現実に2人も消えている。
 この通信装置は同じ班の設定にして置いた場合、10メートル離れれば警告がスコープの中で表示されることになっているはずなのだ。そして、その警告に対する何らかのアクションが15秒以内に帰ってこない場合、隊員達はそれなりの行動を起こさなくてはならない。
 だが、今は10メートル以内に仲間の姿などなかった。廊下の前後に自分たちの姿しか見えず、闇に形を消した彼らの仲間の輪郭は何処にも浮かんではいない。職員室保健室などが並ぶが、それらの部屋の扉を開けた音もしなかった。彼らは音に対する反応も常人のそれとは比べ物にならず、交通量の多い道路を挟んで向こうから喋る人間の声を判別できるほど訓練されていたのだ。そんな彼らですら自分たちの足音や服のすれる音や装備品が鳴らす音、といっても一般的には無音に近い状態だが、おかしいと思うような物音は感じ取れなかった。
 まるで幽霊のように。
 そう形容するしか他に言い表せない。
 何が起こっているんだ?
 口では言えない焦燥感が彼らの双肩に重くのしかかってゆく。以前はこのメンバーであるミッションに臨んだ時、アメリカの研究所の1つを事故に見せかけて爆破するというものであったが、それすら15分でやり遂げたプロフェッショナル。そのプライドすら捨て去っても、この現実離れした状況の説明が望みの全てだった。
 スコープには相変わらず何も表示されていない。だが、何か違和感があった。一度スコープをとって外界とスコープ内の映像を見比べてみたが異常はないようだ。しかし、何か頭の中がじっとりと重く感じられる気がする。3人とも『こんなときにそんな個人的なことは言っていられない』と思ったし、そもそもこんな経験は初めてだった。久々の戸惑いがあった。いくら、今回の作戦が今までくぐり抜けてきた修羅場の中でも、もっとも緊張感がないところだからと言って気を抜いているわけでもないのに、この頭の、そして体のけだるさと言ったらどうだ。まるで、これは眠気が少し少し体に浸透してきている様にそっくりじゃないか……。
 いつの間にか足取りが重くなっていた。どんなにがんばっても歩く以上のスピードは出せなかった。いかなる事態でも移動はスピーディーでなければならない。そして、隠密行動を旨とせよ。新兵の頃からたたき込まれた原則を体は行おうとしている。だが哀しいかな、精神と肉体を構築する細胞と栄養分はそれを認めようとはしなかったのだ。
 前を向いていることすら不可能な状態へと追い込まれはじめた。それを察知した時点で外部のクラークに緊急事態を知らせようと思った班長の判断と、小型通信機をとりだし操ったまでは完璧に正しかったのだ。その先に期待を裏切るように、そして何事もなかったかのように『異常なし』のまま画面が点灯していようとも。
 リーダーは壁にもたれかからなければ、両の足が重力の束縛に負けてしまいそうだった。いや、実際そうだっただろう。仲間達はそうもいかなかった。振り返った先で仲間の体が前に傾き、そのまま生ぬるい空気を切り裂いて、気持ち悪いぬくもりの残るタイルへとぶつかっていった。
 何だと!?
 自分たちのおかしさに気がついたのはこの時からだった。だが、もう遅かったのだ。
 そう、音もなしに2人が倒れたのを見てようやくなにが起こっていたのか気がついた。
 聴覚が自分の体から失われていたのだ。慌てて銃を軽く振ってみるが、カチャカチャといつもの音が聞こえない。それ以上に体のだるさ、さらなる眠気は限界を超えようとしている。
 一瞬、そう、まさに一瞬だった。目を凝らしていなければわからないほどの刹那。自分がはめているスコープの画面が揺れた。正しくは歪んだ、と言ったほうがいいだろう。
 そうか、と納得する自分に驚いた班長の男。それと同時に、強烈な絶望と敗北感が彼の体を覆い尽くして飲み込もうとしていた。それは、ある意味に置いて死よりも恐れていたことだった。
 くそう、ちくしょう、こんなのありかよ、くそ。
 薄れていく視界と共に見えていた高さもズルズルという衝撃と共に下がっていく。彼も壁にもたれかかったまま、ついに立っていられなくなった。
 この、小型通信機がハッキングされていたのか。そして、中のデータを全て書き換えられていたのか。だから5人が3人になったときも気がつかなかったんだ。
 通信機の直結しているスコープも違うコンピューターが作り出した本物そっくりの擬似的な世界。
 それを見ながら我々は進んでいくうちに催眠にかけられ……。
 彼の思考がとぎれたのを証明したのは、ゴトリ、と音を立ててこぼれ落ちた通信装置だった。










「成功したわ」
 リツコが抑揚のない声で部屋内の人間に告げた。固唾をのんで見守っていた3人は肩の力を抜き、思い思いの大きさの息を吐き出した。マヤは小さく、シゲルは抑えめに、マコトは肺中の空気を吐き出す、といったふうに。そしてミサトは緊張した面もちを崩さずに、少しだけ嬉しそうな顔をして見せた。
「さすがね、リツコ先生」
「違うわ。MAGIのデータバンク内にあった資料とデータのお陰よ。催眠なんて私の専門外なんだから。それよりも……」
「そうですよ。葛城先生、見直しましたよ」
 興奮した口調でマヤがミサトの目を見ながらいう。リツコに「声が大きい」と睨まれて、慌てて口を押さえる。その子供じみた仕草にようやくミサトも笑顔を見せた。
「大したことないわ、このくらい」
 ミサトが彼らの装備を見たとき、特に装着されたゴーグルを見た2秒後にはリツコに自分の考えを述べていた彼女がいた。モニター越しに見えた彼らの付けていたゴーグルと通信機。それはミサトの記憶の中でもホコリをかぶっていた類のデータだったが、価値でいえば自分の家の貰い物の洋画が実は名画だった、といったくらい驚きのあるものだった。
「リツコ、逆ハッキングは?」
「あと30秒で完了するわ」
 このやりとりは、レイが彼らの到来を予感したのとほぼ同じ時間だった。1分もずれてはいないだろう。ミサト達も正確に突入してくるタイミングを計っていた。そして、加持からその報告がもたらされた瞬間から彼らの戦いは始まったのである。
 連絡を受けたミサトが親指を立てて静かなGOサインを出す。リツコが即座にスタートの合図と同時にMAGIの防壁を解放し、一気に針大の穴を塞ぐことのできない程の大きさにまで、お互いの通信回路の大きさを確保した。しかし、理論的にも実践するにも突破するのは難しいと言われてきたAダナン型防壁。すんなりとはいかず、防壁を一枚一枚剥がしつつ、一本通した向こう側への細いパイプも同時に並行して行っているが、剥がす方はリツコ、線を守り大きく太くしていくのがマヤの仕事であった。
「くそっ!」
「どうした?」
「こんな事なら学生の時、お前をしっかり叩いておけば良かったと思っただけさ」
 こちらは軽口でも叩いていなければ潰されそうなプレッシャーを受けていた。シゲルもマコトも大学時代は人より詳しくコンピューターの扱いをする学部にいたのは事実なのだが、マヤほど突っ込んで勉強したわけではなかった。それゆえ、紙一重の攻防が先ほどから続いている。擬似エントリーと防壁を張っては迂回させ、相手のハッキングプログラムを袋小路に追い込み自己増殖の末に消滅させる。説明するだけなら簡単だが、やる方にしてみれば困難を極めた。
 先ほどシゲルが言っていたのは、大学時代に2人がよくやっていたゲームの事だった。彼らは相手のプログラムと自分のプログラムを戦わせ、どちらが勝つか、それをいろいろな場を借りながら繰り返していたのだ。始まりは課題で出されたオセロ用のプログラムだった。一ヶ月後、シゲルはマコトに決勝戦でコテンパンにされたその日からリベンジを誓い、練りに練った思考ルーチンをひっさげて次の将棋のときには学部内の頂点に立った。それからは彼らの張り合いは一進一退だった。今現在は協力して必死に相手の攻撃を防いでいるが、学生時代の思い出を呼び覚ますには十分だったのだろう。それに、そういう2人の張り合いがなければ、今頃この場で役にはたっていないに違いないのだ。
 ミサトやリツコはもちろん、他の3人もこの時は殺されるなどとは露も思っていなかったに違いない。学校内への招かれざる客達は、元々あった監視カメラにくわえて昼間に加持が教頭に呼び止められながらもセットした小型カメラで全て逐一モニターされていた。もっとも、監視カメラは発見されやすい位置にあるので、見つかると片っ端から破壊されていたが。その点、加持のカメラはプロの目でも発見できないところに巧妙に隠されていた。
 獲物を求めて忍び寄る猫科の動物を思わせる兵士達の動作。
 だが、マコトにしてもシゲルにしても、まだそれはブラウン管の向こうの世界であり、禍々しいいでたちの兵士達が歩く廊下がよく知った場所だったとしても、彼らにはまだ現実感が希薄だったのだ。
「リツコ、あとどのくらいかかる?」
「そうね、……5秒くらいかしら」
「え?」
「いいわ、聞かせて」
 リツコが呆気にとられるミサトの方を向いたとき、全体的に赤かった部屋が青や緑色に変わっていた。外部に漏れぬよう閉じたカーテンに跳ね返る色も、くすんではいるが同系統の色だった。液晶、ブラウン管、浮遊型ウィンドウ、それらの全てで一様に「UNDERLAY」と表示されている。HALの支配に成功した証だった。この逆転劇に『シリウス』が気がついてももう遅いだろうし、この事実が発覚するのも近い将来の話ではない。MAGIの支配下に置かれているが、ダミーで今まで通りに世界のネットワークを支配をまだ続けさせている。もちろん、いつでもそれを解除することが可能なのだ。
 ミサトに話の先を促すと、多少顔を引きつらせながらミサトは話し始めた。
「加持君の報告によると、部隊は4つに分かれたそうよ。リツコ、生体反応ってここに出せる?」
「ええ、できるわ」
 ミサトは他の4人と向かい合う位置に立ち、リツコのキー操作のあと数瞬で彼女の右側にフォログラフのウィンドウが現れた。そこでは玄関口にある学校内の地図と同じものが表示され、背景は黒、校舎の線は明るい緑、自分たちやシンジ達、それに加持の場所は青で、土足で踏み込んできた無礼な客人達は赤の点で表示されていた。彼らは今分散しようとしているところだった。校門の付近からまず二手に分かれて、壁伝いに闇に紛れて校舎に接近しようとしている。5人は校門の辺りで待機する気配を見せつつ、緩やかな速度で移動している。校舎全体が見渡せる位置で後方支援を行うつもりなのだろう。
「正面玄関、購買部、渡り廊下……」
 ミサトが独り言にしては少し大きすぎる声でそう言いながら画面を見ていた。
 渡り廊下の近くには加持の反応がある。彼もこの辺りから進入してくるのだろうと目星をつけていたのだろう。ミサトはあえてそれを無視していた。ただし、自分の中でのみ、である。
 今度は2つが3つになった。10人が5人ずつに分かれたのだ。そして、ミサトの予想通り校舎の各位置へと近づいていった。その頃になると、備え付けのモニターに兵士の一人一人の装備や姿が映し出されるようになった。
「時間がないからとにかく手短に言うわ。リツコ、MAGIで彼らの通信装置一式をハッキングできるわね?」
 リツコはもちろんよ、と頷いた。
「今すぐやって。で、ハッキングしたら、彼らの付けているスコープの画像をMAGIのコンピューターグラフィックに切り替えて。ただし、それに気がつかれないよう、普通の状態のまま待機。いい?」
「ええ。マヤ、手伝って」リツコはすぐにキーを叩きはじめる。マヤも自分の作業スペースに体を押し込めた。彼女は地べたに座り込んで膝元のノート型パソコンを使っている。机のディスプレイがモニターになってしまっているから仕方がないのだろう。
「日向君、青葉君、君たちは彼らの通信パターン解析をお願い。それが完了し次第、そのまま待機させておいてね。今はそれでいいわ。できるでしょ?」ミサトが最後の言葉をおだやかな表情で言った。
 マコトは少し顔を赤らめた。ガキじゃないだろ、と自分に言い聞かせたあとにゆっくり頷いた。やったことはないが、何故かその時はできる気がした、と後日彼は悪友に語っている。一方の悪友も長い髪の毛をかき揚げてから、ぷうと一息入れたあとに「できますよ。多分ね」と言った。
「ゴメン、急いで」
 シゲルはくるりと椅子ごと体の向きを変えて自分の課題に取りかかった。実際はほとんどMAGI任せなのだ。彼がやることは「解析」の命令と、その対象の指定をするくらいである。2人分の作業スペースを稼働させれば1分もかからないだろう。
「葛城先生、あとで聞かせて下さい」
 シゲルはディスプレイの光で顔を照らされていた。その顔をミサトは不思議そうな顔で見つめる。
「何?」
「この作業の意味と、なんでアイツらが先生の言った通りの場所に今いるのか」
 モニターには確かにミサトが言った通りの場所に赤い反応が群がっていた。ミサトは「ええ、いいわ」と頷く。
 ミサト以外の人間が作業に入り、彼女はやることが何一つ無くなると腕を組んで状況を見つめた。その僅かな静寂を破るように、ミサトの手の中から突然のように加持の声が聞こえた。
『こちら加持。1班の処理完了。続いて拘束に入る』
「了解。こちらも始めるわ」
 間髪入れずにリツコが自分の携帯電話にむかって喋ったお陰で、加持にはミサトの舌打ちが届いていなかった。










 ミサトが見た彼らの装備は一見すれば米軍のそれと大差ない、というよりも模倣もしくはわざと同じにしているのだろうと推理していた。彼女には彼らの逃走ルートが最初から読めているからこそこの学校に残ったのだ。ミサトの推理を確信に変えさせたのは、もちろんネクタイをだらしなく締めた無精髭の男、加持リョウジの存在である。
 アイツがここにいるってことは…。
 それだけで十分だった。彼女が眠らせていた記憶の一部を起動させるには。
 シリウス部隊の装備品は銃器などは米軍と同じなのは、米軍自体と戦自の二つの目をくらませるためだろう。日本人という民族は島国の中で暮らしてきた性質上、いくら異民族の姿が日本列島の中でめずらしくなくなったと言えども、深層心理まではそう簡単に変わるものではないのだ。これがアメリカであったら話はまた違ってくる。
 シリウスの姿の理由、それはまず裏山に逃げ込む為なのだ。彼らの後を追ってきているのは戦自と米軍の特殊部隊。よって、装備が多少見慣れないものであってもベースが同じであれば疑問をもたれる可能性も低い。戦自と遭遇した場合は米軍と言えばいい。日本人は顔で判断してくれるので騙しやすい。米軍の方は隠密で行動する別働隊だと完璧なアメリカ英語であればその場は凌ぎきれる。確認しようにも、情報網は錯乱しており、一瞬での判断は不可能なのだ。クラーク達にはそれだけで十分なのである。
 木々に紛れ、夜が明けきる前にモンタージュしてあるヘリコプターで脱出する。ただし、その時には探索の目を紛らわさせるために、一段と何か大きな仕掛けをしてくるものと思われた。それが何かわからないだけにミサトは不安だったが、おそらくこの辺り一帯をN2兵器で爆破するつもりでいるのかもしれないと思っていた。
 そんなものが、たとえそれが小型冷蔵庫程度のものであろうと、半径2キロの範囲は爆風と熱風で破壊しつくされ、跡に残るのはえぐり取られた土がさらけ出すクレーターのみであろう。
 そんな推論を誰にも言えるわけはなく、ミサトが出した結論は彼らシリウスの「全員拘束」であった。それが困難な作業であることは予測できたが、それをサポートする人材と環境は整っていた。
 加持が1班を押さえた、と連絡が入ったすぐ後に、リツコが準備が完了したとミサトに言った。ミサトはマコト達の方に振り返ると、彼らも親指を立てて準備が良いことを知らせていた。
 ミサトはそれを確認すると、リツコにMAGIが精製したCGを彼らのディスプレイの画面の映像とすり替えさせた。もちろん、それは人間の目では判断できないほどの素早さで行われたために、ミサト達が2班と呼ぶ部隊の全員は気がついていない。それと同時に全員が付けていたヘッドフォンから人間の耳では聞き取ることのできない低周波を断続的に流した。
 効果はすぐに現れたわけではないが、確実に効果はあったようでまず全員の聴覚が麻痺した。リツコが意図的に1人の通信機から一回のみアラームを、タイミングを見計らって流したのだが誰も気がつかなかった。それと同時にMAGIのCGに強烈な催眠効果のある映像を凄まじいまでのタイミングで紛れ込ませた。1秒間に24コマでテレビや映画などは成り立っている。その24コマの中の1つだけ変えていたのだ。つまり、彼らは知らぬ間に見続ければ見続けるほど催眠が深くなっていった。
 1人が崩れ落ちても音もしないしハッキングのお陰でスコープ内の映像は変化しない。効果の早かった2人がいなくなった事に気がついたとき、互いに会話を交わさなかった事も災いした。会話することは、原則として戦闘の場では禁止というのが常識であるからだ。もし彼らが互いの声が聞こえないことに気がついていれば、多少は手の打ちようがあったのかもしれないが、その時にはもう既にあらゆる意味で手遅れだったろう。現に、すぐに彼らは全員が崩れ落ちている。
 強烈な閃光を浴びたりショックを受けたりしない限りは目を覚まさないほど強力な催眠をミサトは要求し、リツコはそれに応えた。
 こうして、侵入者達は2班が行動不能へと陥った。
 だが、クラークのA班、ミサト達が3班と呼ぶ部隊は異常に気が付き始めていた。










「今すぐヘッドセットをとれ」
 クラークはそう言うが早いか、即座にコードも一緒に引きちぎりながら自分のスコープを投げ捨てた。部下の兵士達は一瞬時が止まったように命令を受けていたが、それが体内へ吸収されると即座に実行に移した。そのうちの1人がどうしたんですか? と目で合図する。
 クラークは小型携帯端末のディスプレイをしばらく眺め、暗証コードを入力する。3秒待っても帰ってこない応答に舌打ちしつつ、彼はそれを兵士の1人に放り投げた。投げられた方の隊員は慌ててその画面を見る。後からもう1人がのぞき込んだ。
 そこには『異常なし』と表示されているのみである。だが、よく見ると、パネル操作によって入力したコマンドで文字入力モードに切り替えてあった。だが、通信画面のウィンドウが開かれていない。つまり、これは通信の類が一切機能していないことを意味し、何者かによってプログラム自体が乗っ取られている証拠でもあり、彼らの全ての班が孤立させられたことでもあった。
「まさか…」
 押し殺した声でそう呻き、通信担当の彼はクラークの顔を伺った。
 彼らの居る場所は2階の2−Aの教室だった。廊下に出てみれば目の前にある向かいの校舎ではミサト達が息を凝らして彼らの動作を注目している。
 クラークは恐らく盗聴されていることを予測していた。だからといって打つ手もない。部下達の狼狽を冷ややかに見つめた。
「恐らく、」彼は窓の外の月を見上げ、陰湿な声で応えた。「HALがやられた」
「な…!」
 目を見開く通信士を、さらに凍てつく眼光で串刺しにするクラーク。口にはアイロニーともとれる冷笑を浮かべていた。
「いまさら狼狽えるな。作戦は続行する。HALが使えなくなったところで今からの作戦遂行に支障をきたすわけではない」
 努めて冷静に彼はそう言った。廊下の方を見張っている他の2人を含めて、4人には多少の安堵感が広がったようだと彼は判断した。だが、内心歯ぎしりをしたい思いだった。
 あの女に違いない。やはり消しておくべきだったのだ。
 脳裏にMAGIを開発した女性の顔が浮かぶ。テレビ局の爆破の際に、大勢の人質と共に消し去らずに、特別に生かして置いたのだ。しかし、彼の演説の通りに市民が彼女を助け出し、適当な端末からMAGIを魔法のように操ればとっくに仕掛けておいた無数の爆弾のタイマーなど解除されているだろう。そして、その余勢を借りてHALを一気に乗っ取ったに違いない。
 MAGIとは一から十まで完全なコンピューターではないのだ。2割の部分は人間の思考、つまり閃きの概念を有し、もっとも効率の良い演算方法をコンピューターのデータベースと人間の経験記憶の両方から検索、選択使用するのだ。まともにぶつかり合ったとして、純正コンピューターのHALが勝てる道理はない。HALは攻撃、防御用には創られていないのである。MAGIももちろん元々のコンセプトは攻撃防御に造られているわけではないが、制作者がプログラミングを自由に書き換えられる点において最大の違いがあった。
 もう少し持つと思ったのだが、案外役に立たなかった。それがクラークの率直な感想だった。やはり、最後に頼りになるのは自分とその仲間の経験と勘だけか、その思いにとらわれた。だが、それは微かな喜びの感情を呼び起こさせる事態でもあった。研ぎ澄まされた精神と、それに対応できる肉体を持つ者のみが生き残る世界。その数々の戦場で彼は傷を無数に負い、その100倍の人数を葬ってきたのだ。その時に生じる感情は喜びと興奮である。それは、もう一般人として社会の中で生きていけない証拠でもあった。
 クラークは通信士と副通信士には校舎内で捜索を続ける2班と連絡を取るように命令を与えた。
「お前達以外のこの3人で捜索は続行する。D班と合流後10分経過したら先に行け」
 司令は? と聞かれてクラークはそう答えた。
 端末による通信が使えない以上、人力による通達しかできない。そもそもあまりゆっくりとしている時間はないのだ。ヘリコプターの爆音が先ほど一度通り過ぎた後、集結する気配を見せていた。もうすぐ戦自と米軍のテロ対応専門部隊や国家によるテロを引き起こす特殊部隊、表裏の関係ない最強の部類の兵士達が包囲を完成させてしまうのは時間の問題だろう。その包囲網が完成しないうちに今回の作戦の最も重要な任務を完了させねばならない。
 通信担当とは言え、彼らの優秀さは疑いようもない。元は国家に属する軍隊にいた彼らだが、その中でももっとも過酷な訓練を耐え、セカンドインパクト後の紛争で生き残ってきたプライドと自信が体からみなぎっているようにも見える。クラークはある種の固定観念に凝り固まったプライドなどくだらない、と思うのだが走り去る彼らの無駄がない動きと俊敏さにはいつも感嘆せずにはいられないのである。
 ただし、その美しさは人を傷つけ殺めるための芸術であった。




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